「絶望名人カフカの人生論」を読んで
鬱な状態から脱け出したくて、足を運んだのは本屋だった。
以前は、足を止めることなんてなかった絵本や写真集のコーナーで新しい景色を手に入れようとしてみた。
目の前の世界と異なる世界に微かな心の動きを感じて喜んだりした。
しかし、私はやはり私であるらしい。
気が付けば、小説コーナーにいた。
そして、「変身」の隣にあった一冊の本を手に取った。
頭木弘樹「絶望名人カフカの人生論」、新潮社
本当は自分を元気づけるために、本屋に来たのだ。
そんな当初の目的も虚しく、無意識のうちに「絶望」と「カフカ」の単語に私は惹かれていた。
開いた瞬間、憂鬱になった。
「すべてお終いのように見えるときでも
まだまだ新しい力が湧き出てくる。
それこそ、おまえが生きている証なのだ」
失望に近かった。
こんな言葉が欲しいわけじゃない。
そして、ページをめくる。
そこには私を癒す不思議な力があった。
「もし、そういう力が湧いてこないなら
そのときは、すべてお終いだ。
もうこれまで」
これほど今の私を動かす言葉があるのだろうか?
私は狂ったように読み進めた。
震えてきた。
嗤えてきた。
まるで今の私ではないか!!
なるほど、私も絶望名人級のネガティブ人間なのだ。
現実に戻れば、より一層私の症状が重くなることに違いない。
あのカフカに絶望を教わったのだから。
それでも、私はこっち(ネガティブ)の道を選んだ。
この絶望しながら苦しむ生こそ、私らしさなんだと思えた。
精神的な症状は悪化。
しかし、よくよく考えると現実に戻るから、精神的に死にかけるのだ。
昨晩みたく、不安と不眠に襲われて死が頭をよぎり続けるのだ。
思い返せば、研究に没頭していたあの頃、今以上の絶望を味わっていた。
それでも、私は生きていた。
社会に出てから、苦しみが苦痛になった。
社会から遠ざかれば、何か変わるんだろうか?
まぁ、ほとんど変わらないだろう。
この本を読んでから疑問に思ったことがある。
カフカはどう自分と向き合ったのだろう?
私と同じ人生をカフカが歩んだ時、彼は何を感じるだろう?
カフカ研究、それこそ今の私には憂鬱極まりなく、最もやってはいけないことかもしれないが、絶望の先輩がどう人生を歩んだのかが知りたくなった。
どうせ手つかずになるのだろうが、誰も傷つけない約束だ。
守れなくても大きな問題はない。
自分とカフカへの罪の意識に圧し潰されるかもしれないが。
「絶望名人カフカの人生論」は有意義な時間を私に与えてくれる一冊だった。