フランス革命の道28-カロンヌ財務総監失脚
2021.06.11 11:36
パリの水供給は今に至るもよくない。庶民は、国王がつくった泉水から水を得ていたが、それはパリ右岸だった。人口が増えて左岸にも広がると、ブルボン家はアンリ4世以降、水利事業に乗り出した。1778年技術者のペリエ兄弟は、蒸気機関を使ってセーヌ川水を揚水する「水利会社」を設立した。
この水利会社は民間だったが、その株を支援していたのは財務総監カロンヌだった。この水はパリ市が買うのだが、当時の蒸気機関の能力が低いため、パリの買い入れ価格以上になり赤字になる。その赤字補填のためにも、株を買うことが必要になっていたのだ。
しかし別の大臣プルトィユ男爵は、イヴェット川の一部をパリに引き入れる会社に投資していた。こうしてなんと国務大臣同士がパリの治水計画でライバルになってしまい、国務会議へこの確執がもちこまれた。公共事業の民営化の失敗例といえるが、しかし財政の問題でもあった。
バブルの終焉と共に、財政悪化が顕在化し、カロンヌの水利会社への投資も金の無駄使いと非難の的となった。カロンヌの信用は失墜し、その財政改革もまた信用を失墜したのである。そして王妃アントワネットも、彼のライバルであるブリエンヌを支持し、カロンヌは失脚した。