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地球デモクラシー

2018.06.22 04:31

Facebook・兼井 浩さん投稿事  多様性・DIVERSITY(ダイバーシティー)

~ヴァンダナ・シヴァ~ 彼女は、2010年に「シドニー平和賞」を受賞しました。

その際の受賞スピーチが以下になります。

一人でも多くの方が、多様性に気づき、目覚め、各々ができる形で「アースデモクラシー」に参加するように祈って。

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ヴァンダナ・シヴァ:「いま、地球に対する戦争を終えるとき」

Time to End War Against the Earth

 今、「戦争」を思うとき、私たちの心は「イラク」や「アフガニスタン」に向かいます。しかし、もっと大きな戦争が、今、戦われてもいます、それは私たちの生きる、この地球という惑星に対する戦争です。この「地球に対する戦争」の根は、エコロジーと倫理が定めた限界を敬うことに失敗した「経済」にあります――不平等には限界があることを、不正義には限界があることを、欲望と経済の集中には限界があることへの敬意を忘れた「経済」に、根を下したものなのです。

 一握りの大企業や強国が、地球の資源に対するコントロールを追い求め、この私たちの地球を、何でも売りに出してしまうスーパーマーケットに変えようとしているのです。彼らは私たちの水を、遺伝子を、細胞を、臓器を、知識を、文化を、さらには未来をも売ろうとしているのです。

 いまアフガニスタンとイラクで続き、今度も戦われて行こうする「戦争」は、単に「石油のために血を流す」ものではありません。すでに明らかなように、「戦争」は「食料」のためにも「遺伝子と生物多様性」のためにも、「水」のためにも血を流すものになって行くことを、私たちは目の当たりにすることでしょう。

 こうした「軍・産・農」を支える戦争のメンタリティーは、「モンサント」社の殺虫剤の商品名、「駆り立てる(Round-Up)」「山刀(Machete)」「投げ縄(Lasso)」――を見れば明らかです。「モンサイト」と合併した、「アメリカン・ホーム・プロダクト」社も、その製品の殺虫剤に、「ペンタゴン(米国防総省)」とか「スカドロン(航空団)」といった、同じように攻撃的な名前をつけています。これは「戦争の言葉」です。私たちの「持続可能性(Sustainability) 」は、(そうではなく)「地球との平和」を土台にしたものです。

 「地球に対する戦争」は、私たちの精神の中で始まるものです。暴力的な思考から、暴力的な行為が形成されるのです。暴力的なカテゴリーを考え出すから、暴力の道具が作られるのです。産業化された農業・食糧・生産が依拠している「メタファー(隠喩)」や「メソッド(方法)」ほど、このことをハッキリ示してものはありません。戦時下において、人々を殺す毒や爆発物を生産する工場は、戦争が終わると、農薬工場に変身するのです。

 「1984年」は、食糧が産み出される方法に何か恐ろしいことが起きているという事実に、私を気付かせてくれた年でした。(インドの)パンジャブの動乱とボパール(化学工場)での惨事によって、「農業」がまるで「戦争」と化したかのように見えたのです。私が『「緑の革命』の暴力』という本を書き、「ナヴダンヤ(九つの種子)」という、毒にまみれない農の運動を始めたのは、このときのことです。

 戦争のための毒ガスとして始まった農薬はこれまで、疫病をコントロールできずに来ました。遺伝子操作が、有毒な化学物質に代わるものと考えられたこともあります。しかし、実際は逆に、殺虫剤の使用量を増加させ、「農民に対する戦争」を解き放っただけでした。

 飼料と農薬のコスト高は農民たちを負債の罠にはめているのです。負債の罠は農民たちを自殺へと追い込んでいます。政府の公式データによっても、インドでは1997年以来、20万人以上の農民が自殺を図っているのです。

 「地球との平和を築く」ことは常に、倫理とエコロジーの絶対命令であったことです。それは今や、私たちが生物種として生き延びるための絶対命令になっているのです。

 土に対する、生物多様性に対する、水に対する、大気に対する、農場や農産物に対する暴力は、人々が食べることを不可能にする、「戦争のような食糧システム」を産み出しています。いま、10億人が飢えているのです。20億人が、肥満、糖尿病、高血圧、癌といった、食べものに関係する病に苦しんでいます。

