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NPO法人YouToo

宇宙空間で育った記憶

2021.06.22 12:13

●父は無職だった

 私の母は、無職だった父と結婚した。1年ほど経って私が生まれた時も、父はまだ無職だった。私の母はなぜかなにかと仕事があり収入がある人で、夫の無職には無頓着だったようだ。

 私を生んですぐ、当然のように母はまた働き始め、私の育児は授乳を除いて父が担当した。もちろん、家事担当も父。父は家事と育児を完璧に、かつ、楽しげにこなしていたそうだ。「私が仕事してればお父さんは機嫌が良くてね、ごはんは三度三度、お父さんが作ってくれるし、家もきれいにかたずけてくれるし、洗濯物はおまえのおしめはもちろん、みんなきれいに洗って干してたたんでしまってくれるし、ほんとにお父さんが家にいた時は楽しかったわー。」と、母は言う。1960年代の後半、もしかしたら斬新な夫婦だったかもしれない。

 私は、乳児期を父の手による育児で過ごし、その後の幼児期は、当時飼っていた柴犬による育児で過ごすことになる...。母親はたぶん...、育児をしていない。

 そんな父と母は、私に「普通」を教えてはくれなかった。「…ねばならない」とか「…でなければいけない」とか、そんな「規範=つかまりどころ=枠」を授けてはくれなかった。上下もない、左右もない、宇宙空間みたいなところで父母は私を成育した...。


●呪と祝は紙一重

 「枠」を知らない私は、人間社会に出た時に、自分で、手探りで、その枠を探し始めることになった。行き過ぎれば奈落に落ち、不用意に立ち上がれば何かに頭を強打し、かといってそろそろと手を伸ばせば100万ボルトの電流流れる鉄柵に触っちゃたりして、もう、満身創痍。最近知ったんだけど、トライ&エラーっていうの?こういうの?

 「もっとちゃんとして」「もっと女の子らしく」、世の母達の言葉は時として、まとわりついて離れない呪文となる...。「呪」と「祝」はほぼ一緒ということを聞いたことがある。行く先に悪しきことが起こるよう祈るのが「呪」、行く先に佳きことがあるようにと祈るのが「祝」。それらは表裏一体かもしれない。母親は我が子の人生に幸いあれと願って「あーしなさい、こーでなくちゃだめよ」って言ってしまうのだろうなとは思うのだけれども、「呪」と「祝」とは地続きだから、どこかで「祝」は「呪」になってしまったりする。だからそういう母達は言う、そんな(呪う)つもりじゃなかった、おまえ(を祝う)のために言ったのよ。命がけの「トライ&エラー」ゲームに我が子を送り出すのが忍びない...、なんとか助けたい、だから言ってしまう、自分の浅知恵を省みず(←ここんとこ、ちょー小声)。

 父はもう亡くなってしまっていて聞けないので、先日、我が母に聞いてみた。「私に対してあれこれうるさくなかったのはなぜ?」

●何に「勝つ」のか

 母の答えは、「だっておまえは全然言うこと聞かなかったし、お父さん(夫)が、好きなようにさせてやりなさいって言ったから。」だった。私のキョーレツな自我が、一般的な母の呪文をはねのけたということか。人間、何が幸いするかわからない。何で勝利するかわからない。というより、何が勝利なのかもわからない。