シンガポール歴史散歩@Smith street
1887年に建てられた広東オペラの劇場から1800年代後半にはシアター通りと呼ばれていたスミス通り。
当時チャイナタウンに住んでいた広東コミュニティが楽しんでいた場所で、戦前になると映画館に変わってしまったけれど、チャイナタウンの多くがそうであったように、残念ながら爆弾攻撃で被害を受けてしまった。
チャイナタウンでヨーロッパ人にちなんで名付けられた通りは稀だけど、海峡植民地の知事だったイギリス人のセシル クレメンティ スミス卿にちなんで名付けられた。
彼は何年もの間彼ら(ローカル)を恐怖に陥れてきた秘密結社の支配を鎮めるのに尽力した事もあって、とても人気者だったよう。
他にも通りの名前はジョークから来ているとか・・・
イギリス人が地元の人々に道路の名前を尋ねた時、彼らは「See Mee?」と答えた。
イギリス人にとってはSee meって何さ!ぐらいに支離滅裂な答えだったけれど、 でも英語を理解しない彼らにとっては(福建語でSee Mee=「何?」)と聞き返しただけだった。
そんな事もあって、See mee→Smithで、スミスという名前にしたらしい。
スミス ストリートは1901年から1930年まで、少なくとも25の売春宿がある有名な赤窓地区だったそう。 (今でも上を向けば安宿があったりするのね!)
ほとんどが中国人向けだったけれど、日本人向けも2つあったそうだ。 最も悪名高い売春宿は65番地ににあったと言うけれど、今はもう取り壊されてチャイナタウンコンプレックスになっている。
地域を一掃するため1930年以降には売春のための女性の移民は禁止され、合法だった売春宿は閉鎖されたという。
2001年11月と2013年5月にスミス ストリートは再改装され、現在はMRT駅の出口直結のチャイナタウン フードストリートとして知られる屋外ダイニングエリアになっている。