沖縄慰霊の日
Facebook・宇宙の子 マサさん投稿記事沖縄県 糸満市平和祈念公園 ·【今日は沖縄慰霊の日】
8年前の慰霊の日の前日、僕は仲間のみんなと、ガイドの方の案内のもと、激戦区だった南部のガマ(洞窟)の中に居ました。
そこは当時、病院として使われていたガマで、生まれて初めて入るガマは、今まで見たことも感じたこともないほどの、どんな希望さえ吸い込んでしまいそうなほどの深い「闇」でした。
こんな中で、人が生き、そして亡くなって行ったのか...。
ここにいれば、どんなに明るく元気な人でも、心の光を失ってしまうだろうと思うほどの暗闇だった。
一切の光が届かないガマの奥へ奥へと進み、少し開けた場所で、みんなで輪になり、蝋燭を灯し、DAIくんが三線を弾き、その最初の音がガマの中に響いた瞬間、光が、パーーーーッと昇るような感覚に包まれた...。
これは僕の思い過ごしでいい。
その時僕は、このガマの中にいる先人の方々の魂が光に包まれるような、よろこびが満ちるような感覚を感じました。
沖縄にやってきて、まだ間もない頃のこの経験を、僕自身は、どう生かしていけるだろうと考え、結果、それが「海の掃除」へと繋がっていきました。
手を合わせ祈る「静の祈り」だけではなく、行動することの「動の祈り」で伝えたい。
僕の海の掃除は、ビーチクリーンをしたいと思った訳ではなく、「祈り」として始まりました。
僕が言うことではないかも知れませんが、今日、6月23日正午、一緒に黙祷を捧げていただけたら、うれしいです。
この動画は、まさにその時のガマの中での、DAIくんの唄と三線と、おかんの演奏です。
この動画を作られた方が、どなたか分からず載せさせていただき、すみません。
知っている方いましたら、クレジットを記載せさせていただきます🙇♂️
いつもは毎年仲間が集まって式典に参加していましたが、今年もコロナで制限されているため、自分の場所で手を合わせようと思います。
沖縄から宇宙の子マサより
https://toyou-medical.com/blog/posts1592/ 【あなたは「島唄」の歌詞の本当に意味を知っていますか?】より
あなたは「島唄」の歌詞の本当に意味を知っていますか!
facebookこんな投稿がありました。好きでよく聞いていた曲。
沖縄戦のことを唄っているとは思っていましたが、この投稿でじっくり意味を噛みしめることができました。
boom
1993年6月21日、THE BOOMの「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」が全国発売となり、
150万枚以上を売り上げる大ヒット!その年の大晦日の紅白歌合戦に出場、
「レコード大賞」でも「ベストソング賞」を受賞しました。
そんな大ヒット曲の「島唄」ですが、その歌詞には哀しい想いを込めた意味があったのです。
2005年、朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズが連載され、「島唄」の創作秘話が語られています。
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(宮沢和史の旅する音楽:その1)たった一人のために
「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。
そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、
本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で
大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。
極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。
このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。
この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。
「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。
「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。
2人は本土の犠牲になったのだから。
みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手
2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)
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こうして「島唄」は作られ世に発信されたのです。
▼島唄の歌詞の持つ本当の意味
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)
繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)
ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)
ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)
ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)
ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)
海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)
このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)
島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい。)
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)
▼解説
でいごの花:春から初夏にかけて赤い花が咲く。
見事に咲いた年は天災に見舞われるという言い伝えがある。
洞窟:沖縄は石灰岩の土壌で畑の下には多くの洞窟や鍾乳洞(ガマ)がある。
米軍の攻撃や、自決などでガマの中で多数の民間人が犠牲になった。
宮沢の記事にあるとおり。Googleで”okinawa cave”で検索すると、当時の写真が多数出てくる。
米軍の攻撃により民間人が洞窟から出てくる写真がこれ。
第二次世界大戦の記録をしているアメリカ海兵隊のウェブサイトにある、
沖縄戦のページに掲載されている。
ニライカナイ:沖縄の民間伝承で東の海のかなたにあると考えられている異界。
豊穣や生命の源であり、神界でもある。
年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。
また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。
千代、八千代:国歌、君が代の歌詞に合わせて韻を踏んでいる。
プロモーションビデオで、宮沢和史が白の上下の服を着ているのは、
死者が着る死装束(しにしょうぞく)を表しているとも考えられます。
胸が熱くなります。