市民調査から市民計画へ
「四半農工漁X」のやりとりで用いた図表などがこの論文にもあるので、論文そのものを載せておきます。結局、まちづくりや身体計画の中心となるものを恩師末石先生の論考をお借りしながらまとめたものになります。ワークショップなどの問題点と、そして身体性、計画言語としてのパタン・ランゲージについて論じています。今の自身の考えの中心になっているものでしょうか。たぶん。
※もしも引用する場合などは公表版の下記をご参照ください。下記はドラフト?のものです。確か最終稿に近いと思うけれど。pdf版はこちら。
近藤隆二郎(2007): 市民調査から市民計画へ, 環境社会学研究第13号, 48-70.
市民調査から市民計画へ
参加型と称される計画づくりの現場では、「ワークショップ=正当な参加」という暗黙の了解があるため、ワークショップそのものが目的化してしまう危うさや、結果として、生活感と乖離した抽象的なビジョンが決められていく傾向がある。形式的な参加に行政も市民もが妥協しているとも言える。市民が何らかのかたちで継続的に「かかわる」ことができる計画が必要である。そのためには、決定と所有が必須となる。末石冨太郎が言うように、何をさせられているかがわからない=何が可能かがあいまいなことにも問題がある。その絡み合いを紐解くことが市民調査の必要性でもある。また、現場へのかかわり(実践)をいかに共有していくかが鍵となる。抽象的な指針を超えて、そこに具体的なかかわり方を導き、体験していかねばならない。
そこで、身体的参加を提起したい。身体が地域にどうかかわるかを捉えたい。正統的周辺参加として、「身体で覚える」学習プロセスを重視したい。身体パタンのデータベース化と、計画に基づく新しい身体パタンとがどう関係するか、どう体得されていくかによって、計画の実効性が左右される。民俗学や社会学が蓄積してきた、ライフヒストリー的あるいは文化生態学的な蓄積もあらためて身体パタンとして解釈すれば、この身体的参加データベースに寄与することができる。
ここで専門家に求められる役割は、[1]いかに現在のシステムが絡み合っているかをひもとく役割、[2]身体のパタン・ランゲージを見いだす役割、[3]創発する場をコーディネート/メディエートする役割、である。
キーワード:市民参加、参加型計画づくり、身体的参加、パタン・ランゲージ
1.「参加型でお願いします」
とくに専門分野として強調しているわけではないのだが、各種行政の委員会や関係団体の会議等で委員(長)を依頼されることが増えてきた。また、「五環生活」というNPO法人も立ち上げて代表理事となり、研究者というよりは経営者的な立場で地域にかかわることも多くなってきている。実践者的な立場や経験から今回の「市民調査」というテーマについて考えてみたい。
まちづくりや環境基本計画、身近な環境づくりなどにかかわっていると、「参加型でお願いします」「今度は従来の会議型はやめてワークショップ型でワイワイやりたいんです」などと依頼されることが多い。市民参加あるいはワークショップという概念が行政等にも浸透していることが実感できる。ただ、あくまでも依頼であって、担当者自らが参加プログラムの企画進行等を担うことはほとんどない。立場や役割分担における混乱や迷いが見て取れる。このような結果として、実際に市民を交えたワークショップ手法で進める計画づくりに携わることも多い。ただ、何となくその動きの“危うさ”も感じている。
1.1.参加型計画・ワークショップの危うさ
(1)ワークショップは計画づくりなのか?
「参加」といっても、その問題に関係する関係者(ステークホルダー)全員が一同に集まって参加できるわけではない。さすがに“動員”という形態は近年では少なくなったものの、参加者層は、町内会長といった組織代表者や関心のあるNPO関係者などの層に限定されてしまうことが多い。そのような、あくまでも特殊層に閉じられた中でワイワイと決められていく場には、そもそもそのような場が苦手で嫌いな人の声は反映されない。市民の意見を汲み上げる役割を持つ組織でもある自治会も、出席してみればわかるように、発言しにくい雰囲気である。それなりのグループワークでできあがるアウトプットには、それなりに満足することが多い。「ワークショップ=正当な参加>従来の手法」という暗黙の了解があるため、そこで決まったことには異議を唱えにくい。このような事態は、ワークショップの専門家にも「ワークショップの危機」として認識されている。「ワークショップ=参加のような錯覚は禁物」や「ワークショップ=合意形成という期待も錯覚も禁物」など述べられている(木下,2007:216-217)。
この方向で大丈夫だろうか。ワークショップについて論じる書籍等では、上記のような危機を指摘した上で、運用の留意点や限界について述べている。PI(パブリック・インボルブメント)や公聴会、パブリックコメント等の参加手法ツールは多数用意されつつはあるが、「参加の梯子」(1)で理想とされる「住民によるコントロール」にはまだまだ遠いのが実感ではないだろうか。
また、ワークショップに慣れている人たちがかかわる計画は、「上手いもの」「まとまったもの」となりがちである。私自身も含めて、ワークショップという時空間では、最後に“きれいにまとめること”を目指してしまう。コンサルタントや専門家がかかわるとさらにそれは助長される(2)。でも、アウトプットがきれいにまとまっている必要は本当にあるのだろうか。ワークショップそのものが目的化してしまうのである。手段のひとつであるのに、達成感が生じるために、自己目的化してしまう。出した結果がどこに反映されるかが不明瞭なことも多い。
私自身もワークショップを実践するときがある。その理由は、数多くの創造的な意見を全員から引き出すためである。口下手な人からもポストイットを通じて意見が欲しいためでもある。ただ、結果的には、全部のポストイットをアウトプットに活かすことは難しい。ポストイットに記した瞬間に、書いた人の人格や生活とは切り離されてしまう。ポストイットとは、意見を出す道具のようにとらえられるが、ある意味で、むしろ意見を主体から切り取る道具なのかもしれない。
(2)生活との乖離
計画との関係で言えば、参加者が発した意見群がアウトプットを通じてどこまで発言者自身に反映されるのか(フィードバック)が明確でないことが多い。つまり、“適当な”意見をその場で出すことも可能だし、まとめた計画が動き出したとしても、自分の意見がどう反映されたのかが全くわからないために、その計画自体にも関心が薄れてしまうこともある(計画へつながらない)。責任やかかわりが見えにくいとも言える。
