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『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』②

2018.06.25 02:52

https://dananet.jp/?cat=62 【『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』】より

『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(9)

人はみななにかにはげみ初桜          深見けん二

そろそろ桜が咲き始めましたね。学生は卒業式であったり、会社では新入社員を迎えたりします。何かが終り、何かが始まる、そんな桜の咲く春は、人は誰でも何かに励んでいるのだ、と作者は感じているのです。みんな一生懸命に生きているのです。人も桜も蝶も……。

そして、咲き始めた桜はしだいに満開になり、花吹雪となって散ってゆきます。

わが胸を貫くほどに花吹雪           深見けん二

花吹雪を全身に浴びていると、桜の花びらひとつひとつが自分の胸を貫いていっているようだと感じているのです。満開の桜の花のいのちに包まれて、自分と桜とが一体になっているような感覚があるのでしょう。

蝶に会ひ人に会ひ又蝶に会ふ          深見けん二

春の野を歩いていると、黄色い蝶と出会います。また、歩き進めて行くと今度は人と出会います。さらに歩いて行きますと、また蝶に会います。今度の蝶は紋白蝶なのでしょうか。人は何かと出会って生きていきます。自分のいのちと他のもののいのちとが出会っているのです。そして、この地球にあって蝶のいのちも人のいのちも同じいのちと、作者は言っているような気がします。

そこまでが少し先まで蝶の昼          深見けん二

ちょっとそこまでと言って家を出たのですが、蝶に導かれたのでしょうか、もう少し先までと歩を伸ばして行ったのです。

穴を出し蟻一匹に庭動く            深見けん二

啓蟄のころになると、冬眠していた蛙や蛇が穴を出て動き出します。蟻も地中の巣から出てきて働き始めます。その蟻一匹を見て、自分の家の庭の草木虫魚が動き出したと感じたのです。もっと言えば、穴から出てきた一匹の蟻に自然の天地の胎動を感じたのかもしれませんね。

人ゐても人ゐなくても赤とんぼ          深見けん二

人がいてもいなくても、赤とんぼは飛び回っているのです。自分がいなくなってしまった世界を意識しているのかもしれませんね。

そして、自分はというと、

万緑の一点となりわが命             深見けん二

青々とした樹木の生命力の中に自分のいのちが抱かれているような感覚ではないでしょうか。こうして見てきますと、桜も蝶も赤とんぼも人も

みんな同じいのちなのだと気づかされます。

深見けん二は、「平素、自然、人生を疎かに見ていては、句に背景が生まれず、いくらものを見ていても、ものは見えては来ないのである」とエッセイ集『折にふれて』で言っております。つまり、ものを正しく見るということは、自分を正しく見るということなのでしょう。そうすることで自分が天地とともに在るということに気づくのです。そうすれば心の自由が得られるかもしれませんよ。心が自由になれば俳句が授かるのです。

*  *  *

私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。


『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(10)

雁帰る攫さらはれたくもある日かな        大石悦子

春に雁が北へ帰ってゆく日などは、誰かが来て自分をどこかへ攫っていってしまってくれないだろうか、というのです。白馬の王子様が来て連れて行って欲しいというような女性ならではの心理なのでしょうか。または、鬱屈した心から解放されたいという願いなのでしょうか。雁が飛んで帰ってゆくという景色を見ての一瞬の心の動きに気づいたのです。つまり、帰雁という眼前の景色が、心の奥にあるものを引き出したのであります。

雁渡しいのちいつさい吹かれをり       大石悦子

この句も雁に関するものですが、「雁渡し」とは、雁が日本に渡って来る秋に吹く風のことです。そんな雁渡しに自分のいのち一切が吹かれ飛んで行ってしまいそうだというのです。自分のいのちの傷みを感じさせてくれています。

てふてふや遊びをせむとて吾が生れぬ     大石悦子

蝶々が無心に飛び回っているのを見て、悠久の時間のなかでほんのひと時をこの世に生れてきたことを思っているのです。平安時代の歌謡集『梁塵秘抄』にある「遊びをせむとや生まれけむ戯れせむとや生まれけむ」を下敷きにして詠まれております。この句も飛び回っている眼前の蝶々を見ての心の動きが句になっております。

