私の幸せを彩る命たちへ
先日、帰宅すると飼っている猫が息をひきとっていました。
そのちょうど1ヶ月前には、もう1匹の猫が、
そして半年前には、また別の猫が。
半年前に亡くなった子には会ったことはないけど、
12月に亡くなった子とは1ヶ月、
※ご本家は左からミシェル、ビヨンセ、ケリー。
私は昔から、動物の死に目に遭ったことがありません。
幼い私のパートナーだったマル君も、弟だったコロ君も、
そして彼の連れ合いであるまげまげも、くーにゃんも、
彼らが命を終えるその時、私はそばにいることができませんでした。
先月、5〜6年振りに動物の死に対面し真っ先に頭に浮かんだのは
「また一緒にいられなかった」
という、マル君とコロ君の時に覚えた悔しさと未練でした。
またいっしょにいられなかった ?????
一体自分は何様のつもりなのだ、と己の烏滸がましさを恥じた。
そんなまげまげの旅立ちからちょうど1ヶ月、今度はくーにゃんが旅立った。
帰宅したら動かなくなっていたものだから、一瞬で物凄い量の自責の念に駆られた。
またいっしょにいられなかった
もう少し早く帰っていれば、私が早く切り上げていれば…
そんな類の言葉の波にのみ込まれそうになった、いや、一度のみ込まれた。
居た堪れなくなって冷静さを取り戻したくて母親に電話した、ら、出なかったのでメールした。
仮に私がそばにいたら、心臓発作に気付き病院へ連れて行ってどうにかなっただろうか。
仮に早く帰宅していたら、くーにゃんのその時そばにいることができただろうか。
否。
もし旦那様がいない時に心臓発作になってしまったら、ただでさえ不慣れな猫の非常事態にどうすればいいかわからず、きっともっと自分を責めていただろう。
もし仮に早く帰宅できても、きっとくーにゃんは私たちがいない間に動かなくなっていただろう。
母はズバリ欲しかった答えをくれた。頭では十分理解しているからこそ、他人から欲しかった言葉。
火葬に出すまでまげまげをお家で寝かせている間、くーにゃんは近寄らなかった。
まげまげは自分がいよいよ弱ってからは、ベッドの下から出てこなかったらしい。
それが本能だ。
死にゆく自分は弱い。そして死にゆくものを庇うことはハイリスクであり、死んだものは他の命につながる以外道を残されない。
それが本能だ。命尽きるその時は遺されるものから距離をとるのが本来の流儀であり、礼儀のように思う。
祖母の家で飼っていた犬が明け方トイレで亡くなっていた時も、祖母は幼い私にこう言った。
「動物はね、死に目を人に見せないものだよ」
私は "私の人生" という言葉が好きじゃない。
もちろんそれ自体は紛ごうこと無き事実なので、もっと正確に言うと、
"今自分が生きるこの命は私の所有物だ" という価値観が私には無い。
就職して初めてお墓参りをした時、墓地の高台から田園風景を見つめながら思った。
「この命は、ご先祖様の命が幾重にも連なったものだ。
私の人生は、私だけのものではない。」
うちの父は5人兄弟の末っ子だけど、一番上の長男は幼い内に他界されたそうだ。
「もし兄貴が生きてたらお父さんは生まれることはなかったかもしれない」
父の言葉が浮かんで、命の巧妙な巡りあわせに思わず血管がよく透ける己の腕に目をやった。
この命は預かりものなのだ。
脈々と続く、この血にまだ見ぬ命が流れている。
母からの返信にそんなことを思い出した。
彼らの命は、その体は小さく時間としては短いが、何よりも高潔な命。
だからこそ、最期の瞬間にそばにいられなかったことは、彼らからの最大の愛情表現なのだろう。
それは私ごときが立ち入ることができる領域ではなく、何よりも巧妙な命の采配でしかない。
であれば、粛々と事実を受け容れることがこの尊厳に対する最大の敬意。
私という命がキラキラと輝くその中で
11年をマル君、17年をコロ君
1ヶ月をまげまげ、2ヶ月をくーにゃん
ほんの一瞬、あなたたちと共に命をお預かりできた時間が、私の人生にこの上ない豊かさと学びをもたらしてくれました。
私はその彩りを心から有難く、そして大切に思います。
ありがとう。