2001年度に「彦根市エコ2(エコロジー&エコノミー)自転車とまちづくり委員会」の委員長を引き受けた。彦根市の自転車施策についての提言を作成する委員会で、予算削減の中、ほとんど手弁当の状態でコンサルタントも不在、やむなく公募市民を中心とする委員全員でコンサルタント的な調査分析を行い、『自転車のまちづくり推進に関する提言書(2002年6月)』としてまとめあげ、市長に提言した。が、その後はどう市政等に反映されたのかが不明確である。何も反映されていないようにも見える。この委員たちは確かに計画(提言)づくりに主体的に参加していた。受動的な意見や単なる批判を言うのではなく、積極的な意見や調査(アンケート調査や不法駐輪監視)等を自らがおこない、提言内容もあるレベルのものができたと評価している。2002年度も第二期委員会を立ち上げて、より実践的な提言書をつくったものの、その後はどのように施策に反映されたのかが疑問である。サイクリングマップ作成の委託事業が生まれたものの、それ以外の広がりは説明も無かった。今思えば、委員長の立場として行政側の反応を引き出しておくべきであったと自省している。この提言の策定作業においても、「提言らしく作る」という意志が働いていたと思う。つまり、いかにもコンサルタント業者がつくるような体裁でつくっていった。これは、先行事例を参照にしながら、行政が反映しやすいためという意図もあったが、逆に言えばその過程で公募委員である生活者の意見をそぎ落としていった面が指摘できる。実際、ある公募委員が「家の前に放置自転車が捨てられるのはどうしたらよいのか」といった意見を会合ごとに繰り返して出してくるので、進行役としては、内心ちょっとそれは細かな意見なのだがと扱いに困った記憶がある。つまり、生活者の感覚をそのまま提言(計画)に活かすことが難しいのである。
こういった計画や提言づくりの現場では、生活者というよりも、専門家的な意見が求められており、生活感と乖離した抽象的なビジョンが決められていく。そのことは、総合計画や各種計画の表現を比較してみるとよくわかる。ほとんどが同じような言葉が並んでいる。本来は、地域や住民で違いがあるはずなのに、計画上には同様の表現が並んでいる。実は細かな差違やひとつの単語に重い意味がある場合も多いが、それは一般市民にはほとんど理解不能である。計画策定プロセスや裏付けとなる法制度にも問題があると言えよう。計画を地域社会からくみ上げるのではなく、国や県あるいは他地域を真似したり指導や法制度に基づいて作られる。これでは、全国画一的な街にならないはずがない。
生活との乖離はかなり根源的な問題である。環境基本計画や都市マスタープラン、バス路線計画、福祉計画といったものに市民が参加する場合、自分の立場をどうとらえるかが問題になる。公募市民として出てきた方は、市民代表としての生活信条を代弁するが、といって必ずしもその人の生活と密着するわけでもない。密着すると個人のエゴとしてとらえられてしまうので、バランス感覚が求められる。ここに、計画と生活との乖離が指摘できる。
できあがった計画と生活とのかかわりを実感することも難しい。再開発や道路計画などなら実感できるが、その他の計画は「指針」であって、指針後にの具体的な施策までにはタイムラグがあってわかりにくい。逆に、勤務先の会社などの計画づくりにかかわることは当然であり、熱が入る。なぜなら、収入(給与)や業務に直結するからである。「参加が形式的だ」と批判しても、その矛先は行政だけに向けられるものではない。参加と責任とは表裏一体なのであり、もっとかかわりたいならば、当然そこに責任が生まれる。市民側も面倒くさいことは嫌なのである。つまりは、行政任せが楽であって、そこに、形式的な参加という両者の妥協点がある。計画が市民参加型になったといっても、どこまでの主体参加になっているかははなはだ不透明である。
1.2.参加と調査・研究へ
参加が生活と乖離してしまう状況にある場合、見落とされがちなのが、参加の前提として必要な地道な調査である。ワークショップなどのアイデア出しの現場は、集まった人がそもそも対象地域を熟知していないという可能性も高く、そこから出てきたアイデア等プランが現場と離れてしまうこともある。もちろん、ワークショップ自体が長期にわたり、かつよくプログラムが練られたものである場合、調査やフィールド体験が含まれている場合もあるが。
しかし、まだまだ市民調査の取り扱いが、計画づくりで反映されることはそう多くないように思える。市民調査というものが未だ専門家の持つ体系に位置づけられる中で評価されるために、調査精度や解析などの点で、市民の学習として位置づけされることが多い。ホタル調査や水質調査などは素人でも参加できるという点で広範囲で実施されており、毎年膨大なデータが積み重っているが、集積や報告にとどまり、その後いかに活かすかが課題である。逆に、データの精度としての扱いではなく、地元学といった主体形成的な視点からの市民調査への取り組み方が評価されている。
熊野古道を世界遺産にする活動をしていた市民団体にかかわっていたことがある。この団体では、世界遺産登録を目指すために、陳情や署名といった政治的な運動が選択されていた。ところが、熊野古道といっても普通の一般国道の部分もあり、世界遺産登録も含めて、どのような古道であるべきかという将来ビジョンを議論して共有化することが必要と考え、全員で古道踏査を実施する提案をした。単なる調査では面白くないので、「五感マップ」調査を提起して実施した(近藤・小野田, 1998)。五感マップ手法とは、視覚(Land Scape)、聴覚(Sound Scape)、触覚(Body Scape)、嗅覚(Smell Scape)、味覚(Taste Scape)の各感覚から現地調査を行う手法である。素人だからこそ可能な、身体感覚を用いた調査として進めた。このデータが集積して活かされる前に、熊野古道は政治的な動きの中であれよあれよという間に世界遺産へ登録された。現在、その登録後のあり方をめぐって、沿道住民と行政との合意形成等で様々な問題が生まれている。
私たちは、チャールズ・A・ライクが言うように「システム社会」をつくりあげてきたため、無意識に無責任に生かされる自由を得ている(Reich, 1995=1998)。このような前提に立つと、市民調査の持つ意味が変わってくる。調査が専門家に独占されてきた時代には、市民は専門家の解釈を鵜呑みにするだけであったが、専門家がシステム社会の先鋒であるとするなら、再度現場から生活感覚からの視野に基づく、先行事例に縛られない市民調査が必要となる。
そして、専門家の問題がクローズアップされる。専門家は自分の専門分野を際限なく分節化し、そこを追求することを志向する。専門以外のことには目を向けにくい。そこで、土木学の専門性から市民研究の必要性を説いた末石冨太郎に注目し、参加と専門の意味を再認識したい。論点としては、「①参加として何を求められているのか」「②計画と参加とはどのような関係なのか」である。
2.環境学としての「市民研究員」の発想-末石冨太郎の論考より-
2.1.末石冨太郎(1931~)について
末石冨太郎は、衛生工学という土木工学の分野に限界を示し、相対としての環境学を提唱した。京都大学工学部衛生工学科教授(1967-1975年)、京都大学経済研究所教授(1973-1977年)を経て大阪大学工学部環境工学科教授(1974-1991年)。京都精華大学人文学部教授(1991-1995年)を経て(財)千里リサイクルプラザ研究所長(1992-2001年)、滋賀県立大学環境科学部教授(1995-2001年)。工学の立場から「市民研究員」へ至る市民からの発想を早くから持っていた。1977年という早い時期から「大学と地域の結合(URECS)」を提唱し、1992年に(財)千里リサイクルプラザ研究所を設立、市民研究と環境ネットワーク形成の実験を開始した。土木学会環境システム委員長、日本リスク研究学会会長、社会・経済システム学会副会長などを歴任。環境社会システム、環境惰報論、リスク管理など環境学全般を専攻。著書には『都市環境の蘇生』(中公新書)、『水資源危機』(日経新書)、『環境学への道』(思考杜)、『都市にいつまで住めるか』(読売新聞)、『環境学ノート』(世界書院)などがある。土木から、経済、人文学へと一貫して環境学を体系的にとらえようとしている。その800以上にも至る膨大な著作の中から、計画、参加、市民という関係で述べている箇所をに注目して見ていく。
