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みずち

2018.06.16 05:34

蟠るみずち鎮める実梅かな  五島高資

Ume calm down

dragon-like beasts hidden

among the leaves        Taka Goto


https://nakanoprint.co.jp/chitanokaze/4seijyu/seiji_05.html 【「山車彫刻にみる聖獣」■龍 】より

 洋の東西を問わず、龍は世界各地でみられる。東洋では聖なるものの象徴とされたが、西洋のドラゴンは悪の化身となる。

 龍の起源は、メソポタミアに発生したとの説や、インドの卍、交龍にはじまるという。いずれにしろ原始の昔から渦巻模様が土器などに描かれているが、そういったものから龍という想像上の動物が誕生したもののようだ。恐竜の化石などから龍の姿を想像したともいわれる。中国の山東省にある山西陶寺遺跡から龍山文化晩期の彩色陶盤が出土、そこに龍が描かれていた。実に紀元前2000年のことである。その起源はさらに遡るであろう。

 龍は元来は水の中に棲む水怪とされた。天に昇る力を備えているという。天高く飛翔して死者の霊魂を天界に運ぶ霊獣なのだ。竜巻は龍が天と地を結ぶものとされた。日本では水の神として龍神と呼ばれた。龍は雲をよび雨をもたらすと雨乞いの神様となる。

 龍の形態は蛇体を基本とする。角は鹿、頭は駝、眼は鬼(または兎)、頂は蛇、腹は蛟(みずち)、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛、翼あるものは蝙蝠(こうもり)に似るという。

 蛇が500年たつと鱗が出てきて、さらに1000年で龍となる。それから500年で角が生え、1000年で翼が出るとされる。その度に龍は変化するので、その名も様々に呼ばれる。

 一般には、鱗のある蛟龍(こうりゅう)、翼のある応龍(おうりゅう)、角のある蚪龍(きゅうりゅう)、角のないあま龍(あまりょう)、天に昇ったことのない蟠龍(ばんりゅう)、水を好む蜻龍(せいりゅう)、火の好きな火龍(かりゅう)、鳴くことを得意とする蜥龍(せきりゅう)などがある。

 最古の龍があま龍で、雨竜ともいう。「みずち」のことで、形は蛇体で蜥蜴(とかげ)に似ている。角がないのが特徴で、尾は細く蒼黄色をなし、濁水に棲む水霊という。この龍が5000年の後に蛟龍となる。

 蛟龍には鱗がある。この龍が鯤鮫(こんこう)を生み鯤鮫がすべての魚を生んだとされる。蛟龍が龍巻をおこし天に昇るのである。この時にはじめて龍に角が生じ、長くて鋭い爪が生えてくる。この天に昇る龍を表現した昇龍、または登龍が、立身出世の関門とされた「登龍門」のめでたい姿である。

 多くの龍の長が蚪龍で角と鱗があり、四脚を踏ん張り雲に乗る姿は有名である。力の主権者として畏敬され神聖視された。

 翼がある龍を応龍というが、応龍が麒麟を生み、麒麟がすべての獣類を生んだとされる。同じ翼がある龍に飛龍(ひりゅう)がある。常に天に在って、雲に乗じて天地の間を飛翔する。飛龍が鳳凰を生み、鳳凰がすべての鳥類を生んだとされる。大きく翼を拡げた飛龍は山車彫刻によくみられる。

 元亀を生んだ先龍(せんりゅう)がある。この元亀がすべての虫類を生んだとされる。先龍の形態については定かでない。

 これまで述べたように、龍が地球上の生物すべての祖とされた。

 神社仏閣の装飾彫刻に様々な姿の龍が登場するが、神社建築に見られる火龍は、この龍がいくところ必ず火焔をおこすといわれる。禅宗寺院の天井絵に円形の龍が描かれている龍は「八方にらみの龍」と称すが、角と鱗と爪がある蟠龍で、まだ天に昇ったことのない龍という。波と雲を伴って描くのを特徴とする。

 剣に絡みつき今にも剣先を呑み込まんとする龍を倶利迦羅龍(くりからりゅう)で黒竜ともいう。不動明王が右手に持った利剣の象徴ともいう。黒竜は火焔を吹き凄じい形相で黒く描かれる。知多市岡田の山車の古い水引に黒竜が刺繍されていたのを見たことがある。おそらく雨乞いの祈りがこめられていたものであろう。

