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言葉と慣れ

2021.06.22 22:53

水滞と水虚の話しをしましたが、漢方を学んでいると言葉の慣れというのを良く感じます。 


水虚は陰虚や津液不足と呼ばれている訳ですが、なじみのない方なら、これは論理的じゃないと直ぐにわかるはずです。 しかし、東洋医学に精通していると、陰虚が正しく水虚という言い方はしないと平然と答えが返ってくると思います。 


最初は疑問に思っていたことが、疑問にも思わなくなり、逆に、そうでないと反論してしまっている訳です。言葉に慣れると、それが当たり前になってくる訳ですから、言葉の慣れというのは恐ろしいなと感じます。 


元陸上選手の為末氏が心理的な限界はどこにあるのか? 

という講義をしているのをYouTubeで一部を見ました。2017年の講義です。陸上の世界で長年やぶられなかった記録があったそうです。 10年もの間、記録が更新されなかったのに、一人の人が記録を更新したとたんに、20人ぐらいがその記録を更新したそうです。

様々な要因があるので、一概には言えないとは言っていましたが、心理的限界は自分が作ってしまうのではないかという仮設です。 人がやっていないことは、できないと思い込んでしまう集団心理のようなものが働くのではないかということです。


古典的な鍼灸や漢方は、新しい考えや技術を取り入れることが苦手なんじゃないかと常々思っていました。 長い歴史があるのだから、それを超えるのは不可能だと最初から思い込んでしまっているようにも思います。

そして、この水虚の話しは、まさに、その典型のような気がします。 この考えを打破する為には、シンプルな考え方が必要不可欠です。当たり前だと思って使っている言葉もよくよく考えればおかしいと思えなければなりません。


そう思える人だけが、身体を変える技術を手に入れるのではないかと思います。どんなに高尚な話しであったとしても、現実的に使えなかったら絵に描いた餅です。

現実に使う為には、言葉も行いもシンプルに使った方が絶対にわかりやすいし、効果をあげられます。 長い歴史があるから乗り越えられないと思い込んだ頭をいったん白紙に戻せないと、先人達が残してくれた遺産を活用できないのではないかと思っています。