徴用工訴訟のおかげで『漢江の奇跡』を知ったって?
「元徴用工」旧朝鮮半島出身労働者とその遺族85人が、日本企業16社を相手取って起こした損害賠償請求訴訟で、ソウル中央地裁は、個人の請求権は「消滅したり放棄されたとはいえないが、訴訟で権利行使することは制限される」として、訴えを門前払いで却下する判決を言い渡した。
その理由のなかで、裁判長が、日韓両国の請求権問題は「完全かつ最終的に解決した」と明記した1965年の日韓請求権協定の締結に伴って、日本から受け取った5億ドルの経済支援は「『漢江の奇跡』と称される経済成長に寄与した」と評価したことや、日韓請求権協定は2国間で結んだ『条約』であり、これを国内法によって履行しないということになれば『国際法違反になりかねない』とし、「いまや『世界10強』に入った韓国の文明国としての威信は地に墜ちる」と指弾したことなどが、韓国国内では大きな反響と反発をよび、「反国家、反民族的判決を出した判事の弾劾を要求する」という国民請願が青瓦台の掲示板に出されると、賛同者は瞬く間に28万人(11日現在)を超えたという。
<産経新聞6/12「徴用工賠償却下『裁判長の信念』韓国で波紋」>
慰安婦訴訟でも徴用工訴訟でも、これまでは「三権分立なので司法の判断を尊重する」と政府としては何の処置も執らなかったのとは真逆に、与党「共に民主党」の宋永吉(ソン・ヨンギル)代表が「朝鮮総督府京城裁判所の判事が出した判決か」と批判し、前法務部長官の秋美愛(チュ・ミエ)氏は「韓国の判事ではなく日本の判事の論理だ」と罵倒し、『司法の独立』など歯牙にもかけない態度を示す一方、ネット上には、この裁判長の顔や生年月日などの個人情報が晒され、「ほんとうに韓国人なのか?」「日本から賄賂貰ったんだろう」「日本の右翼たちが主張していることと同じだ」「こいつは悪魔です」「みんなで殺しにいきましょう」などのコメントが溢れているという。
<Youtube動画 韓国男子TV「【徴用工判決】却下!理由は日本から援助で漢江の奇跡ができたから!やっと気付く韓国人」>
ところで、今回の判決に対する韓国人の反応のなかで分かったことは、韓国では日韓請求権協定で日本から有償・無償による多額の資金援助を受け、それが『漢江の奇跡』と呼ばれる韓国の経済建設につながったという歴史的な事実を、歴史教育のなかで教えられず、多くの国民がそのことを今回の判決で初めて知らされたという事実である。日本人にとって、日韓請求権協定による日本からの資金を使って京釜高速道路が建設され、浦項(ポハン)製鉄所がつくられ、朴正熙政権時代の経済の離陸と高度成長、いわゆる『漢江の奇跡』が達成されたという事実は、誰でも知っていることなので、むしろ韓国人が知らされていないということの方が、驚きでもある。
歴史教育で『漢江の奇跡』はどのように教えれているのか、大学受験用の『韓国史』の参考書を調べてみた。しかし、驚いたことに『漢江の奇跡』という言葉は出てくる箇所では、以下のように、「日韓修好」(国交正常化)というひと言はあっても、日韓請求権協定による経済支援のことはまったく触れられていない。
<「朴正煕政府は経済開発5カ年計画を実施したが、経済開発政策を実施するには、お金が必要だった。そのため西ドイツに労働者を派遣して借款した。韓日修好をして、ベトナムに軍人を派兵した。」(「巨星輝くチェデソンの韓国史」p333)>
つまり、経済開発のために必要な資金は、労働者を派遣した西ドイツからの借款や、ベトナム戦争に韓国軍を派遣して米国から得た援助資金だけで賄われ、当時、韓国の国家予算の2倍近くにも達したといわれる日本からの資金援助5億ドル、民間借款を含めれば総額8億ドルについては意図的に隠されているのだ。
因みに、西ドイツへの労働者派遣とは、韓国は1960年に西ドイツから3000万ドルの借款をした際、西ドイツへの労働者の派遣を約束。1963年から1977年までに8000人近くの韓国人炭鉱労働者と1万2千人あまりの韓国人看護師が西ドイツに派遣され、彼らが本国に送金した外貨は数千万ドルに達し、輸出総額の3%を占めるほどだったといわれる。
<KBS日本語放送2015/3/17「西ドイツへ向かった韓国の青年たち」>
また、ベトナム派兵に対する米国の資金援助とは、韓国はベトナム戦争に参戦して、1965年から72年まで5万人の軍隊をベトナムに駐留させ、その兵士の手当てや補償費は米国から米ドルで支払われ、総額10億ドルに上ったという、
<李鐘元他著『戦後日韓関係史』(有斐閣2017)p86>
先の『韓国史』の参考書にはまた、以下のような記述もある。
<「朴正熙政権の核心戦略は輸出だった。60年代は靴や服などの労働集約産業が中心だった。しかし、70年代になると軽工業中心の経済政策には限界が訪れた。そこで政府は重化学工業中心の産業を再編するが、その代表が浦項製鉄だった。3次.4次経済開発ではこのように重化学工業を中心に進められ、この時、京釜高速道路が建設された。1977年には輸出100億ドルという神話を達成し、漢江の奇跡という神話をつくった。」(「巨星輝くチェデソンの韓国史」p333)>
ここでは「浦項製鉄」や「京釜高速道路」のことが触れられているが、そこに日本の資金が投入されたことはまったく記述されていない。しかも「漢江の奇跡という神話」とあるように、『漢江の奇跡』という経済発展自体が、何か実態があやふやな「神話」扱いで、朴正煕政権に対する冷めた評価を伺うことができる。
今回の徴用工訴訟をきっかけに、こうした『漢江の奇跡』ということばが改めて脚光を浴び、さらに、その奇跡に日本の経済援助による多額の資金が関わっていたことを思い起こさせてくれたのは、歴史的な「却下判決」を出したソウル中央地裁の裁判長のおかげだった。
ところで、ソウル首都圏を走る「地下鉄1号線」が日本のそうした資金援助で建設されたことを今回、この判決で初めて知ったという若者が多く、「その事実を知ってしまい、これからどんな態度、心構えで地下鉄1号線に乗ればいいのか戸惑う」といった反応が多かったのは興味深かった。もともと地下鉄1号線の路線は、1899年に渋沢栄一らが出資してソウル・鷺梁津(ノリャンジン)と仁川を結んで開通した京仁鉄道がもとになっている。
因みに、外務省がまとめた「ODA政府開発援助 国別援助実績 韓国 65年度から90年度までの有償資金協力及び無償資金協力」によれば、65年から90年までの25年間の総計で、有償資金協力5960億円、無償資金協力47億2400万円の政府開発援助が投じられ、このうち地下鉄建設では1971年に「地下鉄等建設計画」として272.40億円、1990年に「ソウル地下鉄建設計画(II)」として720億円が使われている。つまり日韓請求権協定の経済支援とは別枠で、有償無償あわせて6000億円のODAが投じられ、そのうちの6分の一、1000億円が地下鉄建設に使われたことになるが、ソウル市民や韓国の若者の多くがそうした事実をまったく知らされていない、ということになる。
「歴史を忘れた民族に未来はない」とは、彼らが日本に向けて繰り返す常套句だが、過去にあったことをなかったことにし、子どもたちに教えるべきことも教えないで隠す民族にも、けっして明るい未来が来ることはないだろう。