 蒼龍(そうりゅう)という龍がある。春の龍にして、春分に天に昇り秋分に淵に入るとされる。この龍は四神のひとつで東方を守護する青龍のことである。

 鳴くことを好む龍に蜥龍がある。石龍ともいう。日本では蜥蜴を意味する。この龍を天井画として描き、手をたたくと龍がそれに応えて唸るというものだ。「鳴き龍」はこのことから始まったとされる。日光東照宮の「鳴き龍」は蜥龍ではない。

 龍ほど様々な姿形をもった架空の動物はいない。それだけ私たちの生活にも密着しているのであろう。山車彫刻にも、どの山車にも探せば龍が必ずひとつはみかけるものである。古い山車の水引卸繍に龍がよく描かれる。


http://kodaisihakasekawakatu.blog.jp/archives/16241356.html 【諏訪大社祭祀の完全攻略その3 みずち・蛟・龍文の謎を解く 富士眉月弧を見よ】より

井戸尻遺跡藤内と曽利の みづち文大深鉢 

https://ameblo.jp/yuutunarutouha/entry-12605408820.html    【長野県富士見町 井戸尻考古館① 縄文土器 太陽、月、蛇、蛙、人と神話の世界】

みづち、龍の考察

どこから来たか?そのモデルはなんだったか?何を意味したか?その後どうディフォルメされ、タイプ化されるか?同じものが日本以外にも広がったか?太古の人類の想像力はそれをどう描きうつしたか?オリジナル形態の変容 なぜそうなったか?などを簡単に即物的に、人目でわかるようにしてみたい。

みづち 蛟(日本)

日本のみづちと中国のみづちは若干違うらしい。

それはともかく、日本の「みづち」乃至は「みずち」の語解をすれば「水-ち」となり、「ち」とはタケミカヅチとか神の名前の最後にもつくが、オロチ、ツチ、地霊であろうか?水だから水の中の霊的生き物となろうか。

中国にも「螭」と書いてChiがあるので、そこから来たかも知れない。

いずれにせよ縄文人がそれを知っていたとして、ではどう呼んでいたかなどわかろうはずもない。

あとの時代の人々がそれをみずちと呼んだので、縄文土器のへんてこな魚類?に現代の考古学者が「みづちだんべか?」として仮名にしているだけのことで、実際はなんだったのか?そんな生き物が縄文時代にはいたのか?あるいは古代人の絵画感覚で、横から縦から上から下からながめた様子をキュービズム画家やエジプト壁画家のように、組み合わせて描いたものなのか?わかろうはずがない。まあ、しかし太古の人々にはそうした霊感とでも言うか、とっぴな空想力だけではない動体視力が備わっていたということは、誰が否定できようか?

最上段が虺竜文

確かに縄文みづちに似ている

谷川健一は『蛇 不死と再生の民俗』の中で、それが中国の虺(虁)竜文(きりゅうもん)に見える龍であると書いている。

(体内に「←」があることにご注目)

見に行って、記憶して、持ち帰り、土器に描いてみたら、日本縄文人独自の能力で、ああいう形になったんだということか?

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朝鮮の虺竜文鏡

 ことらのほうが縄文土器のみづち模様に近い

形は流線型で、くねるから蛇的な、魚的な生き物のようだ。中国の虺竜文も最初は足のない蛇状で、前足が一本、後ろ足が一本ついて龍らしくなる。インドのウロボロスの例では、それ以前は○で永遠だったわけで、蛇をそういう形状にしたいなら三輪山のとぐろ型か、隼人の好きなS字、あとはぐるぐる巻いたゼンマイ、わらび手型にでもなるほかはない。それを天才的西洋の科学者メビウスさんはついに人類ではじめて「メビウスの輪型」つまり無限の観念と形象である表裏が出入りする帯を考え付いたわけである。それがのちに文字記号・タイプとしての∞になる。もっともこの記号はそもそも無限大に大きいという意味が最初で、永遠の意味はないが。民俗学や文学で転用しているだけだろうが。右脳のヒトと左脳のヒトでわけると、そういう転用と勘違いが文科系には多いとは言える。昨夜の民放のクイズなどちらっと見ていたら論理で理解する人種である弁護士よりも、天然あほが売りの女性タレントのほうが例えば隠し絵探しなどでは圧倒的早さであり、右脳と左脳の違いだけなのであるが、なかなか興味深かった。文科系をバカにしがちな理科系が意外におばか女子タレントに勘では大敗北するというのはなかなか見ていておもろかった。しかしあの女子、ほんまにやかましい。あれは意外としたたかな女子で、実はほんまのあほではないのだろう。そういうのにテレビの前で自分のあほを棚に上げて手をたたいて大笑いしている視聴者こそがほんまのあほであろうな。

