6月22日(火)くもり
こんにちは。麻雀ぐーぐです。
本日のブログ担当はリーチの人改め、クソ鳴きの人です。今日は4人番ということでブログ日和ではないんですが、サクッと昔語りの続きを書いていきましょう。
今週は宝塚記念もあるし、私がぐーぐに来てもうすぐ2年経つし、相変わらず書きたい事が目白押しです。
あとそうだ、忘れないうちにフリー雀荘デビュー後の続きも書かなければなりませんね。カモに育てあげられたあとどのようにしてリベンジを達成したかの話です。
それと、最近私の麻雀に対するお客様の評価が下がり過ぎていて、そろそろ業務に支障をきたすレベルに達しそ・・・
・・・と、このまま書いてるとまた前置きが延々と続きそうです。やめにしましょう。
例によってあらすじを載せてから続きを書いていきます。
「幼少期を特殊な環境で過ごし、捻じ曲がった性格に育ったリーチの人。高校卒業後、1人暮らしをスタートさせ、ギャンブルに明け暮れながらサラリーマン生活を満喫するが、年功序列制度に嫌気がさし、3年で会社を退職することとなった・・・。」
・・・では続きをどうぞ。
次の就職先などなんのあてもなく会社を辞めた僕は、ひとまず何かアルバイトでもして適当に凌ごうと考えた。
そのうち自分のやりたいことが見つかるだろう。当時の僕はとても楽観的に考えていた。
特に大した理由もなく、引越先の家から近く時給が高いからという理由だけでパチンコ屋でアルバイトを始めることにした。
時給1200円。週5で働けば会社勤めをしていた頃より給料は多く貰えるし、家賃の安いワンルームの部屋で暮らせば生活に困ることはなさそうだ。
就職してすぐ会社の先輩に連れられてデビューしたパチンコ・スロット。その後ちょこちょこ通い続け、勝ったり負けたりを繰り返していたが、トータルでは恐らくマイナス収支だっただろう。
それでもあの得も知れぬ魅惑的な機械を使った金銭のやり取りを伴う遊戯は非常に楽しかった。
面接に受かりパチンコ屋で働くことが決まったときは少しワクワクした気持ちになったのを覚えている。
僕のバイト先は地域密着型の古いお店で、来店するのは常連の年配のお客さんばかり。
パチンコでロングリーチが掛かっても当然のごとく打ちっぱなしだし、スロットで目押しができずにボーナス成立から図柄を揃えるまで何ゲームもかかるのなんて当たり前。
たまに運良く勝って帰るお客さんもいるが、継続して勝っているお客さんはおそらくひとりもいなかったと思う。
パチンココーナーの仕事を一通り覚え、スロットコーナーに配属された僕。
お店には色んなお客さんが居たが、最も記憶に残っているのは毎朝スロットの北斗の拳(初代)を千円ずつカニ歩きしていた常連のおじさんだ。
何かの雑誌で北斗は朝一が熱いとでも読んだのだろうか。
ただ残念ながらこの店は特定のイベント日を除いて全台設定据え置きだ(当然ベタピンである)。設定を変えてくれないと北斗の朝一など熱くもなんともない。
まあそれだけなら、そこまで酷く負けるわけではない。
おじさんが酷かったのは、必ず千円きっかりで辞めていったことだ。
中段チェリーに強スイカ、小役をいくら引こうが関係ない。千円打って当たらなければ台移動である。これはさすがにダメだ。
僕は店員だったので、何も言うことはできなかったが、まあなんというか悲しい気持ちになった。
そんな負けてばっかりの常連のお客さん達を見ていて僕は思った。
真面目にやればパチスロで食っていけるんじゃないか?
カニ歩きおじさんが強子役を引いたあとの台をカニ歩くだけでも期待値は相当高そうだ。
当時、期待値などという言葉や考え方すら全く知らなかったが、これだけ負けているお客さんが多ければその分勝てる客がいても不思議ではない。
僕がそんな考えに至るのは至極当然の流れだった。
僕はパチンコ屋のアルバイトを3か月で辞め、思い切ってパチスロで稼いでみることにした。
ときは4号機後半、北斗・吉宗全盛時代。
主役は銭形、鬼武者、鬼浜・・・、とにかく面白く魅力的で甘い台がわんさかあった。
この時代のことを書き始めるといくら時間があっても足りなくなるから、そのうちまた別で記事にしようと思いつつ割愛するが、自分でも驚く程に簡単に勝てた。
月に2、30万くらいであればさほど労なく稼げた。少し本気でやれば4、50万も簡単だった。
たぶん目指せば6、70万くらいはアベレージとして現実的な確率というような状況だったように思う。
やればやるだけお金になる。あの頃の僕の理想とする世界ではあった。
が、何か違う。
そんな気持ちも同時に生まれていた。
働きもせず毎日パチンコ屋に入り浸り、勝ったお金でビールを飲んで寝る。
そんな自堕落な生活を続けていけばいくほど、このままではいけないという気持ちも比例して強くなっていった。
それに、こんなおいしい状況がずっと続くわけはない、いつかは終わるだろう。そのときどうする?
意外と冷静に考えていた若かりし頃の僕は、会社を辞めて2年が経ったころ、新しい世界に飛び込んでいく決意をした。。
・・・はい、では次回は派遣社員編をお送りする予定です。株式市場との運命の出会い、借金、そして転落へ。
宝塚記念が終わって落ち着いたら書こうと思います。夏競馬はつまんないしね。楽しみに読んで頂いている数少ない読者の方々は、しばしお待ちを。
では、本日も皆様のご来店をお待ちしております。