デジタル広告クリエイティブでのブランディング、そのふたつの考え方
デジタル動画広告が市場を拡大してきた。バナーに比べれば訴求力のある広告フォーマットではあると思うが、そこはクリエイティブ次第。
最近ではあまり流行らなくなったかもしれないが、いわゆるリッチメディアに改めて注目したいと思う。それは動画市場によって、ブランディング目的の広告がデジタル広告を使うようになったからで、キャンペーン型のメッセージ訴求というより、ブランドの本質を恒常的に伝えるタイプの出稿として(デジタルだけで完遂するブランディング広告として)もっと取り入れていい。
その意味で、テレビCMとの統合効果を狙うキャンペーン展開型のデジタル動画と、こうした恒常的にデジタル出稿だけでのデジタル広告と、デジタルブランディングにはふたつの考え方があるかもしれない。
ネットの世界は基本「ユーザー文脈でのコミュニケーション」である。一方、テレビはブランド文脈のコミュニケーション。
だから、デジタルではユーザーの「自分事化」が必要であり、テレビは「社会事化」(みんなが知る認められたブランドであるパーセプションを得る)役割と言っていい。
広告認知・ブランド認知といってもそれぞれアプローチが違い、その双方と接触することで「態度変容効果」を最大化するのが目的となるだろう。
ベムは「テレビで認知させて、ネットで刈り取る」は、「デジタルで素地をつくって、テレビで刈り取る」になると思う。テレビは日本ではいまだ「強力なプッシュ力のある唯一の広告メディア」であり、野球で言えば「スラッガー」だ。
スラッガーはやはり4番を打たせたほうがいい。
そのために1,2,3番が出塁して、テレビでホームランを打てば、4点入る。
デジタルである1,2,3番が出塁しておくことが重要である。
ベムは「テレビで認知させて、ネットで刈り取る」というようにいつまでもファネル構造で考える時代ではないと思う。
先に、ターゲットセグメントごとに「より刺さる」コミュニケーションつまりそのターゲットセグメントが「自分事化」する広告メッセージを当てておくことで、テレビCMの効果が最大化できると思う。
おそらくブランディング効果のデジタル動画の多くはこうしたテレビCMとの補完や相乗効果の醸成を狙うものになるだろう。
一方、デジタルではブランドの文脈でのコミュニケーションは出来ないのかというと、文頭で言及したようにリッチメディア型に再注目なんだと思う。
ベムは、デジタル広告でのブランディングには、デジタルでしかできないこと、つまりインタラクションによるブランド体験をユーザーに提供するということがあると思う。
その昔「アイブラスター」という、リッチメディア配信のシステムをDAC時代に売っていたことがある。F君と一緒にいろんな代理店に説明に行った。
そのアイブラスターの第一回目のリッチメディアクリエイティブコンテストの最優秀クリエイティブは「ジッポ」のフルスクリーン広告で、いったん暗転した画面をジッポのライターがあかりを灯してもとに戻すだけの、ブランドの価値を「それ以上でも、それ以下でもない」かたちで表現してみせるものだった。
ベム自身もDAC時代に試作に加わったインタラクティブバナーでは、ある空冷エンジンの外車が正面を向いていて、そのエンブレムにカーソルを持ってくると「ブーン」といういかにも空冷のエンジン音がするという、これも「それ以上でも、それ以下でもない」ブランドの意味や価値を広告接触者に体験させる表現だといえる。
こうした表現は、今でも、今からだこそ通用するし、評価される気がする。
ベムは、従来のキャンペーン型の投下手法(テレビ投下が終わると急激に減衰するコミュニケーション効果で谷をつくる)から、恒常的な底上げにマーケティングコストをシフトする「山を盛るより谷を埋めよ」というフレーズで、ブランド価値訴求を通年でベースをつくっておく意味をクライアントに説明することがあるが、もしかすると、ブランドの価値をインタラクションで印象的に体験させることができるクリエイティブが出来たなら、通年型のデジタル出稿をブランディング目的で活用することも検討していいのではないかと思う。