「蛟龍(こうりゅう、こうりょう、蛟竜)、すなわち蛟(コウ; jiāo)は、中国の竜の一種、あるいは、姿が変態する竜種の幼生(成長の過程の幼齢期・未成期)だとされる。

日本では、「漢籍や、漢学に由来する蛟〔コウ〕・蛟竜〔コウリュウ〕については、「みずち」の訓が当てられる。しかし、中国の別種の竜である虬竜〔キュウリュウ〕(旧字:虯竜)や螭竜〔チリュウ〕もまた「みずち」と訓じられるので、混同も生じる。

ことばの用法としては、「蛟竜」は、蛟と竜という別々の二種類を並称したものともされる。また、俗に「時運に合わずに実力を発揮できないでいる英雄」を「蛟竜」と呼ぶ。言い換えれば、伏竜、臥竜、蟠竜などの表現と同じく、雌伏して待ち、時機を狙う人の比喩とされる。

『荀子』勧学篇は、単に鱗のある竜のことであるとする。

『述異記』には「水にすむ虺(き)は五百年で蛟となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、千年で応竜となる」とある。水棲の虺(き)というのは、蝮〔マムシ〕の一種のこととされる。」

Wiki蛟龍 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%9F%E7%AB%9C

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蛟龍はそのモデルにヨウスコウアリゲーター(揚子江鰐)があげられるがあくまでも一説。

「アリゲーター科では本種のみがユーラシア大陸に分布する。種小名sinensisは「中国産の」の意。和名のヨウスコウ(揚子江)は長江下流域の別名。 日本でも大分県安心院盆地にある鮮新世の地層から本種の化石が発見されている[6]。」Wikiヨウスコウ・アリゲーター

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

縄文時代というとはるかに1万年以上も前のことだから現在とはかけはなれた水棲動物がいたとしてもあながち否定する根拠もないわけだが、もちろん反対に、絶対いたとも言えないことになる。ただし、人類の想像力は、見間違えや柳の枝からでさえ幽霊を考え出す不安定さを兼ね備えるので、長江のワニを見た太古の人がそこから龍を考え出したとしても特に否定する要因もないだろう。それが蛇だったとしてもおかしくもない。

ここで特記しておかねばならないのは、縄文時代後期、鹿児島南部の種子島の広田遺跡では、倭の水人の貝の道の中継地として直弧文の源流かとも見える陽刻の貝製品と、同時に中国の殷・周のものらしき虺竜文を刻まれた貝製品が出ていることだ。

これらは陸稲稲作の南九州伝来との交換物資としての貝輪の存在があったことを感じさせる遺物である。足のある勾玉とでも言うような、やはりうねって、Sを描き、まるで爬虫類の胎児かおたなじゃくしである。またひも状のうねうねしたものなどは、海岸の磯に見られる線虫類のはみあとのようだ。これらは間違いなく北部九州から大和に弥生時代に伝わり、直弧文、弧文、弧帯文に変形しただろう。そのことは次回の木製仮面の回に譲ろう。

さて、こういうよくわからないもの、正体不明のものの形態が、ほぼ太古から渦を巻いていたり、襞を持っていたり、S字にくねるものだったりするのも世界共通のものだと言えるから違和感はなくなる。その観念はほとんどが生命の再生だったり不老不死に例えられる。

インドの哲学でもメビウスの輪のような円形の蛇の図は見られる。「ウロボロスの蛇」という。蛇が丸まって口でおのれの尻尾をくわえている。つまり永遠の形である。

当然それはお隣の中国にも伝播する。きっかけの多くは仏教伝来だろう。仏教だけ取り込めばいいのに、なぜかそこにヒンズーや拝火教の絵柄までもくっついてくる。ここが人間のコレクションの面白いところである。目的物だけでなく、関連物、ときにはまったく反対概念まで輸入してしまう。

