Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

大王対女帝30-フリードリヒ大王崩御

2021.06.14 11:28

1786年8月17日、プロイセンのフリードリヒ2世が崩御した、74歳。啓蒙専制君主として一世を風靡した王であるが、その結果としてのフランス革命を見ずにすんだ。王は国土を2倍化してプロイセンを一流国家にしたが、それは戦争と巧妙な政策のおかげであった。常備軍は22万人に膨れ、軍事国家となった。

王は、神の前に人間は平等を唱えたが、実際は貴族の特権を擁護し、課税をしなかった。こうしてプロイセン独特の土地貴族、ユンカーに基づく国家ができあがり、農民は土地を所有できず、農民裁判権もユンカーが持っており、ユンカーは将校と宮廷に進出した、ん?啓蒙って何?

王は、学芸を振興し、自ら著作し、フルートを吹く文人だった。サンスーシ宮殿は音楽家が集った。しかし、この時代から盛んになるドイツ音楽やドイツ文学も、プロイセンではなく、むしろ小さな領邦国家が生み出し、ドイツ圏での音楽の本場はウィーンになってゆく。

王の後を継いだ息子フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の時代にフランス革命が起こり、2世は啓蒙主義を抑圧し、軍事を拡大した。そしてプロイセンはドイツを飲み込み、ドイツ帝国ができあがる。晩年のフリードリヒ2世は孤独だったらしいが、彼は国と文芸の理想の狭間に行きていたのかもしれない。