【アメリカンポップス】(仕事場D・A・N通信vol.33)
1947年生まれが高校生になるのは1962年から63年。いつの時代もそうかもしれないが、この時期に伴走(この場合、伴奏がピッタリくるが)していた音楽は、いくつになっても自分の中から消えることはない。
1962洋楽ヒット10には、レイ・チャールス「愛さずにはいられない」、シェリー・フェブレイ「ジョニー エンジェル」、リトル・エヴァ「ロコモーション」。1963洋楽ヒット10には、ビーチボーイズ「サーフィンUSA」、S.デイヴィス「エンド・オブ・ザ・ワールド」、カスケーズ「悲しき雨音」、B.ヴィントン「ブルーベルベット」、ポール&ポーラ「へイ ポーラ」、V.ストンパーズ「ワシントン広場の夜は更けて」など、英語の歌詞が今もくちずさめる曲が多い。
ラジオにかじりついて深夜放送を聞き、リクエストはがきを書いた。旺文社のラジオ講座も、高3になるずっと前から毎月テキストは買っていたが、それを開くことも、講座を聞くこともなかった。もう少し時間配分を考えることができていたら、浪人しなくても済んだかもしれない(多分、無理だけど)。だが、それでよい人生になっていたかどうかは何ともいえない。
とにかく「9500万人のポピュラーリクエスト」(DJ小島正雄)に夢中だった。そうか、日本の人口はまだ一億人には達していなかったのか。
そして翌年、ポップスシーンが大変化する。1964洋楽トップ20にはなんと五曲、ビートルズの歌が入るのである。ドーナツ盤の「プリーズ・プリーズ・ミー」や「抱きしめたい」に大興奮した。教室の掃除道具箱から箒を取り出して、ギターに見立てて合唱した。16歳、60年近くも前の事になる。
それにもかかわらず、一コマ一コマの記憶量が半端なく多いのは不思議だ。山岳スキー部の部室での怪しげなトラブルや、体育祭の出し物製作での苦労と栄冠、マンガ研究同好会設立に級友Yと奔走した日々。そんな場面のBGMは必ずこれらだった。と書いて、「高校三年生」舟木一夫もど真ん中で鳴り響いていたのを思い出した。あれは1963年の大ヒット歌謡曲だ。