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宇都宮藩の家紋

2018.06.24 05:18

梅天に沖する富士見櫓かな  五島高資

https://kamondb.com/nature/101/ 【九曜|くよう】より

九曜紋は星紋の一つです。真ん中の大きい星が太陽、回りの八つの星は太陽系を巡る惑星をかたどっています。太陽や月、星は古代から信仰の対象ですから、この紋が生まれたのは必然です。

星紋では一番よく使われている紋で、九曜紋以外では、毛利氏が使った三星紋、七曜紋、十曜紋などがあります。

http://kisetsumimiyori.com/utsunomiyahan/ 【【江戸幕府300藩】宇都宮藩の家紋は戸田家の「六曜・六つ星」|藩主は目まぐるしい変遷】より

「宇都宮」と言えば宇都宮餃子のイメージがありますが、歴史としては日光東照宮があり内容の濃い歴史を持つ場所です。

東照宮があったことにより財政危機にも陥った「宇都宮藩」がありました。宇都宮藩の藩主は何度も同じ家が藩主としてころころ変わり、なんと10回も藩主が変わった藩なのです。

今回は、「宇都宮藩」の藩主の変歴・日光東照宮と藩の関係・使用家紋などについてご紹介いたします。

宇都宮藩ってどんな藩だったの?

宇都宮藩の基礎情報 石高 7万石7,000石 旧国 下野(栃木県) 居城 宇都宮城(宇都宮市)

藩主 奥平家~戸田家の10家 家紋名 六曜・六つ星

宇都宮藩の歴代藩主10家

奥平家▶︎本多家▶︎奥平家▶︎松平家▶︎本多家▶︎奥平家▶︎阿部家▶︎戸田家▶︎松平家▶︎戸田家▶︎

宇都宮藩の藩主は、10もの家がころころと変わっていきました。詳細を見てみると奥平家・本多家・松平家・戸田家が複数回藩主となっています。なぜこのように目まぐるしい変遷となったのかは後ほど解説いたします。

宇都宮藩の藩主の変移

初代藩主……奥平家昌 最後の藩主…戸田忠友 ころころと藩主が変わった宇都宮藩

上記の「宇都宮藩の歴代藩主10家」を見てもらうとわかる通り、宇都宮藩の藩主は計10回も変わっています。それもばらばらの家ではなく、主に奥平家・本多家・松平家・戸田家が代わる代わる藩主となっているのです。まずは宇都宮家の立藩から、その変遷を追ってみましょう。

宇都宮藩立藩は上杉家の土地に

宇都宮藩は、それまで上杉家が所有していた土地に譜代の重臣・奥平信昌の嫡子である家昌が10万石与えられたことにより立藩しました。下野国宇都宮周辺を支配し、藩庁は宇都宮城に置かれました。

奥平家は通算3回宇都宮藩の藩主になっていますが、第1期は家昌の次の藩主・忠昌の代で加増・転封となり、藩主は本多家となります。

宇都宮藩藩主・本多家による整備

奥平忠昌に代わり藩主となったのは本多家の本多正純で、15万5,000石に大増加されての入封でした。これに対し不満や妬みを持ち抗議した者も多くいました。

正純は城下町の整備に力を入れ、宇都宮藩内の検知を行い、将軍の日光参内をスムーズにするために奥州街道を大きく拡大、幕府の意向により宇都宮藩庁や宇都宮城の縄張りも拡大していったのです。

その後は目まぐるしい家代わり

本多家の後には再び奥平家が藩主となります。この時期には徳川将軍家の日光参内が頻繁に行われたことから対応に追われ、そのせいで百姓町人の生活にも負担がかかり逼迫してしまいます。

そして藩主は安定することなく松平家・本多家・阿部家・戸田家の間でぐるぐると変わっていきました。最終藩主は戸田家で、戸田忠友が幕末まで藩主を務めることとなります。複数の家によってなんとか継続してきた宇都宮藩でしたが、財政事情はあまり良くなかったようです。

歴代将軍参内により財政難に

宇都宮藩は日光東照宮があったことで、歴代将軍たちの参内が頻繁に行われていました。将軍参内の度に寝床の増改築・街道の整備などが求められ、公役による財政の負担がどんどん拡大していきました。

農村部では一家離散が起こるなどして財政難が問題になっていたものの、町民の暮らしは酷いものではなく、他の藩とあまり変わりなく生活することができていました。その証拠に、藩主家が町民の暮らしをたしなめる御触れを出したこともありました。

廃藩置県により栃木県に編入

宇都宮藩は新政府方に与することになりましたが、土方歳三ら率いる旧政府方の軍勢が宇都宮へ侵略し宇都宮戦争が勃発します。宇都宮藩は大きな被害を受け、後の廃藩置県により宇都宮県となり、1873年には栃木県に編入することとなったのです。

宇都宮藩の家紋は戸田家の「六曜・六つ星」

星は、運命を司るものとして信仰されてきました。決まった軌道で移動するため、狩猟や航海の際には位置がわかるものとして、農業では季節がわかるものとして古くから人々に活用されてきました。 星は文様として扱われるようになり、やがて家紋にも用いられるようになりました。 星といえば★型が現代では一般的ですが、当時の星模様は●で表されます。一つではなく複数の●で構成されたものが主流でした。武家の使用者として代表的なのは千葉氏で、月星紋を使用していました。星紋は全国的に広まって庶民の間でも用いられたそうです。 また、三つ星=勝ち星を表し、戦いに挑む武家の間でも人気の紋となっていました。

まとめ

「宇都宮藩」は複数の家が何度も藩主にころころと変わった目まぐるしい変歴のある藩でした。それには日光東照宮への将軍参内が関係しており、財政も厳しいものだったようですね。

現在は餃子の印象が強い宇都宮ですが、深い歴史を持っていますので、宇都宮に訪れることがあれば是非思い出してみてくださいね。