2.2.計画と参加
(1)真の計画とは
末石は京都大学工学部時代に、日本万国博覧会における上下水道計画(実験・実践)に携わっている。この万博計画にかかわったチームの同僚として、川崎清(当時は京都大学工学部建築学科)(3)や上田篤(当時は京都大学工学部建築学科)(4)がいた。彼らとの協働作業を通じて、具体的なフィールドにおける計画と実践に関しての経験を豊かにしている。専門である水道については、1960年代から市民の立場について言及している。専門家や技術者に対して、水道計画を机上でコントロールするのではないと述べ、「コントロール」と「計画」とを分け、「本当の計画」について論じている(末石,1968)。とくに、末端としての市民が、汚染者自らの立場としてコントロールするシステムについても述べている(末石冨太郎他6名,1968)。そこでは、計画に参加するといった受動的な意味ではなく、むしろ計画を取り込むという視点を唱えている。その意味で、市民の情報網として当時のコンピュータに注目していた点は、現在のインターネットの状況と比較して興味深い。ここでいう情報とは、水使用量など家庭生活と供給源とをつなぐものであるが、未だ現在そのようなフィードバックを持つシステムは整備されていない。
また、計画は「指針」と理解されることが多いが、それでは広く遠く抽象的すぎるのではないだろうか。末石らが「環境容量」概念を提起しているのも、「まず人口と産業のフレームを決めて」(末石,1973)から計画プロセスが進むというトップダウン的なプロセスへのアンチテーゼという意味も持つ。市町村という大きなかたちがあってから、居住地の姿が見えるわけではない。自分の住んでいる地域の環境容量を考えることで、その積み重なった総体が市町村になるという。このプロセスは、従来の「目的合理モデル」に対峙して「形態合理モデル」として示されている。このモデルを考えていくと、計画とはマスタープランから細かく分割していくのではなくて、小さな地区計画のようなパッチワークの集積体が計画ということになる。
「計画」と「分析」とは違うという論は、工学的な専門技術者が分析には長けているのに、計画という現場になかなか踏み出さないという指摘にもつながる。「計画とは、誰が何のために、どのくらい時間をかけてやるのか、しかも計画によって影響を受ける全ての人々が、その意志決定をする。」(末石,1977b:254)と述べられている。また、「市民支援型公共関与計画」(末石,1978:263)という表現も用いている。「所与の目的を信奉して分析的研究を続けると、無限に細分化された学術的価値は生まれ変わるかもしれないが、それはやがて現実から遊離する。分析対象の境界を有限化するかわりに、新しい境界価値評価を含んだ仮説の定立・実証が必要である。」(末石,1977a: 247)とも述べている。計画とは、行政計画としての限界から、むしろ責任と関係主体をもつ現場における発想として捉える必要性を見ることができよう。
常に通説をくつがえす論旨を攻撃的に社会や学会、業界に投げかける末石の姿勢と往時の状況から考えると、この発言の先にある当時の計画が、参加や決定が、机上と学会に隠れ混んでしまっていることへのいらだちからの発言ではないだろうか。その一方で、まちづくりという運動概念の萌芽もはじまっていることを承知した上で、工学・技術体系からの転換をはかろうと考えていたのではないだろうか。
(2)市民の覚醒を!
末石論の特徴は、市民へ対する厳しい姿勢である。とくに、近年のやわらかな市民参加とは異なり、行政がやさしくなるのではなく、むしろ市民こそが技術者に追いつく程の知識等を身につけよと言う(末石,1969)。「何をなすべきかではなくて、何をされているかをわかるべき」(末石、1979)という言葉が示している。技術行政の実態を身にしみて知っているからこその言であろう。
また、主張する立脚点が徐々に行政マンや技術者よりも、市民そのままの生活感を大切にする方向へ変わってきている。これは、末石がトヨタ財団の「身近な環境をみつめよう」研究コンクールの審査員を担当する中で「三世代遊び場マップ」や数々の市民活動の息吹を肌で感じ、その可能性を認めていったからであろう(5)。ここから、「環境人文学」を提唱する萌芽がはじまったとも思われる。そして、生活感覚と工学との重なりとして、「家政工学」という提案もおこなっている。このあたりは、環境家計簿の開発提案とも連動し、生活協同組合における身近な環境づくりの息吹を体感していることも関連するだろう。今までの工学技術体系では見出せないような発想にふれることで、その可能性をとらえたのである。
参加する市民の素質や学習過程への言及は現在の計画論にはあまりない。高学歴化で見えにくくなっているのではないだろうか。あるいは、“参加好きの参加者”が参加することで、逆にあいまいになってしまっているのかもしれない。参加から見えにくくなる主体が存在する。
だからこそ、市民調査の必要性である。ここで、データの信頼性をあげて専門的になっていくと、やがては専門家が陥りやすい方向と同じになってしまう。専門化して突き進むことは、思っているよりも心地よい作業であり、自己満足に陥りやすくなり、現実が見えにくくなっていく。「総合化には、素人の参加の方が役にたつ場合がある。」(末石,1978a)や「今や私たちが科学の客観性・普遍的信仰を脱却すべき時に来ているということである。」(末石,1978b)と専門知や科学知からの脱却を示唆している。また、末石が「一件民主的で自由な都市に暮らしているわれわれ市民は、目に見えない情報の壁に閉ざされた囚人同様であることに思い至るべきである」(末石,1979b)といって「家政工学」に着目するのも、生活といった中でのとらえ方からの身近で現場からの発想を求めているからである。ひとつの実践が、(財)千里リサイクルプラザ研究所における市民研究員を土木学会に連れてきて発表させたりしたことである。狭く深く領域を分節化している学会へのアンチテーゼであろうか。このような文脈で使われる「環境教育」概念も通常とは異なる。「琵琶湖をわれわれの環境として接触できるとしたときに、その環境がよいのか悪いのかということを評価し積極的に表現しうる能力を与えるような教育」(末石,1970)と定義している。
(3)市民研究CITIZENS MANDALAへ
以上のような活動や提言を経て、末石は(財)千里リサイクルプラザ研究所の所長となって、市民研究の実践・実験を開始した。その機関誌である『しみんけんきゅう(CITIZENS MANDALA)』の冒頭に「しみんけんきゅう宣言Ⅰ~Ⅳ」を連載した。下記にその意気込みが伺える(末石,1995)。