日本では縄文後期に陸稲が来るときに、やっぱり稲作技術だけではなく、船舶技術とか青銅や鉄の農具とか、釣具とか、祭祀・儀礼形態とか、ときに龍のような想像の生物の絵柄までもが渡来している。ひとつの伝来には百の付随物がくっつくと思ってよい。そして面白いことに、欲しかった主体よりもそっちのほうがより深く日本の文化の基層にこびりつくことがあったりするのだ。面白いというほかない。人間は好奇心の塊りなのだ。

すると、井戸尻の縄文中期に登場した勝坂式土器の「みづち」の「なんだこれは?」は気になり始める。

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およそ狩猟を生活のこととする人類は、視野が広い。視力もいい。アフリカのブッシュマン=サンやマサイの視力は2・0をはるかに上回って3・0とか4・0といった超人的能力を持つと言う。さらに女性でも、採集と家畜の見分ける能力にも、ひと目で牛の模様を見分ける力があることも知られている。生活に密着した能力は、経験でいくらでも延ばせるようである。だったら諏訪の縄文人も、富士山に登っていわゆる富士弓月弧文帯に広がり延びた扇状地をひとめで見渡し、「あ、まるで蛟龍だなあ」と直感したかも知れない。つまりそれが自分たち種族の住まう領域であると認知し、その形状を土器の模様に?

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「富士眉月弧」とも呼ばれる広大な富士~諏訪湖ラインはフォッサマグナの真上にある。

晴れた日には諏訪湖まで一望できる。縄文人はこの形を見ていたのか?

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待て待て・・・

このみづち文土器のほかの模様にも目を配ろう。

裏側はいわゆるカエル文と呼ばれる目ン玉二つ飛び出した、横手からかえるの足が伸びた独特の模様になっており、ほかにちりばめられているのはなにやら襞のある四角のなんとなく「やらしい」模様で、案の定考古学者もそれを女性性器だと思っているらしい。

学者という生き物はそういうことをはっきりとは言わない。権威があるので、言えないものである。あきらかに男根を示す矢印が女性性器にずばり向かっている絵柄を見ても、その矢印を男根とは書かず、陽物、陰物などともったいぶって表現したがる。どう見てもヴァギナから出てくる胎児の顔なのに、顔面とか人面とか書いてお茶を濁そうとする。「わかるやろ?」的なあいまい世界に実は彼ら自身が悩んでいるのだ。変なことを書けば言葉狩りにあい、どすけべ、変態呼ばわりされかねない、学者って哀れなのだ。そういうタブーを現代の東京の若者やマスコミは、なにかこう、進んで作り上げていっていて、PTAのママ化してしまっている。それは恐ろしいことなのだ。言論規制、戦時中の「伏字」につながりかねないということに気がつかない幼稚な発想であると気がつかないのだ。

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縄文土器の表現は、そんなもの鼻っから問題にもしていない。それは画家の裸婦像なんぞよりよほどダイレクトであからさまである。するとこの壷がいわんとするところは、あきらかに生命の誕生と永遠の希求、歓喜なのであるから、当然、みづちもそういう存在なのである。筆者もあからさまに言ってしまうが、みづちは土器製作者自身の男根なのであり、それを彼ら蛇や龍のような勇猛で、出雲醜男(しこお)のような力強く、健康的で、暴力的で、たくましいと言っているのであり、それが何人もの女性の陰部に突き刺さることで、裏側のカエルのようなわが子を幾人もさずかり、それが自分の子孫を次々にまた生んでいくぞ!という、一族の永遠の強い意思だな、そういうものをこの壷にぶっつけたということなのだ。ほかに何もない。かえるの卵のようなゼリー質の中の目=卵核表現もそうだし、胎児が亀やカエルのように描かれるのも、爬虫類・両生類の多産ゆえである。

では、その絵柄は中国揚子江の流域から彼らが持ち帰った原始虺竜文の絵柄なのだろう。しかしところが、その形状があまりにも諏訪~富士に延びた彼らの聖域に形状が似ていたというのが驚きなのである。

次回、仮面の謎を考古学と民俗学でひもとく。

木製仮面による祭祀は縄文から古墳時代の纒向、さらに紀部のいた村の現代の祭りでもまだ使われている。つりあがる目は縄文土器そのものであり、それが彼ら自身の顔だったわけではない?

おまけ

藤内地名は・・・

「とうない」

藤つる=かづら=差別された敗北者を指す地名。

曽利

「そり」は反。

これも同じ。

井戸尻

同じく

尖り石

これは八ヶ岳を写した縄文の岩

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尖り石遺跡出土

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