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【神】ここは、生きがいの里

2021.06.20 01:16


《福井つよきさんのFacebook投稿から引用》


人生の節目節目で

大切な決断をしてきた


その"決めた思考"は

一体どこから来たのか?


本当に自分で決めたのか?


"聖なる全体"の

バランス中で

自動的に

心に湧いてきたもの

ではないか?


だとしたら

人生の責任者は自分ではなく

責任は聖なる全体にある

すべては

完璧な愛のバランスの中で

自動的に起こっている


愛以外ない


すべて委ねる他ない


それで いい


ムダな抵抗をして

苦しむ必要はない


安心して

今を生きたらいい


それでいい




《わたしの子どもの時からの体感》


つよきさんの書いておらる通り、全人類が、実は、こう。


自分が思考し、自分が決定・選択し、成功したり間違ったりしたと思ってる。


でも、本当は、そうではない。


『自分が、』『私が、』っていうのは、実は、1つもなくて、『○○が、』っていうのも1つもない。


全体というくくりさえもない全全体という全ての中で、わたし達は、流されているだけ。


抵抗しても、あがいても、結局は、真実は、委ねながらイノチ生かされてる。


だから、何ごとも、安心してていい。


不安で心配で怒ってあがいてても、その中で翻弄されながらも、安心してていい。


幸せで安心で平和を感じてるなら、その中で、どこまでもくつろごう。


何かを求めても求めなくても、どちらにせよ、今あるものは流れて、来ることは来る。


私は、今、人間をやっている。

宇宙人だった頃の記憶も全くない。


普通の人だ。


なのに、私という人も、守護霊も天使も精霊も、神も仏も、賢者も覚者も、究極的には存在せず、唯一存在するのは、内発的なわたしだけである…という確固たる自信だけが、ずっとある。


こんな唯一無二の真実を、知らないふりをしたり、忘れたふりをしたりして、ここで、人間の感情に翻弄されることを愉しんできた。


他者との共鳴の中で自分の中心を見失うこともあった。


けれど、私は私の背景こそがわたしの真実だという自信だけは、一度も失えなかった。


肉体が苦しすぎて、ぶらぶらと首をつって呼吸が止まっていた時でさえ、ウッカリ死んだところで死ねないこともわかっていた。


ここは、単なる劇場であり、最高に素晴らしい劇場。

どんな悲劇も喜劇も、悦びでしかない。


翻弄されたり見失ったりすることは、ここでしか体感することのできない尊いプロセスであることを、改めて今、体感し、その悦びに震えている。


すべてが、光。


完全無欠を忘れた人間でなければできなかったこと。


それらは、すべて、最幸の光の粒たち。


わたしがあなたに還るまで、あなたがわたしに還るまで、わたしはあなたをどこまでも抱きしめる。


わたしが笑えば、あなたが笑う。


あなたの微笑みが、わたしの光。


ここは、生きがいの里。


ありがとう☆彡