蕪村忌の京に一日を遊びけり         大石悦子

江戸時代の俳人・画人の蕪村が亡くなったのは十二月二十五日です。この日に作者は、江戸時代の遊郭のあった京都島原の「角屋」で丸一日遊んだのです。何して遊んだかといいますと、十数名の人たちと俳句を作ってはお互いの俳句を読み合って遊んだのです。「島原蕪村忌大句会」という俳句会です。私も一度参加させていただいたことがあります。

亀鳴くや詠ふとは虚に遊ぶごと        大石悦子

春の夕べにどこからともなく聞こえてくる声を亀が鳴いていると興じたところから、「亀鳴く」という季語が生れたのです。実際には亀は鳴かないそうです。そのように虚の世界に遊ぶことが、俳句を詠むことの本来の精神だというのです。

大石悦子は、「悲しみが言葉となり、俳句のかたちになることで、魂が救済される思いがした」と『自註現代俳句シリーズ・大石悦子集』のなかで述べております。俳句を詠むことで救われるという思いがすることがあるのですね。

この寺の花守ならばしてみたし        大石悦子

百済野の春の大きな夕日かな         大石悦子

*  *  *

私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。


『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(11)

金魚玉とり落しなば鋪道の花        波多野爽波はたのそうは

金魚を飼ったことはありますよね。琉金りゅうきんや蘭鋳らんちゅうなど真っ赤な鰭をゆらゆらさせて泳いでいる様子は涼しそうですね。その金魚を容れるための丸いガラスの容器が金魚玉です。軒先に吊るして楽しみます。そのガラスの金魚玉を買って細い紐でくくったものを手に持って舗道を歩いているのです。もし、手がすべって金魚玉を落してしまったらば、金魚玉が割れてしまって、ガラスの破片やら金魚やらが舗道に散らかってまるで「花」のようだと思ったのです。実際は落していないのですが、落してしまうかもしれないという強迫観念に対する気づきが俳句になっているわけです。

チューリップ花びら外れかけてをり     波多野爽波

春になると、赤や黄色のチューリップが咲きますよね。咲き満ちた花がそろそろ散りそうなのです。その花の一片が花茎から外れかけようとしているところをよく見て俳句にしています。この句にも、今にも外れて落ちてしまうのではないかという不安感があるように思います。

西日さしそこ動かせぬものばかり      波多野爽波

西に傾いた夏の太陽の日差しが部屋の奥まで差し込んできます。書斎なのでしょうか。机の上には、書類やら本やら必要なものが置かれており、動かされたら困るなと思っているのです。

そして、台風のさなか、キッチンはと見れば、ソース壜が汚れて立っていることに目が行ってしまうのです。

ソース壜汚れて立てる野分かな       波多野爽波

というように見たもの、気づいたものを即興的に俳句にしてしまうのです。

炬燵出て歩いてゆけば嵐山         波多野爽波

冬ざるるリボンかければ贈り物       波多野爽波

など楽しい俳句を作ってしまう爽波は、「世俗にまみれ虚飾に満ちた自己をいかにして洗い流し、有りの儘の自己をそこに現出させるかが最大の眼目」であると「自作ノート」で言っています。そして、見たものをどんどん俳句に詠んでゆき、どしどしと捨ててゆくのであります。この多作多捨をすることで、常識的な目の鱗が剥がれていって、心の眼が澄んでくるというのです。この見たものを俳句に詠んでいくことを「写生」と言いますが、爽波は「写生の世界は自由濶達の世界である」と言うのです。写生をすると心が自由になれるというわけですね。つまり、自我が消えてゆくのではないでしょうか。

鶴凍てて花の如きを糞まりにけり       波多野爽波

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私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。


『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(12)

