ターゲットに強く刺さるCMはつくりにくくなった。
広告業界に35年いるとCMの歴史をそれなりに辿って、その変遷をイメージしたりすることもある。最近とみに感じるのは、どうも「ターゲットに強く刺さるCMはつくりにくくなったのではないか」ということである。逆に誰にでも好感をもたれる最大公約数のCM、つまりネガティブな反応が少ないCMが受け入れられている。
そのためには用意された設定での展開が視聴者も安心して受け入れられるので、シリーズものの好感度が高い。
否定されない誰も受け入れるCM・・・、それが主流なのだ。
しかし、それでターゲットに強く刺さるCM、つまりターゲットが自分事化して、単にCM認知だけでなく、態度変容を促す広告コミュニケーションとなっているのかが問われる。
テレビCMで尖がったコミュニケーションや、特定のターゲットだけが受け入れるものは難しくなった。テレビ番組のコードも厳しいように、CMもそうそうぶっ飛んだことはできない雰囲気だ。
今、禁煙パイポのCMで、「コレで会社をクビになりました。」が出来るかどうか・・・。
例のカップヌードルの「バカやろう」のCMも、これをポジティブに受け入れる視聴者・消費者はたくさんいた。ある意味オンライン動画からこのCMを浸透させていたら、まずネット世界でこのCMに対するポジティブな世論を形成してから、テレビオンエアしていたら、まず形成された世論の同調圧力で、特定のタレントの起用に対する批判的な評価はあまり拡散しなかったかもしれない。しかし、テレビではそもそもほとんど高齢層に当たる。
「CMの認知はある程度獲得できるが、購入意向までには至らない。」これが今のTVCMの課題のひとつであろう。
ただ、テレビではターゲット以外にも当たってしまう。ターゲットに強く刺さる文脈は、そうでない人には刺さらないか、下手をするとネガティブな評価となる。
もしシャンプーのCMで、タレントを替えたとする。既存のタレントがCMに出ていたことで好感していた消費者が、「このタレントがCMをするなら私はもう買わない。」と思うかもしれない。CM訴求はある意味「諸刃の剣」になる。
買っていてくれた人が広告を見たために「買わなくなる。」従来あまり見えていなかった、こうした広告の反作用も織り込む必要がある難しい時代になってしまった。
許容してくれる範囲はどこまでなんだろう・・・。
ターゲットが強く反応してくれるであろう文脈やコンセプトが分かっても、はたしてその訴求をだれもが観るテレビCMでしてもいいのだろうか・・・。
そういう課題が今のテレビCMにある。
さて、そうなると、デジタル広告にひとつの解決策がある。
デジタル広告のターゲティング配信は、広告を当てたい人に当てるだけでなく、当てたくない人には当てないターゲティング配信でもある。
テレビCMとの役割分担、使い分けの考え方に、このターゲットでない人、ないしそのクリエイティブにネガは反応をおこしそうな人には当てないというデジタルの強みを加えることができる。
だからこそ、デジタルでターゲットに強く刺さるコミュニケーションをして、テレビCMとの相乗効果を生む構造を構築すべきなのである。