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ZIPANG-5 TOKIO 2020古今折衷「輝ける古の栄光は無限の未来図を産むイスタンブール」(Ⅰ)

2021.06.23 05:55


~東洋と西洋が交差する国~
トルコ イスタンブールの見どころご案内


地域の概要・特色


イスタンブールはアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市である。その中心を貫くボスポラス海峡は、黒海、マルマラ海、そして金角湾に注ぎ込んでいる。イスタンブールは、かつてローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都だった。これは、今もイスタンブールの誇りである。また、イスタンブールは輝かしい未来と、過去の遺産を数多く残す街である。


実際、イスタンブールを訪れる人々を魅了するのは、その多彩さである。
博物館、教会、宮殿、偉大なるモスク、流暢な日本語が飛び交うバザール(市場)、美しい自然など、見どころが尽きない。


夕暮れ時、ボスポラス海峡の岸辺にたたずみ、対岸に見える家々の窓辺を夕陽が赤々と染めていく光景をじっと眺めていると、何世紀も前に人々がなぜこの非凡な地を選んで定住したのかが、心の底から理解できてくる。こんな時、人はイスタンブールが世界でも最も不思議な魅力ある都市の一つだと実感するのである。


宮殿


ボスポラス海峡、金角湾とマルマラ海の出会うところに、15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国の中心であった トプカプ宮殿がある。


トプカプ宮殿は様々な建物が迷路のようにつながっていて、豪奢を極めた宮殿で、そこでスルタンと家来たちは生活し、統治していた。


宮殿の外側、第一庭園と呼ばれるところは、樹木の生い茂る見事な庭園である。
第二庭園の右側、糸杉とプラタナスの木陰になる場所はかつての宮廷の調理棟で、現在は帝国のクリスタル、銀、中国陶磁器のコレクションの展示館となっている。


左側は、スルタンの多くの妻たち、そしてその子供たちが暮らした部屋が残るハーレムで、何世紀にも亘った密会の余韻がいまも漂い、訪れる人を不思議な気分に落とし入れる。


モスク


アヤソフィア博物館と向かいあうように建っているのが、優雅な6つの尖塔を持つ スルタンアフメット・モスク である。



1609年~1616年に建築家メフメットによって建てられたこのモスクは、内部の壁が美しい青と白のイズニックタイルで飾られていることから、 ブルーモスク という名で広く知られる。夏の夕べには、トルコならではの光と音が煌めく一大ショーが繰り広げられる。



巨大なドームと4つの鋭い尖塔を持つ スレイマニエ・モスク は、金角湾の西岸にそびえ建ち、イスタンブールのモスクの中でも最も美しいモスクと言われる。


1550~1557年にオスマン帝国の黄金時代の有名な建築家シナンによって建てられたこのモスクは、丘の頂上にあって、中庭の四隅にそびえる4つの尖塔がその大きさを際立たせ、どこからでも人目を引く。


内部のミフラブ(祈りのための壁のくぼみ)と説教壇はみごとな彫刻が施された白の大理石で出来て、美しいステンドガラスの窓から差し込む光に色鮮やかに染められる。


このモスクの敷地内に、スレイマン、その妻ヒュッレム・スルタン(ロシア名ロクセラーナ)の霊廟があり、その近くにはシナンの霊廟もある。


またモスク内には、4つのメドレセ(イスラム神学校)、1つの医学校、キャラバンサライ(隊商宿)、トルコハマム、貧しい人々のための厨房とホスピスが含まれる。


建築家シナンのもう1つのすばらしい建築物、リュステム・パシャ・モスク は1561年にスレイマン帝の娘婿の宰相リュステム・パシャの命によって建てられたもので、 みごとなイズニックタイルが、こぢんまりとして均整のとれた内部を飾ってある。


ファーティヒ・モスク は1463~1470年に建てられ、イスタンブールを征服したオスマン帝国のファーティヒ・スルタン・メフメットにちなんで名前がつけられた。ここには彼の廟がある。


イスタンブールの丘のもう一方の頂上にあり、巨大なモスクの他に宗教的な建物、神学校、ホスピス、浴場、病院、キャラバンサライ、図書館などがあり、一見の価値がある。


巨大なエユップ・モスク は金角湾の近くの城壁の外側で、預言者ムハンマドに従って聖戦の旗手を務めたエユップは、コンスタンチノープル攻略の聖戦の最中の670年にここで殉死したといわれる。


