No.2 クーポラのネーミングの理由
2017.01.05 00:41
前回、
レナータ・スコットの、
リサイタルで、
彼女の発声に、
感銘を覚えたことを、
述べました。
今回は、
私がなぜ、
イタリアへ、
行ったのかを、
少し、お話します。
幼い頃から、
私は、
喘息もちでした。
季節が、変わるたびに、
よく、風邪をひき、
夜中に、
発作を起こしました。
気道が詰まり、
空気の中で、
溺れているようでした。
呼吸が思うように、
出来ない息苦しさで、
このまま死ぬのでは、
と、何度も思いました。
肺の奥の方から、
ヒューヒュー、
ゼ―ゼ―、と、
奇妙な音がして、
激しい咳が出て、
胸の筋肉が、
痛くなりました。
しかし、
そんなにも、
激しい発作を、
繰り返しながらも、
私の声帯は、
無事でした。
発作がおさまり、
元気になると、
学校の音楽の時間で、
喜々として、
歌いました。
全校集会で、
校歌斉唱の時、
周囲の皆は、
恥ずかしくて、
小さな声で歌うのに、
私だけがひとり、
嬉しそうに、
大きな声で、
歌っている、
そんな子供でした。
しかし、
私は、
自分の声に、
ひとつ、
不満がありました。
音程が外れることもなく、
濁ることもない、
声だけれど、
音域が、
極端に狭いのです。
「ド・ㇾ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」
と下から順番に、
高い音へ上っていくと、
上の「ド」を、
超えた辺りから、
声が詰まって、
やせた音色に、
なるのです。
曲の中の、
クライマックス部分、
いわゆる、
「サビ」の部分には、
高い音を、
使います。
私の歌は、
曲の「サビ」、
の部分になると、
声がやせてしまい、
響きが、
薄くなりました。
なぜなのか、
自分でも、
よくわからず、
いろいろ、
試してみましたが、
わかりませんでした。
男の子たちが、
裏声(ファルセット)を、
出しますが、
あの声は、
「逃げた声」だな、
と思いました。
私は、
低音や、中音の、
豊かな響きのまま、
高音も、
歌いたかったのです。
解決策が、
わからないまま、
私は、
音楽大学を、
卒業しました。
音量はあるけれど、
音域がない、
その不満を、
抱えたまま、
私は、
歌の勉強を、
続けました。
公立中学の、
音楽教師をしながら、
私は、
大学時代に、
習っていた、
バリトンの、
鈴木先生のところへ、
東京まで、
通っていました。
鈴木先生は、
ウィーンで、
声楽を、
勉強された方です。
先生のお声は、
ドイツの名歌手、
ヘルマン・プライ、
を思わせるような、
甘い音色で、
知性的な、
曲の解釈を、
声で表現出来る、
素晴らしい、
バリトン歌手です。
私は、
大学時代、
鈴木先生のもとで、
たくさんの、
ドイツ歌曲を、
学びました。
大学卒業後も、
わざわざ、
岡山から、
東京まで、
レッスンに、
通ってくる私に、
ある時、
鈴木先生は、
こう言いました。
「地元で、
女性の先生を、
見つけなさい。」と。
こうして、
私は、
師を、
変えることに、
なったのです。
私の新しい、
女性の先生は、
イタリアで、
声楽を、
勉強された方です。
女性の先生は、
最初のレッスンで、
私の歌声を聞くと、
こう言いました。
「自己流の、
くせをとるために、
まず、
ハミングだけ、
をしましょう。」と。
え、ハミングだけ?
と、心の中で、
私は、
その言葉を、
反芻(はんすう)し、
驚きました。
「ハミング」とは、
口を、
ほとんど開けずに、
鼻の付け根の骨に、
声を響かせる、
声の、
準備運動です。
合唱団などで、
発声練習のために、
「ハミング」を、
取り入れている、
ところはあります。
しかし、
「ハミング」そのものに、
こだわって、
練習するなんて、
考えても、
みませんでした。
「ハミング」の他にも、
女性の先生は、
声のための、
訓練を、
私に、
施してくれました。
一年もすると、
私の声に、
大きな、
変化が起き、
楽々と、
高音まで、
出せるように、
なったのです。
いったい、
女性の先生は、
誰から、
こんな、
斬新な、
訓練を、
学ばれたのでしょうか?
それは、
女性の先生が、
イタリア留学時代に、
出会われた、
カヴァッリ先生から、
学ばれたものでした。
カヴァッリ先生は、
オペラの殿堂の、
ミラノ・スカラ座で、
プリマドンナとして、
活躍された、
名ソプラノ歌手です。
私は、
何としてでも、
直接に、
カヴァッリ先生の、
レッスンを、
受けたい!
と、強く思うように、
なりました。
しかし、
私は、
現役の、
公立中学の、
教師です。
生活費を除いた、
残りのお給料は、
すべて、
歌のレッスン代に、
消えて、
貯金は、
ありませんでした。
イタリアへ、
行くには、
奨学金を、
とるしか、
ありません。
そんな幸運と、
実力が、
私に、
あるわけがない、
と、思いながらも、
2回目の、
チャレンジで、
イタリア政府が、
出してくれる、
奨学金を、
得ることが、
できたのです。
私は、
30歳に、
なっていました。
職場の中学校に、
無理を言って、
夏休み前に、
私は、退職し、
イタリアへ、
行きました。
念願の、
カヴァッリ先生の、
レッスンを、
ようやく、
受けることが、
出来るように、
なったのに、
私の心は、
寂しさで、
いっぱいでした。
去年、
(2015年)の1月に、
急死した、
夫と出会い、
お互いが、
なくてはならない、
存在なのだと、
気がついた、
ばかりだったからです。
カヴァッリ先生の、
レッスンは、
科学的でした。
顔の中の、
筋肉を、
動かす方向や、
舌の位置、
口の開け方、
良いお手本、
悪いお手本、を、
わかりやすく、
見せてくれました。
そして、
自分の体の中の、
声が響く場所の、
イメージを、
持つことが、
大切だ、と、
おっしゃいました。
カヴァッリ先生の、
口から、
よく「クーポラ」、
という言葉が、
出ました。
クーポラとは、
ヨーロッパの教会に、
見られる、
玉ねぎのような、
屋根の部分の、
ことです。
玉ねぎの内側は、
高く、
丸い天井に、
なっていて、
美しい天井画が、
描かれています。
その下で、
音を出すと、
実によく、
響きます。
人間の頭蓋骨も、
クーポラのように、
声を、
響かせることが、
できる、
だから、
オペラ歌手は、
それを利用して、
マイクなしで、
劇場の、
隅々まで、
響き渡る声を、
だせるのだ、
とカヴァッリ先生は、
おっしゃいました。
(カバッリ先生と大江利子1993年12月)
1993年の、
クリスマスに、
夫は、
イタリアに、
やって来ました。
カヴァッリ先生の、
レッスンを、
見学した夫は、
私に言いました。
「いつか君が、
日本で、
歌を教える場所が、
出来たら、
“クーポラ”と、
名付けよう。」と。
そして、
私のコンサートで、
お馴染みの、
クーポラマークを、
夫が、
デザインして、
くれたのです。