愛されずして沖遠く泳ぐなり       藤田湘子しょうし

愛されていないんだと気づいたとき、みなさんはどうしていますか。

この作者は、愛されていないと気づいたとき、心がもやもやとしてさすらっているというマインドワンダリングの状態から脱するためにひたすら沖へ向かって泳いでいるのであります。泳ぐことに集中することで次から次へと湧いて来る雑念妄想を解消してマインドフルネスの状態に置こうとしているのです。泳いでいる間は無心でいられるのでしょう。

そして、そうしたことを客観的に見ているもう一人の自分がいて、俳句に詠んでいるのです。この句を作ったとき、藤田湘子は、「すこし胸の閊つかえが下りたような気がした」と言っております。

月明の一痕こんとしてわが歩む         藤田湘子

月の下を歩いているのですが、明るい月の光で生まれた自分の黒々とした影を見つめているのです。そして、自分が歩んできた道程を思っているのです。「一痕」という言葉に痛みと孤独を感じさせてくれます。

春の草孤独がわれを鍛へしよ        藤田湘子

そんな孤独が自分の心を鍛えてくれたというのです。ふと足許を見ると、春になって萌え出た草々がみずみずしく芳しいのです。「孤独」の暗さと「春の草」の明るさとが対比的に詠まれています。

口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か     藤田湘子

真夏の太陽が照りつけている海浜を水着で歩きながら口笛を吹いたのです。そのときゴッホが死んだのは夏だっただろうかと思ったのです。それをそのまま俳句に詠んでいます。ゴッホの絵は、「ひまわり」など力強い色彩が印象的ですよね。亡くなったのは七月二十九日で、夏です。

ゆくゆくはわが名も消えて春の暮      藤田湘子

そんな自分もゆくゆくは亡くなって、春の夕暮の景だけがあるというのです。春の茫洋とした夕暮の中にいのちが溶けていってしまいそうです。不在の景が広がっています。

湯豆腐や死後に褒められようと思ふ     藤田湘子

そして、お酒を飲みながら湯豆腐を食べていると、自分は死んだ後に褒められればいいのだと思うのです。湯豆腐にいのちが透き通ってくるような透明感があります。死後に褒められるように「今」「ここ」で一所懸命に生きるのです。

暑けれど佳き世ならねど生きようぞ     藤田湘子

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私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。


『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(13)

水遊びする子に先生から手紙       田中裕明

子どものころ、夏休みに庭先でまるいビニールプールを広げて遊びませんでしたか。水遊びをしているところに、郵便屋さんが手紙を届けにきたのです。それは学校の先生から子ども宛の手紙です。

「夏休みを元気にやっていますか」といった内容ではないでしょうか。そんな微笑ましい世界を俳句に詠んでいます。

小鳥来るここに静かな場所がある     田中裕明

秋になりますと、小鳥たちが日本に飛来してきます。小鳥たちも森の静かな場所を知っているのでしょうね。「ここに静かな場所がある」から小鳥たちがやって来るのだと作者は気づいたのです。

ぼうふらやつくづく我の人嫌ひ      田中裕明

水たまりに湧いているボウフラを見ていると、「つくづく自分は人間嫌いなんだな」と思ったのです。一人静かに自然のなかに佇んでいるのが好きなのです。ですから旅行をしていても〈もの言はぬ旅のつれよし蝉の殻〉と呟いてしまうのです。

一生の手紙の嵩や秋つばめ        田中裕明

それにしても一生のうちで貰う手紙の量ってどのくらいなのでしょうかね。いろいろな人と縁があって仲良くなって手紙のやりとりをするのでしょう。その縁の数だけ手紙があるわけですから、その縁の数が「手紙の嵩」となって視覚化されてくるのです。

その一角が大文字消えし闇        田中裕明

京都の大文字の送り火です。大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形と点火されます。それは、お盆に六道の鐘を搗いてお迎えしたお精霊さん(おしょらいさん)を、お経(妙法)を唱えながら船に乗せて、彼岸の入り口である鳥居に向かうのだそうです。その大文字の火が消えた後の闇を作者は見つめているのです。