 この持続するはずのない発展には、3つのレベルの暴力が含まれています。第一は、地球に対する暴力です。環境の危機として現れているものです。第二は、人々に対する暴力です。貧困、欠乏、難民化として現れているものです。第三は、戦争と紛争としての暴力です。これは際限なき貪欲を満たすため、他国や他の共同体に眠る資源を力で掴み取るものです。

 「生」のあらゆる側面が商品化されると、たとえ1日に1ドル以上、稼げたとしても、「生活」はさらにコストのかさむものになり、人々はさらに貧しくなってしまいます。他方、人々は「マネー経済」なしに、物質的に豊かであり得ます。土地に対してアクセスでき、土地が肥沃で、川の水が汚れずに流れ、文化が豊かで、美しい住と衣、そして美味な食をもたらす伝統が生き続け、社会的な結束があり、地域の共同体に連帯と協働の精神がありさえすれば……。

 市場経済の領域、さらには人工物でしかない資本としてのマネーが、社会の最高の組織原則、及び生活に福祉を推し量るたったひとつの物差しに祭り上げられたとき、それは自然と社会の命を維持・存続させうるプロセスを切り崩すものになって行くのです。

 私たちは金持ちになればなるほど、エコロジーと文化の面ではますます貧しくなって行きます。マネーで測られる豊かさの成長は、物質的・文化的・環境的・精神的なレベルにおける貧困の増大を招くものです。

 生活をつなぐ、本当の通貨とは、生きることそのものです。こうした視点に立つことで、以下のような問題が提起されます。私たちはいま、この世界において、自分自身をどう見ているのだろう? 人は何のための生きるのか? 私たちは、金儲けのために資源をがぶのみする、単なる機械に過ぎないのか? それとも私たちはそれよりももっと高い目的、目標を持ったものではないか?

 私は「地球デモクラシー(Earth democracy)」というものが、あらゆる生物種、あらゆる人々、あらゆる文化に固有な価値に基づく「生きるデモクラシー(living democracies)」を、私たちに思い描かせ、創造させて行くものだと確信しています。「地球デモクラシー」とは、この地球の大事な資源の公正で平等な共有と、この地球の資源をどう使うかの決定の分かち合いのことでもあります。

 「地球デモクラシー」は、水、食べ物、健康、教育、仕事、生計の諸権利を含む「生きる権利」の基礎をかたちづくる、命及び基本的人権の持続するエコロジーのプロセスを守るものです。

 私たちは選択を迫られています。企業の貪欲による市場の法則に従い続けるか、地球のエコシステムと生物の多様性を維持する「ガイアの法則」を取るかどうかの選択を迫られています。

 人々の食べ物、水へのニーズは、食べ物と水を供給する自然の能力が守られていてこそ、はじめて満たされ得るものです。死んだ土や川は食べ物や水を恵んでくれません。

 「母なる地球」の諸権利を守り抜くことはそれゆえ、最も重要な、人権と社会正義を守る戦いであるわけです。それは私たちの時代の、最も広汎なる平和運動であります。

https://www.theage.com.au/.../time-to-end-war-against-the...

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ヴァンダナ・シヴァ

(Vandana Shiva、1952年11月5日 - )は、インドの哲学者、環境活動家。

ウッタラーカンド州デヘラードゥーン生まれ。1978年、ウェスタンオンタリオ大学で博士号取得。

1993年、ライト・ライブリフッド賞を受賞。2012年には福岡アジア文化賞・大賞を受賞[1]した。

緑の革命や遺伝子組換え作物に代表される現代農業に対して批判的である。

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この受賞スピーチが、世界を「正気」へと導く、この同時代における「世界最高のスピーチ」のように思われます。

