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自己探求遊び ~無思考のために

2017.01.10 04:00



アメブロ記事と内容がリンクしています。

あえて「遊び」です。

現象自体の真実味が薄れているので。



~☆~☆~☆~☆~☆~



思考を見つめ続けようとすると、ふわふわとそれは際限なく湧き起こる。

それらはすべてが自動で起こってきていて、源泉は見あたらない。

それよりも、自己の中心と思われる方向を追求していく。

ハートでも、眉間でも、頭の上でも、後方でも。

目を開けたままだと、文字を読みに行きたくなる衝動がやってくる。

普段読まない本にまで手が出そうだ。

自我がじたばたし始めるからだ。

なので意識を内に向けて、文字のないところを見つめる。

見つめ続ける。


。。。。。。。


無思考が起こり、もあもあと湯気のような、気、オーラ、が見え始める。

無思考が起こった段階で、自我は退場している。




または、目を瞑って

あるはずはないが、自己の中心と思われる方向、場所を目指す。

内側にねじり込む、ぐいぐい入り込む。

じきに眠気がやってくることもある。

それでもあるはずのない自己の中心を求めて突き進む。


。。。。。。。


しばらくして目を開けると

無風または無重力とはこんなだろうかという感覚を覚える。

そのとき、無思考。



無思考とはつまり、風もなく重力もない状態なのだ。

だが、じきにそれを解説したがる思考がちらちらと出現しはじめる。

その繰り返しで、あきるまで、

または完全に現象側に引き戻されるまで繰り返す。

今はここまで。


やはり、活動はすればするほど、現象側に引き戻されるのは自明で

逆に言えば、活動が起こるうちはまだ現象側に留まっていることと言える。

自己探求遊びは、動的要素のないところでのみ起こるので

本質の自己に目覚めたければ、止まりなさい、動きを止めなさい

ということになるのです。

真実はこれのみと感じます。