市民は専門的に生活をするわけではありません。白分の身のまわりのすべての事柄とボトルの金額(著者注:ウィスキー空き瓶のリサイクルのコスト負担の意味)とその方向を見定める資格をもっているのは、行政でも学者でもない、まさに市民だけだといえるのです。私は自分の家の庭を思い浮かべることで、かろうじて専門家と市民の立場を統一できたのでした。
(中略)
つまり、市民型の調査研究と実際行動をへてはじめて、受け身一方であった市民にも政策援言能力がついてくるのです。これがNGO(非政府機関)型の政策になります。そしてこのような政策は、市民が行政をただ単に助けるような、ミクロな立場の細分化した政策を意味しません。お隣りの家、隣の町内など、同士が互いに援助と監視をしあうような協調が市民的政策になるのです。
政策提言能力を市民がもつためには、政策科学を専門的に勉強することも有利でしょうが、そう決めつけてしまうと、問題の身近さ・遠さを忘れてしまう危険があることは先ほど説明しました。ボランティア性の意味を「自発性」「先駆性」と解釈しますと、私たちが自発的に新しい環境文化・生活スタイルを選びとること、そしてそれを先駆的な政策に昇華させていくこととして、ボランティア型NGOの意味がはっきりしてくるはずです。
表1は、同時期に設立された『NPO法人環境市民』との比較を試みたものであり、ライバルとして見ていたようである。現在では、より多種多様な環境関係のNPOやフォーラムが生まれている。ただ、社会がそのようなセクターを求めることにより、より実践的な活動が評価されるため、「研究」という面がおろそかになる傾向が無いことはない。行政との協働や運営といった面で、コミュニティビジネスの領域に乗り出すNPOも多い。
走り出した市民研究員制度に関して末石は、「現在までの市民研究の経験はまだ2年余でしかないが、これまで研究員じしんも執筆した『研究報告書』(計2巻)と機関誌の内容からわかることは、研究の基礎としての市民的環境情報収集の特徴として、虫の目型・非定義型(日常用語による表現)・生活直結型などが指摘できる。しかし逆に一般市民は、長年情報の受け手の立場に甘んじてきたため、お手軽エコロジー型・行政代弁型・マスコミ情報盲信型などに安住する弊害も残していることも確かである。」(末石,1994:161)と述べている。このあたりに、実際の市民による研究の課題もうかがい知ることができる。現在に至るまでの市民研究員については部外者なので考察は控えるが、初期の専門学会への切り込みといった激しさよりは、地域(吹田市)への地道な展開を重視していることがHP等からは伺える。
2.3.計画・参加・調査
参加の現場が盛んになると、計画との関係が気になる。「まちは、果敢な都市計画と活発なまちづくりが相互に補完し、格闘しながら、時代や環境に適応して変化していくものだ。片方では計画が必要であり、片方では計画にあまり意味が無い。」(松波,2005: 245-246)と、計画とまちづくりは違うと述べている。確かに、計画を思考する哲学とまちづくりやプロジェクトの感覚はかなり違う。都市計画や環境基本計画、マスタープランなどは、いわゆる行政計画であって、その意味を理解するのはなかなかに素人には難しい。原科らによって、フォーラム/アリーナ/コートといった計画への市民参加の仕組みの整理がされている(原科他, 2005)。
末石が唱えるのは、このような計画づくりの場にも市民が生活知を動員して参加していくというかたちではないだろうか。今日のインターネット上の議論等をかいま見ると、素人ながらに理論的に批判的精神を発露している事例を数多く見ることができる。こういった市民側の使用ツールのパワーアップは、確かに末石が夢見ていた時代をある意味では迎えている。
しかし、いかに市民側のツールと情報発信が豊かにかつ先鋭になったとしても、計画のあり方が従来どおりのものでは、形態合理的なプロセスを経ても、計画づくりの現場において、跳ね返されてしまうだろう。このことは、ワークショップや地方分権、市民の政治学といった論述の中にみることができる。末石による市民研究の将来展望は、表2のようにまとめられている。
緊張感のある計画づくりと、それを支える専門家という関係が描かれている。調査や研究が、ひとつの武器として使うこと。安易にワークショップで取り込まれるのではなく、自主的に計画をしていくようなものを構想している。個としての覚醒と形態合理のシステムは、現実的には、現在でも計画に取り入れられているとは言い難い。では、市民計画というものがありうるのだろうか。
3.市民計画論へ
3.1.かかわる計画へ
大切なことは、関係者としての市民が何らかのかたちで継続的に「かかわる」ことができる計画ではないだろうか。計画への「コミットメント(commitment)」が必要となっている。防災や防犯といた安全に関しての計画づくりが比較的かかわりを深くしながら完成していくのは、避難経路や避難所といった問題は身近でかかわらざるをえないからである。形態合理的な計画プロセスを提唱したC・アレグザンダー(6)をあらためてひもとくと、従来のマスタープランについて、「ある総体性(totality)を創造できても、全体性(whole)は創造できず、また全体主義的秩序を生み出し得ても、有機的秩序は生み出し得ない」(Alexander, Christopher,1975=宮本雅明訳,1977:20)と断定している。また、「現在から20年後の環境がどうあるべきかを現在決定すること、そしてその定められた想像上の世界に向けて、漸進的な発展の過程を操作することは、不可能なのである」(Alexander, Christopher,1975=宮本雅明訳,1977:28)として、参加の重要な要素として「創造的支配」と「所有権」を挙げている。つまり、かかわるためには、決定と所有が必要だが、現在の計画は、市民のものとはなっていない。そこが問題である。
私の経験では、計画づくりでは、必ずまとめと称して「抽象化」と「そぎ落とし」がおこなわれる。最後には、“かっこいい”計画としてまとめてしまう。また、きれいな計画をつくりあげた充実感を持ってしまいがちである。計画を生きたものにするには、自分自身とのかかわりをつなぐことが求められる。滋賀県近江八幡市でまとめられた『沖島夢プラン』は、島民ひとりひとりの意見や願いを決してひとつとしてそぎ落とさずにKJ法を駆使してまとめたものである。まとめの表現は決してかっこよくはない。むしろぐちゃぐちゃとして“かっこ悪い”計画である。しかし、島民ひとりひとりが発した言葉のひとつひとつが重いものとして尊重されている。カードのひとつひとつが「創造的支配」と「所有権」を保証しているのだ。
地区計画や字を対象としたミクロの計画は、かかわりの身近さという点で評価できよう。小学校校区程度がまちづくりの領域としては好ましいという意見も現場からは聞かれる。ただし、末石が言うように、何をさせられているかがわからない=何が可能かがあいまいなことに難がある。
良い計画や悪い計画といった評価よりも、かかわりやすい計画シナリオ、かかわりにくい計画シナリオといった評価があっても良いのではないだろうか。インターネット上の自由の意味を論じるコモンズ論を俯瞰しながら考えれば、あえて杜撰(ずさん)に初期シナリオを提示共有し、新たに追加更新しながら徐々にかかわりを持ちながら関係者で創りあげていく(version up)計画が理想的である(近藤,2006)。結果として、パッチワークのような小さな領域から積み上げられる様相になるのではないだろうか。