オスマン帝国がイスタンブールを征圧してから最初に建てられたこのモスクは非常に崇拝され、今も多くの巡礼者が訪れることで有名だ。


1597~1663年に建てられた イエニ・モスク は、エミノニュの港を見下ろし、歴史の古いこの都市にやって来るフェリーや観光客を出迎えてくれる。


現在では優雅なドームやアーチはたくさんの鳩の住みかとなっているが、目を見張るようなイズニックタイルがモスクのバルコニーを飾る。


スルタンアフメットに近い急峻な丘に建つソクッル・メフメット・パシャ・モスクは、16世紀の建築家シナルの傑作で、古典的トルコ建築のなかで最も美しいものに属する。


内部は息を呑むような青・緑・紫・赤のイズニックタイルが織り成す優雅なデザインで世界中から訪れる人々が目を見張る。


旧市街城壁のエディルネ門内側にあるミフリマ・スルタン・モスクは、中央ドームを支える巨大アーチ4つがガラス張り(ステンドグラス)となる。このモスクはシナンが壮麗王スレイマン大帝の娘ミフリマ・スルタンのため1555年に建てたもので、161もの窓からの自然採光は何とも言えない美しさである・・・


博物館


聖ソフィア大聖堂は、現在 アヤソフィア博物館と呼ばれているが、長い歴史の中でもっとも素晴らしい建築物の一つといえる。



コンスタンチヌス大帝によって建てられ、6世紀にユスチニアヌス帝によって再建されたこの建物の巨大なドームは、地上55メートル、直径31メートルもある。


ここではたっぷりと時間をとって、この建物の荘厳な静けさに浸り、見事なビザンチン文化のモザイク画を鑑賞することをお勧めしたい。(月曜休館)


考古学博物館 はトプカプ宮殿の第一庭園のちょうど内側にあり、古代遺蹟の宝庫とも言える展示品の中には、あの名高いアレクサンダー大王の石棺やアッソスのアテナ神殿の正面も含まれる。


古代オリエント博物館には、シュメール、バビロニア、アッシリア、ハッティ、ヒッタイト文明の遺物の展示を見ることが出来る。(月曜休館)


本来キョシュキュまたはパビリオンとして、15世紀に征服王メフメット2世によって建てられたチニリ・キョシュキュは、現在トルコ装飾タイル博物館になっており、16世紀の美しいイズニック陶器や、セルジュク、オスマン帝国時代の見事な陶磁器やタイルが展示される。(月曜休館)


アヤソフィア博物館同様、 聖イレーネ博物館 はもとは教会だった。これがイスタンブールに建てられた最初の教会であり、4世紀にコンスタンチヌス帝が建築を命じ、後にユスチニアヌス帝によって修復された。 この建物は、キリスト教以前の寺院の敷地跡に建つ。(月曜休館)


トルコ・イスラム美術博物館 の黒い石造りの建物は、オスマン帝国・スレイマン大帝の宰相イブラヒム・パシャが、自分の住居として1524年に建てたものであり、これはオスマン帝国時代の私邸としては最大のものである。


今日、そこには世界でも最古の絨毯と、陶磁器、金属細工品、細密画、カリグラフィー、織物や木工品などの見事なコレクションが展示されている。(月曜休館)


イブラヒム・パシャ宮殿と通りをはさんだ向かい側に、トルコ絨毯博物館があり、トルコ中から集められた素晴らしいアンティークの絨毯やキリムが納められている。(日曜・月曜休館)


アヤソフィアの近くには、 イェレバタン・サルヌジュ (地下宮殿)の名で知られる6世紀ビザンチン時代の貯水池があり、336本の重厚なコリント様式の円柱が、煉瓦づくりの素晴らしい丸天井を支える。(毎日開館)


モザイク博物館 には、5~6世紀のビザンチン皇帝の宮殿であった当時の、非常に見事なモザイク舗道が残され見ることが出来る。(火曜休館)


カーリエ博物館は11世紀のコーラ聖キリスト教会で、イスタンブールではアヤソフィアに次いで重要な遺跡であり、内部の壁はとても素晴らしい14世紀のフレスコ画やモザイクで飾られる。


キリストと聖母マリアの一生を題材にした美しく彩色された絵は、ビザンチン美術の活力を感じさせてくれる。教会の周囲にある修復された木造の建物では、都市の喧噪から離れ、ゆったりとした雰囲気の中でお茶やコーヒーを楽しむことができる。(水曜休館)


イェシルキョイにある 航空博物館 では、トルコにおける航空の発展の様子を知ることができる。(月曜休館)


