「空気を読む」という見識のなさ
2010.12.14 00:13
日本人独特の「空気を読む」という文化は、周りに同調することで自己防衛するという世渡りの術として「島国日本」に大昔からあるのだろうが、全体の論調が、何か理屈のない「気分」に支配されていることは非常に多い。マスメディアが海老蔵さんをバッシングしていれば、なんとなく批判的なことを云って見るというような、自分の考えがそもそもない人の態度は周りにいくらでもある。こうした時、「それは違うんじゃないの?」としっかりした見識をもって、その場にあるムードを壊す人がもっといないといけない。
日本人はムードに流されることで、たいへん痛い目にあった。その反省は、「しっかりした論理で議論を交わす。」、「大勢に流されないで、よく考えてみる。」という作業を意識的に行なう以外にない。支配的な論調に立ち向かうということは非常にパワーの要ることだが、プリンシプル(原理、原則)をしっかり頭に入れた上で、ものごとの是非や評価をしっかりできるようになりたい。
そのためにも、多くの人たちの見識を知る、考え方に触れる機会を多くもつことが重要である。私は、ツイッターを使うようになって、ブログに書かれているマスメディアでは得られない見識に出会うことが多くなったと思う。
この価値は非常に大きい。自分にない考え方やアイディアに出会えることで、こちらも触発される。思考にドライブがかかる。見識あるミドルメディアとしてのソーシャルメディア空間を自分の見識を鍛えるたいへん有難いメディアとして評価している。