ただ、現在のところ、計画はかかわったとしても、その後は手を離れてしまう。あの計画っていったいどうなったんだろうという程度のものも多い。そこはもっとクライアントとしての行政もしっかりすべきだし、逆に参加者ももっとフォローする姿勢が重要である。私は常に市民への公表の仕方とその後のフォローについて発言するが、回答はなかなかに歯切れが悪い。積極的とは思えない。つまりは、素案をweb等で目立たぬように公表し、適当に市民からの意見をバラバラに集め、それをふまえた最終案を議会等でいつの間にか承認するというプロセスにも見える。これでは、参加したとしても、その計画は誰のための、そして誰のものかということも何だかよくわからない。
3.2.エコビレッジづくりにおけるかかわりの必然性
エコビレッジ(eco village)は、「お互いが支え合う社会づくり」と「環境に負荷の少ない暮らし方」を追い求める人びとが作るコミュニティとされている。エコロジカルな面で注目を浴びているが、参加と計画という視点でみても参考になる点は多い。私が通っているのは、南インドにあるオーロヴィル(Auroville)(7)という老舗のエコビレッジで、もう30年以上継続しているかなり大規模なものである(加藤・近藤,2000)。エコビレッジに多く見られる特徴は、従来の法制度等をいちおうは切り離して、リセットして理念に基づいて立ち上げている点である。つまり、エコビレッジとしての理念思想があるために、自分たちで新しいルールや制度をつくろうとしている。オーロヴィルでは、とくに1970年代のヒッピー文化の影響を受けているために、逆に言えばルールや法制度をなるべく作らないという習慣が伺える。では、なぜ30年間も継続できたのか。住民は入れ替わるのにいかに計画づくりを進行できたのか。その解明はまだ途中だが、現時点でわかっていることを引き出してみる。オーロヴィルにも、開設者であるマザー(通称:本名はミラ・アルファッサ)(1878-1973年)によるキーホールプラン(key hole plan)が都市計画の基本とはなっている。オーロヴィルへの参加者は、開設者の思想や考え方に共感して世界各地から集まってくる。ところが、基本的な方向性やマスタープランはあるものの、拘束力はそれほど強くない。各部門ユニットはあるものの、何かをしなければならないということはない。参加しようとする者(new comer)は、1年間じっくりと滞在して見て回る中で、自分としてオーロヴィルで何をしていくかを決めていくのである。何かのプロジェクトに参加するのでも良いし、自分で新しいプロジェクトを立ち上げるのでも良い。何でも良い。そこには、マザーの思想も反映されていると考えられる。
「“Don't try to organize, don't try to organize, you're going to fossilize the thing before it's begun.”I wanted it to grow spontaneously like that, with all the unforeseen. 」(Auroville ,?:52)「When the body is subject to rules, even if they are wide and comprehensive, it becomes a slave to these rules, and its possibilities are limited by these rules.」(Auroville ,?:58)
組織化/システム化はなるべく避けるべきという言葉を残している。人という個人を重視しないと組織の奴隷になるとしている。制度をつくってしまうと、人間は制度に使われるようになるという指摘である。つまり、人に応じて数多くのプロジェクトが進行していることになっている。人の出入りと共にプロジェクトが消えていくこともある。
継続という意味では不合理な点もあるが、実感として私たちの暮らす都市との大きな違いが指摘できる。オーロヴィルでは計画にかかわることが必然になっている。あまりにも制度や方針が一定せずによく変わるので、コミュニケーションの場を常に持っていないと困ったことになるのである。そこで、オーロヴィルの人たちはよく共に食べ、話し、議論し、情報を交換している。自分たちの生活にも強く関係することなので、ある意味必死でもある。さまざまなミーティングが多く開催され、ネットやNews letter(『Auroville News&Notes』)上での議論も盛んである。そこに、選択と同時に責任が生じている。オーロヴィルは決して気楽な理想郷ではない。それどころか、今の私たちの暮らしとは正反対で、とても忙しく大変である。かかわって決定に参加していかざるをえないから。
こう見てくると、私たちの日本の都市生活はある意味で楽なのである。かかわることを徹底的に排除して成立しているようにも見える。そこまで官僚制が完成しているとも言えよう。参加という視点でわたしたちのかかわりを進めるということは、いろいろな選択と義務を負うということにもある。そこまでできますかということが求められている。末石は、「わたしたちは選択できない」という現実を見据えた上で、選択の機会を増やすと共に責任が増すことで、苦情だけの参加から真の参加意識が醸成されるとしている(末石,1971)。
3.3.正統的周辺参加
かかわっていくとなると、末石の言う市民の覚醒は否応なしに求められる。暮らしからつくりあげるので、高度な専門知識よりも、生活全般にかかわる家政工学的な知識と発想が求められる。オーロヴィルで、私が出席した建築グループの未来構想プレゼンテーションの場でも、「そんな都市施設が本当に必要なのか」「今重要なのは住宅ではないのか」といった議論噴出であった。長期滞在してみると、計画へのかかわり方を体感することができる。
ここで、「正統的周辺参加(Legitimate peripheral participation)」という概念を用いてみよう(Lave, Wenger,1991=佐伯訳,1993)。学習というプロセスを、徒弟制度や弟子入りといった事例から再構成を試みるものであり、学校における学習とはまったく違うものとしている。言わば、職人という実践の場に弟子入りする場合、そこにいるという段階から参加していく中で、見よう見まねで学習していくというプロセスを評価している。この理論では、実践に参加する場が無い場合には学習が成立しないということになる。現在の計画づくりへの参加の場では、そこで語られている内容の具体的な実践の場が見えにくい。あるいは、参加という場が実践の場とするならば、そこに職人のような参加の達人がいる必要がある。ただしその場合、参加の場に階層構造が生じてしまう。参加という場は初めての人にはとても取っつきにくい場である。ワークショップに慣れた達人に弟子入りするプロセスも考えられなくは無いが、何となく内容がおざなりにされそうである。やはり実践の場としては実社会=わが町と捉えておきたい。このような学習プロセスを、地域の職人技を対象として「丁稚システム」として提案した(図1)(近藤,1999)。