空へゆく階段のなし稲の花        田中裕明

空を見つめては、この空を上ってゆく階段はないのだと言うのです。地上では稲が花を咲かせているのですが……。天国への入り口を探しているのでしょうか。この句から有元利夫の「厳格なカノン」という絵を思い浮かべます。

糸瓜棚この世のことのよく見ゆる     田中裕明

糸瓜といいますと正岡子規の〈糸瓜咲て痰のつまりし佛かな〉を思い起こしますが、子規の末期の眼差しとこの作者の眼差しとが重なって見えてきそうです。ある距離を置くことによってすべてが見渡せるような、いわば彼岸からの視点がこの句にはあるように思われます。

この句は、句集『夜の客人』の最後に置かれています。『夜の客人』は入院中の病室でまとめられた遺句集であり、そのあとがきに、「入院生活の中でないと、本をまとめることができないのも、(中略)けがや病気であらためて、自分あるいは世界を見つめてみるということも関係あるかもしれません。」と作者は述べております。

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私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。


『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(14)

真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ      柿本多映たえ

真夏の太陽の光の中を飛んでいる鳥は骨まで見せて飛んでいるというのです。鳥をジッと見ていると、鳥の骨格まで見えてくるのでしょうか。見えないものが見えてくる瞬間があるのかもしれませんね。そして、その瞬間をサッと捉えるかのように言葉が浮かんでくるのです。

出入口照らされてゐる桜かな       柿本多映

何の出入口なのでしょうかね。桜の森の出入口と読めば、「実」の場での景です。それを桜の森の向こうに広がっている別の世界への出入口だと読めば、それは「虚」の世界の景になります。作者は実と虚の間に立っているように感じられます。

わたくしが昏くれてしまへば曼珠沙華    柿本多映

お彼岸の頃になりますと、決まって曼珠沙華まんじゅしゃげが赤い花を咲かせますよね。夕暮れが深まるにつれ辺りが暗くなってゆきます。自分の姿が夕闇の中に紛れていってしまっても曼珠沙華の花の赤だけは見えるというのでしょうか。それとも、自分が昏れていってしまったら曼珠沙華になるというのでしょうか。自分は曼珠沙華の化身かもと思ったりするのです。そこには無意識の中の意識が立ち現れてきているのかもしれませんね。

この世から水かげろふに加はりぬ     柿本多映

補陀落ふだらくや春はゆらりと馬でゆく

湖などの水面にゆらゆらと陽炎が立っているのです。その光の揺らめきに、この世から乗って行こうというのでしょうか

補陀落は観世音菩薩の住むという山です。その補陀落を目指して自分は馬でゆらりと行こうというのでしょうか。

どちらもこちら側の世界から向こう側の世界へ行こうとしているのではないでしょうか。この句にも自分の内部にある意識が立ち現れてきているような気がします。

柿本多映は、「俳句を書く以前の存在の問題であり、最も身近な日常生活にあって摑みどころのない深さを、どれだけ感じとることが出来るか。」と言います。それは、自分の無意識の世界へ降りて行って、そこで見えてきた存在、いのちを俳句で詠もうとしていることなのではないでしょうか。

そしてまた、「書くという行為は、自己を確認するためのものである」とも言っているのです。

妙といふ吾が名炎えたつ八月よ      柿本多映

人体に蝶のあつまる涅槃かな

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私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。


『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(15)

いつか欲し書斎に芙蓉ふよう見ゆる家      小川軽舟

芙蓉は、朝に白い五弁の大きな花を咲かせ、夕方になると淡い紅色になってしぼんでゆきます。そんな芙蓉の花が見える書斎をいつか持ちたいと思っているのです。マイホームを夢見ているのですね。みなさんもきっとあるでしょうね。リビングから富士山が見えるマンションがいいよねとか、和室には炬燵でほっこりよね、とかいろいろありますよね。そんなことを思うのもいいですね。でも、今は転勤先の借家住まいなのです。

