宝物箱のはなし
人は空っぽの宝物箱を持って生まれてきて
それをいっぱいにしていくのが人生なんだ(その箱を抱えて死んでいく)
大まかだけど、そんな内容のモノローグが、
カズオイシグロの「わたしを離さないで」って話の最後にあるんですね。
このメッセージを、ふと思い出したんです。
ー 年齢を重ねた分だけ、箱の中は詰まってる?
ー これからまだ見つけて、入れることできるのかな?とかね。
でも現実的な、ネガティブな見方をすれば、
この世の中、築かれたものは割と簡単に壊れてしまうし、
時間が経つうち、忘れていってしまうこともいっばいある。
思い出があっても、終わりよければ〜にならないと、宝物には思えないこともある。
宝物箱の中に、ちゃんと入ってるかな?って
振り返ってみたら、色々わかった。
◆ 良い思い出と苦い思い出を、正確に「より分ける」のは意外と難しい。
実際の現実は、微妙に絡んでて、
どちらかだけ…ってことはないのかもしれない。
苦い思い出は忘れていって、良いことだけ覚えてたら、
それは「宝物化成功!」ということになるね。
◆ 自分が忘れてても、誰かが思い出させてくれて、
宝物箱の中に急に登場するものもある。
◆ 宝物箱の中に何かあるはずでも、
自分が宝物だと思わないと、「ある」と認識しないと、形として見えない。
(透明のまま隠れてる)
だから時々ちゃんと
「宝物箱の中にどんなものがあるか」を振り返って確認してみることも、
よりよく生きるために必要な作業なのかもしれないな…とか思いました。
宝物箱の中をできるだけ、いっぱいにして死ぬ!のが目標というか笑
そのために、これからもせっせと宝物な瞬間メイキングをしよう・・・とか。
***
あと、「苦い思い出」をどううまく扱うのかーも考えてみたり。
そういうものにも付随する良い瞬間だけを、
うまく真空パックできれば、愛でていけるのかな?
それとも、
真空パックできずに腐ったとしても、
苦い皮ごと丸ごと、いずれは愛しくなる日がくるのかな?
自分に在った世界の全てを赦すことが、
人生の最後のゴールなのかな
・・・・・とかとか。
話が壮大になってきました(恒例)
そろそろ寝るべきですね、ええ笑
思考の旅のお付き合い、ありがとうございました笑
(追記)
こんなこと書いてて、ふと思い出したシーンがありました。
留学中、寮のリビングで、同級生の子と友達の髪を切ってあげたときのこと。
(日本人の髪をうまく切ってくれるお店が近くになくて。
頼まれてやったら意外と楽しかったの笑)
なんてことはない時間だったけど、窓ガラスの光とかも含めて、シーンとして残ってる。
ふたりがかりでハサミ入れて、「私は右半分を切るねー」って分担して。
そんでどんどん短くなって。
大笑いしながら切りすぎちゃって。
留学先は人が入れ替わり立ち替わりするので、
通り過ぎてく出会いも多かったんだけど、なんかあんな時間が妙に愛おしい。
こういうシーンも、宝物箱に入れておこう。
うむ。
(追伸)
バンドのブログでは最近、こんなことを書きました。
7/9〜「ユニークライフ」S5を心待ちにする日々。
バンドのブログは具体的な話、
このコラムは変な思考の話・・・という棲み分けができてきましたね笑