「まずはじめに、新参者の正統的周辺性は彼らに『観察的』な見張り役以上の役を与える。新参者の正統的周辺性が決定的に含むのは、『実践の文化』を学ぶ-それを吸収し、それに吸収される-やり方としての参加(・・)という事態である。正統的周辺性に十分長くいることで、学習者は実践の文化を自分のものにする機会に恵まれる。広く周辺的な見方からはじめて、徒弟は次第に共同体の実践を校正しているものが何かについての一般的な全体像をつくりあげる」(Lave, Wenger,1991=佐伯訳,1993:76-77)。
であるならば、対象としてのまちという現場へのかかわり(実践)をいかに共有していくかが鍵となる。計画という抽象的な指針を超えて、そこに具体的なかかわり方を導き、体験していかねばならない。まちづくりの成功例などの事例を見ていると、案外、毎朝の商店街の掃除や堀のドブさらい、貸し農園の共同作業や消防団といった場が、学びの場として機能していることがある。オーロヴィルの場合でも、参加者が土木工事という現場に入るのか、自然再生なのか、それとも食料調達なのか、計画と共に現場があるのである。生活や生業と切り離された浮遊する参加者ではなく、しっかりと地に足の付いた生活者としての参加者ということになる。
3.4.身体的参加
そこで、身体的参加を提起したい。ビジョンといった空間的なゾーニング表現ではなくて、身体が地域にどうかかわるかを捉えたい。正統的周辺参加も、言わば「身体で覚える」という学習プロセスと言い換えることもできよう。その身体パタンを積み重ねる方法である。行為と空間とのかかわりを計画する。唯脳論を提起する養老孟司が指摘するように、私たちの都市は脳化し過ぎている(養老,2004)。身体知に再度戻らなければならない。参加や委員会が学識経験者がなぜ優遇されているのか。地域知経験者を優先すべきではないか。学識経験者や専門家は知識の専門家であって、そこだけで決定される計画には限界がある。末石が言う生活からの提案も、身体性を重視したものと読み替えることができよう。
身体的参加の場合、学ぶ場が必要とされる。ここに、C・アレグザンダーが提示している「パタン・ランゲージ」(8)がヒントを与えてくれる(Alexander,1977=平田訳,1984)。そこには、まち(空間)と身体との関係のパタンが253事例として蓄積されている。建築デザインとしての紹介が多いが、そのパタンのひとつひとつに注目すると、「71:泳げる水Still Water」「94:人前の居眠りSleeping in Public」「176:庭の腰掛Garden Seat」「185:くるま座Sitting Circle」(※番号:パタン番号)などといった人間行動との関係が強いパタンも多く挙げられている。例えば、「67:共有地Common Land」と名付けられたパタンを見ると、まずは、「近隣を構成する住宅クラスターや仕事コミュニティの内部にも、少数の家族や作業集団が共有する、より私的で小規模な共有地が必要である。」といった説明と共に、「住宅クラスター用地の25パーセントを共有地にし、それが各住戸に接するか、ごく近くにあるように配慮すること。基本は、この土地が決して自動車に支配されないよう、最新の注意を払うことである。」と指針をあげ、そして関連が強い他のパタン群が述べられており、各パタンごとに使いやすく整理されている(Alexander,1977=平田訳,1984:176-178)。このような蓄積があると、計画も考えやすい。身体パタンのデータベースと計画に基づく新しい身体パタンとがどう関係するか、どう体得されていくかによって、実効性が左右される計画となる。アレグザンダーは、この253パタンは単なる原型的なものであり、健全な社会には、たとえ共有され、類似していても、人間の数だけパタン・ランゲージが存在すると述べている(Alexander,1977=平田訳,1984:ⅹⅲ)。つまり、猟師や漁師といった生業にかかわる身体パタンや子どものパタンといったものをストックすることが必要ではないか。身体動作に絞っていくと、L・ハルプリン(9)が集団の創造性に基づく市民参加型プロセスとして提唱した「RSVPサイクル(Resource資源、Scoreスコア、Valuaction価値評価、Performance実行)」に挙げられている「スコア(総譜)」表現がその解釈・翻訳の鍵にもなり得ると考えられる(Halprin;Burns,1974=杉尾,杉尾訳,1998)。ダンスから派生したこのスコアという考え方は、身体と空間との関係、ひいては計画との関係をひもとくひとつの見方を提供してくれるのではいだろうか。
身体からの発想は今までと全く違う解釈を与えてくれる。極端な例を挙げてみると、スケートボーディング(scate-bording)からみた都市論がある(Borden,2001=齋藤,中川,矢部訳,2006)。「スケーターたちが試みるのは、街を『見る』ことでも、全体的なものとして把握することでもなく、街を表現であると同時に、[身体的/物的な]実体のあるものとして生きることだ」(Borden,2001=齋藤,中川,矢部訳,2006:292)とあるように、彼/彼女らにとって、手すりや欄干などは全く別の意味を持つ。機能的な解釈ではわからないものである。まちの使い方に多様性と現場を与えてくれる。脳から開放されると、スポーツやストリートダンスなどもかかわってくる。それらの身体パタンから地域をとらえるのは、実は具象的なまちを見ることができると思われる。南紀熊野体験博で光を浴びた様々な体験リーダー調査(説田・近藤,2000)からは、漁師や農家、炭焼きや木工師、滝ツアーなど、さまざまな身体を用いる先駆者が数多くいることがわかっている。
この身体的参加に段階を考えてみたい。「参加の梯子」に追加して、内面的な意識の段階として「意味的参加の梯子」を示した(近藤,1994)。そこに第三の軸として身体的参加の軸も加えてみる。すると、「型」や「わざ」といった身体所作の過程が重なってくる。「したがって、身体知の獲得とは、身体運動の反復訓練を通して、環境世界の意味を分節化し、いかなる文脈にも即応できる現場感覚をいわば身体感覚として体得することを意味している。とりわけ、『型』にはまると強い、と言われる所以のものは、実践的行為の経験を積むことにより、行為の組織的認知を可能とする身体記憶が培われているからであり、それはまた、『わざがプログラム化され、知覚システムとしての神経回路に、いわば新たな反射回路が構築されたのだと考えることができるかも知れない」(柴田・遠山, 2003:82)とステップが評されている。この身体知の獲得過程について深く言及する余裕がまだ無いが、空手道や剣道、書道や茶道、花道においても、その修行の過程を「守」・「破」・「離」の三段階に分けていることが援用できそうである。最初は型どおりに教えを守り,次に自分なりの発展を試み,最後には型を離れて独自の世界を創り出していく段階である。パタンランゲージが創発段階を持つことも参照できよう(井庭, 2006)。