軍事博物館 には、オスマン帝国軍が実戦で使った野営テントや、武器、戦闘用装備などが展示されており、毎日3時から4時の間に、オスマン軍楽隊(メフテル・タクム)の演奏を聞くことができるのでお見逃しなく。(月曜・火曜休館)


モニュメント


かつての戦車競技場で、ビザンチン時代の市民生活の中心だった古代の大競技場(ヒポドロム)は、ブルー・モスク正面の広場にあって、現在ここは スルタンアフメット地区 と呼ばれる。


装飾を凝らしたモニュメントのうち、 テオドシウス1世のオベリスク、青銅製の蛇の円柱、コンスタンチヌス大帝の円柱 の3つだけが今も残る。


この3つのモニュメントの南西側には、大競技場の壁の湾曲した部分の遺跡が見られ、今日この一角は、イスタンブールの歴史的、文化的、観光的活動の中心地となる。


周囲にある木造の家屋、中でも ソウークチェシュメ通り にある18世紀の家屋に注目を・・・。
美しく修復された建物は、あるものはプチ・ホテルとして、またあるものはイスタンブールに関する本を集めた魅力的な図書館として新たに生き返った。


トプカプ宮殿の入り口の所にある アフメット3世の泉 は、1729年に造られた。
深く張り出した庇の下に湧き出している水は、ここに立ち止まった人々の乾いた喉を潤したものだった。この見事な装飾が施された泉は、後期のオスマン様式の優れた作品である。


1828年、マフムット2世は ベヤズット塔 (高さ85メートル)を、火の見櫓として建てた。
現在では、イスタンブール大学構内に立つ。


ボズドアン・ヴァレンス水道橋は紀元368年に造られ、ビザンチン時代からオスマン時代まで宮殿内に水を供給した。現在残っている900メートルの2階建ての水道橋は、旧市街を通る主要道路を跨ぐような格好である。


かつて侵攻不可能の城壁といわれた イスタンブールの城壁 (テオドシウス城壁)は、マルマラ海から金角湾まで7キロに渡って伸びる。今までに何度も修復された城壁はテオドシウス2世が統治していた5世紀のものといわれ、ユネスコでは、城壁と城壁が囲む地域を世界文化遺産に指定することを宣言した。



1348年にジェノヴァ人が建てたガラタ塔は高さ62メートルで、金角湾上にそびる。頂上からは、金角湾とボスポラス海峡の素晴らしい景色が眺められ、夜には、観光客たちは最上階にあるレストランやナイトクラブ、バーで楽しいひとときを過ごすことができる。


ーー小生が35年程前にギリシャ、エジプト経由でトルコ・イスタンブールを訪ねた折には、(故)坂本九氏の「スキヤキ(上を向いて歩こう)ソング」が流行っており、日本人とみるや否応なしに舞台に連れだされ歌わされた懐かしくも…(音痴なので) 小っ恥ずかしい想い出が残っている。まだ今も歌い続けられているのだろうか・・・⁇


ルメリ・ヒサール はヨーロッパ側にある要塞で、征服王メフメットが1452年、イスタンブール侵攻に先立ってわずか4カ月で造りあげたものである。


世界の軍事建築物の中でも最も美しいものの一つで、城内には野外博物館円形劇場があり、イスタンブール音楽祭の会場のひとつとなる。(水曜休館)


乙女の塔として知られる クズ・クレシ はイスタンブールの最もロマンティックなシンボルの一つで、 初めは12世紀にイスタンブール港の入り口にある小さな島に造られたが、現在の建物は18世紀に建て直されたものになる。


イスタンブール・ボアズ

イスタンブール・ボアズ(ボスポラス海峡)

イスタンブールに滞在するならば、ボスポラス・クルーズ を抜きにすることはできない。
これはアジアとヨーロッパを隔てて蛇行するボスポラス海峡をめぐる船旅である。


海峡の沿岸には過去と現在、そして絢爛豪華さとシンプルな美しさとの素晴らしい対比を見ることができる。


岸辺近くにはヤルと呼ばれる木造の家屋が立ち並び、すぐ隣には近代的なホテルがそびえたち、大理石の宮殿と飾り気のない石の砦が隣りあって並んでいるかと思うと、優雅なヨーロッパ人居住区の隣に小さな漁村があったりするのである。まさに古今折衷の代表例の一つである。