勇気と、洞察と、詩的な優美さにあふれたスピーチの一端を伝えられれば幸いです。


Facebook・岡本 よりたかさん投稿記事 「自分のために」

陰でコソコソと人の活動を批判する人がいるのは普通のことだけどね。

意見が違うことなど当たり前。でも自分の考えと違うからと言って、表でも陰でも、悪口のように言い放つ人とはあまり関わりたくないね。

僕も自分の意見は主張するけど、あからさまに人を中傷するようなことは言わない。

先日のこと、食糧危機が来るかもねという僕の話を面白おかしく馬鹿にする人たちがいてね。

まぁ実際に来ないかもしれないし、単なる世界的な穀物戦争上の威嚇かもしれないけど。

そもそも食糧危機が来ると言っても、食べるものがなくなるというより、穀物価格が高騰することでの危機の可能性の方が高い。

そうなると、多分全ての物の価格が高騰すると思う。食糧に限らず。

で、国民は益々粗悪なものを食べさせられ、生活は苦しくなってくる。今だってその兆候はあるよね。

今の暮らしが昔よりも裕福になってると思う?

今は貴方自身が歳を取り、立場が上になり、あるいは商売も長くなったから、昔よりも収入は多いかもしれないけど。

お金はなくても、夢を持ってどんどん新しい仕事を生み出し、挑戦し、皆んなが働く意欲があった昭和。

失業者が増え、倒産件数も増え、正規雇用が減っていく平成と、異常な数の店舗閉店の令和。

数字で比較してもいいけど、感覚的に僕はそう思う。

輸入に頼り切りの穀物。輸入に頼り切りの農薬肥料。輸入に頼り切りの種子。輸入に頼り切りのエネルギー。

価格は高騰し、その代わりに質が低下していく。

遺伝子組換え穀物に始まり、醤油も味噌も油もどんどん質が悪くなっている。食べ物が病気を作り、栄養失調気味にもなる。

これが食糧危機じゃなかったら、一体なんなのか。僕には思いつく言葉がない。

だから、国をあげて自給するべきだと思うし、個人レベルでも自給に挑戦するべきだと思うんだけど、それすらも嘲笑の的になる(笑)。

まぁ、それはいいんだけど、僕は偽善的に言ってるのではないよ。

守るべきなのは結局自分だから、仮に誰も同調しなくても構わない。最終的には僕自身のためでしかないから。

ただ、一人では生きてはいけないから、仲間は増やしたいんだよね(笑)。

最後に一つだけ。

その人が何を言ってるかではなくて、何をやってるかで評価しないと、人を見誤るよ。

肝に銘じておいた方がいいと思う。

では、おやすみなさい。


Facebook・OSHO Japanese 投稿記事

私の努力のすべてはーーあなたは人びとといっしょに成長し、しかも人びとを超えて成長すべきだということだ。けっして海や山を人びとの代わりにしてはいけないーー人びとに代わるものはない。人間にとって、人間性は自然の要素だ。そしてマインドにとって、社会から離れて行くことが大いなる誘惑としてあるのは、人びとがじつにたくさんの問題を創りだすからだ。

ひとりの人といっしょに生活すれば、たくさんの問題を知ることになる。パートナーといっしょに生活すれば、どれほどの問題が出てくることか。こんなに美しい女性なのにーーあなたを狂気に駆り立てることができる! すると「全部捨ててしまえ。どこかに行って独りになろう」と考えはじめるが、それでは挑戦から逃げていることになる。

けっしてどんな挑戦からも逃げてはいけない。それに取り組みなさい。それを理解しようとしなさい。それを見ていなさい、それについてより意識的になりなさい。慎重にそのなかにいて、しかもそれをはるか彼方に、遠くに保持しなさい。そのなかにとどまりながら、しかも距離をたもっていなさい。それが宗教というアートのすべてだーー世間のなかにいて、しかも世間の一部にならないこと。

だがときとして、あまりにもなにかに飲み込まれたら、海に行きなさい、山に行ったらいい。そこでものごとのあるべき姿を感じて、その体験が、人びとのなかにいるときにもあるようにしなさい。もしあなたが自分の海を自分の関係性のなかにもたらすことができ、それがそこにとどまるようなら、なにかが起こったのだ。Osho