図2は、このような身体知の位置を示したものである。では具体的な進め方についてさらに検討してみたい。そのまちに長く住んでいる方々の身体パタンを見出すことから始めよう。通勤サラリーマンでは難しいかもしれないが、古老や地域の生業に従事する方(の身体)が、地域をいかに使っているか、あるいは子どもがどのように遊んでいるかなど、あらゆる身体パタンを見いだしてみるのである。その積み重ねから見たまちは、今まで計画という個性を阻害したビジョンから見てきたまちとはかなり違うものになるだろう。河川空間を対象にして、人間行動を誘発するアフォーダンス(10)を抽出した研究(佐々木,細馬,近藤,2003)においても、河川敷が従来とは全く異なる空間として読み解くことができた。五感マップ手法は、その基礎調査としても位置づけられる。民俗学や社会学が蓄積してきた、ライフヒストリー的あるいは文化生態学的な蓄積もあらためてパタンとして解釈すれば、この身体的参加データベースに集積することができる。バリアフリーや交通安全のマップづくりなどでは、その片鱗を見ることができる。ただその場合は、身体の動作(行動)だけであって、身体の文化性までは含まれていない。身体パタンごとの職人技が明らかになったときに、正統的周辺参加としての学習の場が用意されると考えることができよう。
生活臭がない机上の計画においては、想定されている「住民」とは、統計的な平均値の生活を送る人であって、本当の人ではない。末石が「行政は、多数の市民を束にすることで効率のあがる仕事だけをやっているのですし、生産者だって同じことです。だから専門家が栄えすぎると、市民生活は物的にも精神的にも完全に均質になって、何かカスみたいなところしか、自分というものは残らなくなります。」(末石,1995:5-6)と指摘することを身体的参加は変えられるかもしれない。ただ、もう私たちはカスのような生活しかできていないのかもしれないのだが。
3.5.調査の表現
末石は、環境人文学や環境意味論を通して、環境の表現についても重視している。高月紘 (ハイムーン)(11)のゴミック(ゴミ問題をテーマにした漫画)を高く評価していることからもわかる。では、上述の身体的参加の視野に立つと、従来の脳ばかりで考えた計画書の表現には限界がある。大きな問題は、空間と時間の問題である。従来の計画書表現は地図といった空間が主要であり、その工程という意味での時間表現はとてもおおざっぱである。ある時間断面を切り取ることで、その空間の将来像を表現しているに過ぎない。身体を考えると、空間も重要だが、同時に時間も重要になる。スコアは時間軸で描かれている。前述の河川空間のアフォーダンス分析においても、動く行為の表現は、矢印か絵コンテのようなコマ切りの表現などを模索し、いかに表現するかがひとつの課題でもあった。
調査データについても「かかわりやすい」表現の仕方と仕組みが求められる。地域で使える調査結果としては、数100ページA4版の報告書は誰も読まないのではないだろうか。概要版パンフレットを作っても、どの程度伝わるかは不明である。マップ、紙芝居、曼荼羅、キャッチフレーズ、絵、双六、歌、絵屏風などが、身体を媒介として理解しやすいメディアの表現ではないだろうか。
3.6.求められる専門家像
末石は専門家や大学というアクターにも厳しさと提言をおこなっている。まずは、専門の私物化について厳しく弾劾している。アンチテーゼとして「非専門総合化組織」(末石,1970)を挙げている。いわゆる“御用学者”や“お雇い学者”についても批判している。常に言うのは、専門の壁に入り込むなということである。専門は無限に細分化され、研究のための研究になってしまう危惧を指摘している。つまり、有限規定の研究と無限規定の研究と対比させている。何もかもが前提として研究を実験室的に進めるのではなく、現場と対峙しながらクローズして進めるという姿勢を述べている。「城塞を出でて平野へ」とよく使う言葉がそれを指している。
研究というものは、誰も必要性を感じないうちから手をつけておかないと、本当に必要なときに役に立たないものである。社会的に必要性がわかっていて-多分半数以上の人が合意して-行う研究は、かえって全体を悪くするのに加担するのではないか。なぜならば、現代のように縦割り・分業化の進んだ社会では、総合対策を実施することは所詮無理であって、問題に追随して打たれる対策は、必ず別分野の問題の犠牲のうえに成立つからである。(末石,1976)
また、研究者の立ち位置として、環境メディエーター(Environmental Mediator)を紹介している(末石,1987)。ひとつの専門領域に閉じて極めるのではなく、広い視野で現場とかかわるという意味では、ひとつ必要な職種ではある。Mediatorは円卓に付くという意味で、本人の主張をあまり持たないということころは、ファシリテーターと同じだが、むしろ、地域の様々な身体パタンを集積し、その代表者にも手配を行うことが求められる。かかわる計画づくりに求められる人材は、「コネクター」「ファシリテーター」「ストーリーテラー」である。コネクターとは、つないでいく人材である。インタープリテーションだけでなくて、市民と計画とをつなぐ媒介の役目が求められる。ファシリテーターとは、個をスキルアップして場に出てきてもらう役目でもあり、声を出しにくい市民の声を集める役目でもある。身体パタンをファシリテートする役割も期待される。ストーリーテラーは、その知のものがたりを掘り起こして提示してくれる役目。計画づくりの参考やベースになる場合もある。
このような専門家に求められる役割としては、3つが考えられる。
[1]いかに現在のシステムが絡み合っているかをひもとく役割
[2]身体のパタン・ランゲージを見いだす役割
[3]創発する場をコーディネート/メディエートする役割
3.7.臨床型機構としての大学
専門家集団としての大学はどうあるべきであろうか。地域に対する総合学という方向であるならば、知識よりは、身体からつながる方法もある。つまり、医学/生理学としての身体論からの拡張である。身体から環境を考えるのは重要であり、そうなると、健康やスポーツ、安心と衣食住といった視点からの再編成が可能となる。環境基本計画はまさにこの点から再構築すべきではないか。
専門分野を検討した末石は、詳細に分節化されていない医学の体系にたどり着いている。そこから、「専門分野を小さくするかわりに、研究対象の地域を小さくしてみる」「問題を全体としてとらえる」「研究課題は地域からもたらされ、研究成果は地域へ還元される、という双方向の動き」を期して、「臨床型機構」として地域とかかわる大学を構想している(末石,笹田,1981)。それは、URECS(University and Region Educational Complex System)という提案で具体化している(図3)(末石,大阪大学地域学研究会,1982)。ここではその詳細については述べないが、「ふつうの生活者が身近な環境(イエ)でできることを遠くへ放擲させ、その結果を正当化・定形化・研究対象化して専門家の手中におさめ、そして実は、それらが解決できないことを陰伏化したまま政策課題とする。現社会の諸事万端の問題は、このようなパターンにある、とわたしはみる。もちろん、まだ労が多く功は少ないが、上記の中間技術との連動をはかることによって、環境学的地域情報センターを中心としたコミュニティ管理運営システムの青写真を描く段階に近づいた。」(末石,1982)と述べている。