とっておき情報

トルコに詳しい方に
ボスポラス海峡を楽しむ最良の方法は?と訊ねてみた…即座にこんな答えが返ってきた。

『沿岸に沿ってジグザグに走る定期航路船に乗ることです。 エミノニュで乗船し、海峡のアジア側とヨーロッパ側に交互に止まっていきます。

往復しても大した料金ではなく、所要時間は6時間ほど。

プライベートな船旅が希望なら、日帰りまたは夜のミニ・クルーズを専門に扱っている代理店をあたってみてもいいでしょう。

海峡クルーズの行く先には、まず壮麗なドルマバフチェ宮殿、起伏した緑深い公園、ユルドゥズ宮殿のインペリアル・パビリオンなどが次々と姿を現してきます。

公園の端に見えてくるのはチュラーン宮殿で、現在は修復され立派なホテルとなっています。1874年にスルタン・アブドゥラズィズによって改装されたこの建物は、ボスポラス海峡沿いに 300メートルに渡って伸びていて、装飾を施された大理石の正面玄関には水面のさざなみが写っています。

次の停留地はオルタキョイです。
ここでは、日曜ごとに芸術家たちが集まって、街角のギャラリーにそれぞれの作品を展示しています。

通りでおいしいものをちょっとずつ試食して歩くように、色んな人の楽しい作品を見て回ることができます。オルタキョイでは、教会、モスク、ユダヤ教の礼拝堂が、何百年もの間、隣りあって存在してきました。

これは、トルコの政教分離政策と寛容さのおかげです。イスタンブールの伝統的な建物を上から覆うように架かっているボスポラス大橋は、アジアとヨーロッパを繋ぐ世界でも最大級の吊橋です。

美しいベイレルベイ宮殿は、ちょうど橋を過ぎたあたりのアジア側に位置しています。
宮殿の後ろ側にはイスタンブールで最も高い場所、チャムルジャの丘があります。
ここへは車でやってきて庭園の美しさに感嘆するのもいいし、イスタンブールの素晴らしい景色を眺めるのもいいでしょう。

対岸のアルナウットキョイ地区にはオスマン時代の木造邸宅があって、隣接するベベック地区にある現代的な集合住宅と対照をなしています。

そこから数キロ離れたところに、まるでイスタンブールの見張り番のように海峡をはさんで向かい合う、ルメリ・ヒサールとアナドル・ヒサールの2つの要塞が建っています。

時にクチュクス宮殿として知られるギョクス宮殿はアナドル・ヒサールの隣にあって、アジア沿岸の景色に華を添えています。2つの大陸を結ぶ2番目の橋、ファーティヒ・スルタン・メフメット大橋(第2ボスポラス大橋)は、ちょうどこの2つの要塞を跨ぐように架かっています。

ヨーロッパ側にあるドゥアテペ(丘)からは、この大橋とボスポラス海峡の全景を見ることができます。

ドゥアテペの丘を下ると、美しいエミルガン公園があり、春になると色とりどりのチューリップがいっせいに咲き揃います。

向かいのアジア側にはかつては漁師町だったカンルジャ地区があり、現在ここはイスタンブールの裕福な人々に人気のある住宅地となっています。海峡沿いのレストランやカフェでは、あの有名なヨーグルトが人気の的です。

カンルジャ、チュブクルといった地区を過ぎるとすぐ、人々の憩いの場、ベイコズ・コルス(イブラヒム・パシャの森)があって、カフェやレストランでは、素敵な眺めと澄んだ新鮮な空気を楽しめます。

タラビヤ湾のヨーロッパ側では、港に繋がれたヨットが波に揺れてまるで踊っているようにみえます。タラビヤからサルイェル、ブユックデレといった郊外へと続く海岸沿いは、居酒屋やフィッシュ・レストランがぎっしりと並んでいます。

サルイェルにはイスタンブールで一番大きな魚市場があり、またミルク・プディングやボレックと呼ばれるペストリー類など、たくさんのおいしいものでも有名です。

サルイェルを少し過ぎると、狭かった海峡の幅は広くなり、ここでボスポラス海峡は黒海の中へと吸いこまれるように消えていくのです。』



いやいやどうして…現地をよく知る方でなければ中々知りえない貴重な情報をありがとうございます。
今度、トルコ・イスタンブールを訪ねる時は、是非アジアとヨーロッパを交互に回遊する「定期航路船」に乗ってみたいですね〜‼ ♬

そそられるナ〜 🤗

本号はここ迄と致しまして… 


次回に続く・・・



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(順不同・敬称略)

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アビアレップス株式会社
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