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「宇田川源流 日本万歳!」 アルツハイマーの治療薬が日本の会社の共同研究で開発された陰の努力と勤勉さ

2021.06.13 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 アルツハイマーの治療薬が日本の会社の共同研究で開発された陰の努力と勤勉さ


 月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本のすばらしさを考え、そして広めてゆきたいと思う。日本人というのは何分、謙虚であることに美徳を感じているのであるが、そのことからいつの間にか自分たちの素晴らしいこと灘を誇らしげにいうことをあまりせず、他人をほめたたえる言葉ありしてしまっていて、自信喪失状態になっていることも少なくないのである。

 もちろん自意識過剰はあまり褒められたものではないし、また、そのことによって恥をかくよりは良いと思っているようであるが、他国、特に日本の近所の国々などを見ていると、他国の功績や開発まで自分のものであるかのように嘘の主張を繰り返して悦に入っているようなところもあり、そのことによって摩擦が起きてしまっている場合も少なくない。その摩擦が日本に向けられ、それまで主張していなかった日本がなぜか不利に扱われたりすることが少なくないのである。

 何か事件が起きてから「本当は」などといって、何か嫉妬をしながら主張をするくらいならば、初めから謙虚などを捨てて、本来の自分の功績を、等身大で主張すればよいのであろう。

 「謙虚」というのは、単純に控えめにするということではなく、そのことによって上下関係などを円滑に押し進め、集団としての全体の利益を最大限に諮るということを目的とした「利他」行為であり、何も「自信喪失や必要以上の摩擦や嫉妬の感情」を生み出すことではない。同時に、そのことは「隠れている人も正しく評価してくれる存在」がしっかりとあることが重要であり、その存在もないのに「謙虚」を主張するということはおかしな話なのである。単純い「謙虚」はある集団がありその集団の中に上下関係や管理体制がしっかりしていること、つまり身分性がありその身分制を持ったヒエラルヒ集団がその集団としての最大の効果を発揮するための行為が原点であり、そのことを忘れてしまい、評価も集団も見えない状況で話をすること自体がおかしな話なのである。

 その方な意味で「正当に自分の評価」をえるための主張をしなければならないし、また日本人はその主張をすることに対して、常にどこを切り取られてもおかしくないように努力を怠ることはできないのではないか。

 何よりも重要なのは、謙虚であることよりも、自分に恥ずかしくない行動をとることであるということが重要なのではないかという気がするのである。

アルツハイマー病の新治療薬米FDAが承認 エーザイなど開発

 アメリカのFDA=食品医薬品局は7日、日本の製薬大手「エーザイ」などが開発した、アルツハイマー病の新薬「アデュカヌマブ」を承認しました。アルツハイマー病の進行を抑制するとされる薬の承認は世界初です。

 FDA=食品医薬品局は、製薬大手の「エーザイ」と、アメリカの医薬品メーカー「バイオジェン」が共同で開発したアルツハイマー病の治療薬「アデュカヌマブ」を承認したと発表しました。FDAによりますと、「アデュカヌマブ」は、脳内で認知機能を低下させるとみられるたんぱく質「アミロイドベータ」に働きかけるもので、認知機能の悪化を抑えることが期待されています。

 アルツハイマー病についてはこれまで症状を一時的に和らげる薬はありましたが、進行を抑制するとされる治療薬の承認は世界で初めてです。今回の承認についてFDAは、「患者に対し新薬がもたらす利益がリスクを上回ると判断した」としたうえで、承認後にも追加の治験を行うよう求めています。(08日01:55)

2021年06月08日 03時29分 TBS

https://news.nifty.com/article/world/worldall/12198-1101182/

 さて、そのように正当な評価をするということ、自分に恥ずかしくない行動をとるということは、そのまま、自分の中における努力や研究を常に行うということになる。あまり宗教的なことを言いたくはないが、日本の場合は、そのように不断の努力と研鑽を積み重ね、勤勉に物事を対処し、また、人間だけではなく、すべての事物に対してそれら真摯に受け止めて、敬意を払うということができる民族である。単純に、多神教であり現象に対しても神がいると考えるということは、その現象などに対しても、その恩恵をしっかりと享受することがd家いるということになるし、捨てる物などはなく何でもをすべて対等に扱うことのできる才能が存在するということを意味しているのである。

 さてそれは医学や研究のことにおいても同じで、アルツハイマーということを「病である」と認識した瞬間に、その原因を図り、そして、その原因に対して対応を行うということになる。当然に人間の中のたんぱく質に対して、神があるとは思っていないかもしれないが、しかし、その中における研究を吸うという行為に対しては、神が宿っていると考える。そのような所にも神が宿るという考えそのものが、まさに、新たな発見を生み出し、そしてその新たな発見から、次の対処方法を産むということになるのである。

 日本人は医学に関する偉人が多い。野口英世や北里柴三郎などもそうであるし、現代に生きる名医も世界的に有名な人も少なくない。また、へき地医療などを行い、世界の人々を救っている人も少なくないのである。それは、まさに「捨てる命はない」というような命に対する真摯な態度が、そのようにしているのではないか。消えかけた命に対して、その命を救うということに全力で取り組む、ある意味で「命が消えることを運命として処理する」ことができない多神教ならではの価値観がそこにあるのではないか。

 もちろん私は医師でもないし研究者でもないのでその深層心理まではよくわからないが「医師として、人の命を救うことにためらいがない」というのは、ジャーナリストカメラマンが、カメラを構えた瞬間に恐怖心を忘れてしまうというのと全く同じなのではないかと思うのである。

 さて、前置きでほとんど終わってしまったが、ハルツハイマー認知症ということに関しては、日本では広く「老人ボケ」という単語が存在しており、そのことから、あまり病気としての認識がなかった。しかし、近年それらの認知症という病気に関しての「病気としての認識」が存在することがあり、その研究をずっと行ってきた会社やチームが存在する。それはコロナウイルスが猛威を振るっている中でも止めることなく不断の努力を行い、日本人の勤勉さをもってそれらの対処を行っていたということになる。

 そのうえで、これらの内容に関して言えば、個人が報道されるのではなく、チーム(企業)として認知されることも日本らしい内容ではないか。まさに、「命」に対して、または「病気」に対して、その現象に取り組むことが最も重要であるとする、日本人の価値観と他の災禍に対しても負けないで努力を継続する日本人であるから成し遂げたものではないかと思うのである。

 やはり日本人のすばらしさが際立っているのではないか。