URECSの構想は、末石が開設にかかわった滋賀県立大学環境科学部環境社会計画専攻で一部実現されている(末石, 2001)。そのカリキュラムを、「理論性-実践性」と「多様性-専門性」の軸の中で示してみる(図4)(近藤,2005)。実際の現場における実践や演習から体験的に学習していくものである。所属教員の専門はバラバラであり、知識体系よりは,現場における作法,コーディネーター,ファシリテーターなどのスキルを学びながら,現場としての環境システムに対処していく術を身につけていく方向である。システム理論は多様性と理論性を持ち込んでくるが,環境という現場においては,専門性と実践性が求められる。この間のなかで臨床としての専門知は醸成されていくのではないだろうか。とくに,「知」というストックについて考えると,「専門知」は学会や研究会で集積するシステムができあがっている。ところが「実践知」はプランナー/デザイナーの体験の中にあって,共有化/理論化しにくい。しかし,実践の中で育まれる教育体系にあっては,身体知を含む実践知の共有化,理論化が必要である。また,計画や仕掛けにおける理論化が求められている。その先に「市民計画」がある。その場合の大学や学習機関のあるべき姿は、既にパタン・ランゲージに描かれているパタンが参考になる(表3)。
本論が末石が言うような、専門性に閉じこもっているものなのかどうかは自分でもわからなくなってきたが、参加の現場が脳化されたゲームに終始しがちな状況を、何とか身体という実感世界に引き戻すことを試論として展開してみた。可能性は、実践の中で見えてくるものと考えている。
注
(1)米国の社会学者であるアースタインが整理した住民参加の段階。1.操り, 2.セラピー, 3.お知らせ, 4.意見聴衆, 5.懐柔, 6.パートナーシップ, 7.委任されたパワー, 8.住民によるコントロール、という段階を設定している。Arnstein, Sherry R. "A Ladder of Citizen Participation," JAIP, Vol. 35, No. 4, July 1969, 216-224
(2)ワークショップのファシリテーターでもある石塚は「落としどころ」は「落とし穴」とも述べている(石塚,2004: 44)。
(3)1932年新潟生まれ。1957年京都大学大学院修了後、京都大学助教授を経て1972-83年大阪大学教授。1983-96年京都大学教授。立命館大学を経て2003年株式会社環境・建築研究所代表。1970年に開催された日本万博博覧会では、万国博美術館(国立国際美術館)を設計。その後も美術館や文化会館などの作品を数多く手がけている。京都大学名誉教授。
(4)日本人の生活空間を考究し続けている建築学者、文明批評家、建築家。1930年大阪に生まれる。1956年京都大学大学院修了後、建設省住宅局技官、京都大学工学部建築学科助教授・経済研究所助教授(併任)・人文科学研究所教授(客員)、大阪大学工学部環境工学科教授、京都精華大学美術学部デザイン学科建築分野教授、総合研究開発機構理事(非常勤)、NPO法人社叢学会副理事長、上田篤都市建築研究所主宰、京都精華大学名誉教授。
(5)荻原なつ子氏の本特集に関しての研究会における指摘。2007.6.16立教大学
(6)1936年ウィーン生まれ。1963年ハーバード大学Ph.D 修了。『都市はツリーではない』『形の合成に関するノート』などの著作を持つ建築理論家。1967年に環境構造センターを設立。数々の建築プロジェクトを手がけて脚光をあびる。1977年には、それまでの研究成果をまとめた『パタン・ランゲージ』を著し、まったく新たな建築・都市計画理論を提起し、建築プロセスのパラダイム再構築をはかる。主な参加プロジェクトには、オレゴン大学のマスタープラン、モデスト・クリニック、メキシカリ実験住宅、リンツ・カフェなどがある。また1984年には、埼玉県の盈進学園東野高校を建設。現在、カリフォルニア大学バークレー校環境デザイン学部建築学科教授。
(7)詳細は、http://www.auroville.org/
(8)アレグザンダーは『パタン・ランゲージ』(1977年、邦訳1984年)において、世界各地の都市や建築を見て歩いた経験より、人々が「心地よい」と感じる環境(都市、建築)を分析して、253のパターンを挙げた。一つ一つのパタンには、環境にくりかえし出現する課題とこの課題を解決するのに必要な経験的手法が書かれて整理されている。パタンが集まり、それらの関連の中で環境が形づくられるとされている。各パタンには名前がつけられ、都市全体にかかわるような「大きなパタン」から個室のインテリアにかかわるような「小さなパタン」まで順番に並べられている。パタンの例としては「小さな人だまり」「座れる階段」「街路を見下ろすバルコニー」などがあり、これらは家を建てたり、まちづくりのルールを決める際に役立つヒントにもなっている。日本にもパタン・ランゲージの発想が紹介され、埼玉県川越市一番街商店街や神奈川県真鶴町などで取り入れられている。なお、ソフトウェア開発などにも広く影響を与えている。
(9)1916年アメリカニューヨーク生まれ。シーランチやニコレットモールなどの作品で著名な環境デザイナー。テイク・パート・ワークショップを1960年代から提唱。1990年代になって日本でも市民参加によるまちづくりの現場で広く使われるようになった「ワークショップ手法」の源流とされる。環境デザインの世界に参加と協働をもたらしたワークショップは、「RSVPサイクル」と呼ばれる循環的思考を構造にしながら、集団の中で創造性が創出されていくプログラムを基本としている。
(10)アフォーダンス理論は、アメリカの心理学者J・J・ギブソンが提唱した認知心理学における概念で、「afford」(~ができる、~をあたえる)」と「- ance」の造語。アフォーダンスとは、動物(人間)に対して環境が提供するために備えているものであるとする。すなわち、物体、物質、場所、事象、他の動物、人工物などといった環境のなかにあるすべてのものが、動物(人間)の知覚や行為をうながす契機をつねに内包している(アフォーダンスを持つ)と言える。たとえば椅子は「座る」ことをアフォードしているし、床はそこに立つことをアフォードしている。アフォーダンス理論をシステムや道具、建築など、人工物のデザインに応用する試みはさまざまに行なわれている。※http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/a_j/affordance.html
(11)工学博士。国の公害等調整委員会の専門委員などを歴任。京都大教授として約20年間、研究を続けた廃棄物問題の第一人者。2005年4月から石川県立大学生物資源工学研究所教授。「ハイムーン」のペンネームで、環境をテーマにした漫画も描き続けている。京エコロジーセンター館長。著書は、「ごみ問題とライフスタイル-こんな暮らしは続かない」(日本評論社)など多数。漫画の作品に「ゴミック廃棄物」第1集~第5集((株)日報)、絵本「絵コロジー」(合同出版)などがある。
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