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harptronica

『人魚とラジオ』

2021.06.20 08:18


作曲をはじめたのはいつごろでしょう、

なにを作曲とするか、によります。

幼稚園で適当に歌ってた鼻歌だって 作曲っちゃあ作曲で。

小学校で適当に吹いてたリコーダーのメロディも そうっちゃそうで。


そういえば はっきりと作曲というものを意識したのは中学の音楽の時間でした。

作曲の課題が出ました。近くの川の風景をイメージした曲を提出したら、先生がそれを授業で紹介してくださいました。内容というより、近隣の自然をモチーフにしたことや記譜が正確だったことを褒めて下さったように覚えています。「中学生の作曲例」としてちょうどいい曲だったのでしょう。

すると(おなじく先生から評価をもらいたい)同級生が、わたしはこういう場所が好きで……自分はこういうイメージがあって……とアイデアを持って集まってきました。その鼻歌を聞いて五線譜に起こして渡すと喜ばれました。イメージが形になるのがとても楽しかったです。いまだに思い出してふふっとなるくらい楽しかったです。


(味をしめ、たしかこんな五線譜ノートをお小遣いで買いました)


と このような思い出があるもので いまだに作曲趣味から抜けられずにいます。

成功体験は大事ですね。とくに成功体験が少なめの人間なのでなおのこと……


作曲が趣味になり、中学高校のころは常に何か曲を作っていました。五線譜ノートに書くのが次第にわずらわしくなり、親に頼んでパソコンに五線譜が書ける無料のソフト(MuseScore)を入れてもらいました。MIDIファイルを書き出してそれをWAVに変換するやりかたでした。音質が気になったのでサウンドフォントを導入して変えてみたりと手探りで、パソコンばかりしていて「ゲーム依存か?」と疑われていました。


さて前置きが長くなりましたが 

そんなころ作った曲が発掘されたので

「人魚とラジオ」。


『吟遊詩人』という言葉を知って、ほーっとなっていたころ。

ハープを奏でながら詩を語る、そのイメージで、頭の中にある物語を文章に起こして、ああでもないこうでもないと、いろいろ直した思い出です。

人魚というと 思い浮かぶのは人魚姫の物語。

「人ではない」ものを描きたくて、選んだのが人魚でした。私は幼い時からずっと心の底に”完全な人間になれない”という暗い思いがあったので人間でないものが好きでした。異形のもの。


異形のものが、人間世界のラジオの音を聴き、わからないかなしさ、

人間にはまったくわからないかなしさ、とは、言えません。




人魚とラジオ
作詞作曲/市井ヒロノ




夕暮れ時の 港にひとり    
人魚がたたずんでおりました  
一人ぽっちで どうして私   
港に居るか解らないのです   
服を着て髪を結わえて、何も 

魚らしい証拠はありません  

考えました 本当は私    

人間なのかもしれないのだと

  

”けれども、わたしは人魚”  

 思い返せどそれは確かで  

 それだけを解って      

 人魚は、         

 水際に立っていました    



港のそばの 古い倉庫は       

いまはもう使われることもなく   

錆びたドラム缶 鉄くずにごみ    

残されたものの住処でした      

人魚のそばに 転がるものは     

古びたラジオ一台でした      

ほんの気まぐれに スイッチ押せば  

声が溢れ出す スカートが揺れる   


”迷うな、わたしは人魚”

 思い返せどそれは確かで

 髪をかきあげて

 人魚は、

 耳を澄ましていました



そして小さな そのラジオから

涙の声が流れてきました

深い呻きは しだいに消えて

ラジオの命は尽き果てました

話をやめた ラジオを手にし

人魚はいちど目を伏せました

そして水際に歩いて行って

海にラジオを投げ捨てました



  ラジオが教えてくれました 

  暖かさも優しさも悲しみも

  名前こそ知ってはいるけれど

  わたし何もわからなかった



”わたしは、人ではないんだ”

 思い返せどそれは確かで

 それを知ったのに

 正しく、笑うことも泣くこともできない、

"わたしは人魚”

 思い返せどそれは確かで

 傷つきたくても、

 そういう、気持ちにもなれなくて



夕暮れ時の 港でひとり

人魚は足を水に浸して

静かに波止場に座り込んで

海の向こうを眺めていました