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聾史を探る

吉田松陰が江戸に滞在した時期と杉敏三郎に絵草子を送った時期

2016.12.31 21:00

1851年(嘉永4年)


1852年(嘉永5年)


1853年(嘉永6年)


1859年(安政6年)


 年表を作成して、見直してみると吉田松陰は1851年(嘉永4年)に江戸に長く滞在しているにも関わらず、絵草子を送る事を思いつかなかったようだ。当時の吉田松陰は杉敏三郎に言葉を覚えさせるには絵草子が有効であるという結論には達していなかったと見ていいだろう。

 絵草子を送ったのは谷三山と出会ってから4~5か月後の出来事であり、長崎へ発つ3日前という慌ただしさも感じられる。絵草子を送るまでの間に多忙の日々を過ごしたのだろう。絵草子を送ってから2ヶ月後には杉敏三郎は字を書ける様になってきたのだから、吉田松陰は兄としての喜びを爆発していたのは容易であろう。

 1853年(嘉永6年)には10ヵ月ぶりに自宅へ帰り、家族に対し、谷三山と出会った事、谷三山から杉敏三郎の教育についての助言を詳しく説明していた可能性が考えられます。現在の聾教育においても聴覚障害児の指導について電話や手紙やメールでやりとりするよりも保護者に直接対話した方が効果的である事を考えるとこういう流れになるのが自然かと思う。


参考文献