価値観(価値基準)の違い
最近、価値観の違いについて良く考える事があります。
ここ先進国である日本でも、人と人が接する以上、価値観の相違による誤解などはいくつもあるかとは思いますが、今回はアフリカに関しての話。
ちょうど先日、その日は雨が降っていたのですが、夜チェーン店でご飯を食べていたら友人から電話が掛かってきました。
僕にとってはほんの一瞬のつもりで、店の他の人への迷惑を考えてちょっと外に出て電話をしていたんです。そしたら、ものの5分とかだったと思うんですが、見事に傘を盗まれてしまいました。
僕の甘さもあるとは思いますが、実は電話している5分ほどの間に、2人の人間が僕の傘を持って行こうとしていたのを制止しています。(どんだけ傘パクんねん。。)
それだけ制止したのだからと思いつつ、一瞬油断して入り口から少し離れたところに行ってしまったのがいけなかったのでしょう。電話から戻ったらもう後の祭り。
ものすごい怒りを覚えるとともに、その日は突然の雨で、しかも結構な量だったので、もし逆の立場だったら僕もしれ~っと持ってちゃってたかもなとも思いました。
ここで大切なのは、「ビニール傘なんてたかが500円くらいだしパクってもいいっしょ」って言う、『盗む側の心理的ハードル』。
実際、僕も腹を立てたものの、「傘くらいまた買えばいっか」と諦めました。
僕にとっても盗む側にとっても、「傘」の価値が「盗む」という心理的抵抗よりも優った、という形ですね。
一方で、アフリカに目を転じると、傘レベルなんかではなく、財布とか手荷物とかバンバン盗まれるわけです。下手したら、自分が雇用していた人間が帳簿を管理する際に数枚のお札をちょろまかすとかあるようです。
日本の価値観からしたらあり得ない事なんですが、これは先程の話で言うと、「先進国からやってくる人の財布の中身」が、「明日を生き抜くためにどうしてもお金が必要」な人の基準から考えて、「警察に捕まるかもしれない」ハードルよりも優った、ということです。
加えて言うならば、けっこう警察もザルだったりするので、先進国よりも警察に捕まるリスクはより低い、という外的要因もあるかもしれません。
何が言いたいのかと言うと、国や文化や宗教によって価値観はもちろん全然違います。
そしてそれは、「価値基準の違い」とほぼ同じ意味だと思っていて、比べる上でのモノサシが全然違うわけです。
日本だったら、財布とかまで盗むと警察に通報される恐れもあるし、もしそうなった場合の社会的なリスクが大きい。でも、傘程度だったら大丈夫。濡れたくないし。
アフリカでは、自分の生活がかかっているので、よりハードルは低くなっていき、日本じゃ考えられない事も実行に移す心理的な負荷が小さい。
だから、良く途上国に対して「え~なんか危ないんじゃない?いろいろと…」って言うふわ~っとした話を聞きますが、単純にこの『モノサシの違い』なだけな気がします。
なので、そこに行く身としては、十分にその情報を調べた上で行くべきだと。郷に入っては郷に従え、と言うことですね。