朝顔蒔く転勤先の借家かな         小川軽舟

その借家住まいの家の庭でしょうか、賃貸マンションのベランダのプランターなのでしょうか、朝顔の種を蒔いているのです。

職場ぢゆう関西弁や渡り鳥        小川軽舟

そう、作者は東京から関西に単身赴任をしているのです。会社の仕事場では、関西弁(大阪弁)が威勢よく飛び交っているのです。そんな職場にぽつんと落下傘のように、また渡り鳥のように一人舞い降りたのです。そのとき、なにか異質感が全身を駆け巡ったことでしょう。

レタス買へば毎朝レタスわが四月     小川軽舟

単身赴任ですからレタス一個を買って帰れば、毎日朝食にレタスのサラダとトーストを食べて出勤するのです。そんなちょっとしたことに目を留めているのです。

また、遅刻しそうなときは、満員電車の中から「会社に着くのが遅れます」とメールを打つのです。

遅刻メール梅雨の満員電車より      小川軽舟

朝の通勤の満員電車は鬱陶しいですよね。梅雨のジメジメとしたなかですからなおさらです。ストレスが溜まります。

そんな単身赴任の生活ですが、週末には家族に会いに行くために上京するのです。

古扇子家族に会ひに上京す        小川軽舟

東海道新幹線の車内の座席に座って、使い古した扇子であおいでいるのです。そして、たまには奥さんがご主人の様子はどうしているかなと偵察に関西にやって来ることもあります。

妻来たる一泊二日石蕗つわの花        小川軽舟

久しぶりの妻との団欒です。ほっとしますよね。

サイダーや有給休暇もう夕日        小川軽舟

僕はと言ふ上司と梯子年忘

もちろん有給休暇はあっという間に過ぎてしまうし、上司との飲み会にも付き合わなくてはなりません。サラリーマンの哀愁が滲み出ています。

そうした単身赴任の生活で気づいたことを、日記を書くように俳句にしていっているのです。俳句を書くことによって自分が見えてくるのかもしれませんね。

関係ないだろお前つて汗だくでまとはりつく  小川軽舟

平成から令和になった今、「かつての標準がもはや標準でなくなっていることに気づいた。私の平凡な人生は、過ぎ去ろうとする時代の平凡だった。だからこそ書き留める意味もあるだろう」と、作者は句集『朝晩』のあとがきに述べております。そこには「いま」「ここ」の日常に対する気づきがあります。

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私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。


『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(16)

黒板に今日のメニューやマロニエ散る       草間時彦

食欲の秋であります。

マロニエの散っている街角にあるフランス料理のレストランの入り口に、今日のランチのメニューが黒板に書かれているのです。「今日は、ヒラメのムニエルか鴨のコンフィか」と言ってお店に入るのです。そして、パリは焼栗の季節になったかと思っているのです。

てんぷらの揚げの終りの新生姜          草間時彦

天ぷら屋のカウンターに座り、目の前で揚げてくれる海老えび、鱚きす、穴子あなご、鯊はぜ、銀杏ぎんなん、松茸……。そして、最後に新生姜。江戸前の天ぷらに満足であります。

焼海苔でお酒を貰ふ余寒かな           草間時彦

浅草、並木の藪蕎麦。先ずは焼き海苔とお酒を注文。焼き海苔をちぎり、白木の枡の袴をはいた白い徳利を手酌でやりながら蕎麦を待つ時間の幸福。これまた粋であります。

隅つこで熱燗所望章魚たこの脚            草間時彦

こちらは大阪の道頓堀のたこ梅本店。隅の席に座って、熱燗で名物の蛸をいただきます。

錦小路麩屋町角の寒鰈かんがれい         草間時彦

京都の台所・錦小路を歩いていると、麩屋町角のお店でふっくらとした寒鰈を見つけたのですが、旅の途中。買って帰るのを我慢して通り過ぎます。

初冬や今宮さんのあぶり餅          草間時彦

京都の今宮神社。きな粉をまぶした餅を串にさして炭火であぶり白味噌のタレをつけて食べる。これまた旅のひととき。

新涼や焼いてかますの一夜干          草間時彦

肉じやがで昼を済ませて小晦日こつごもり

松過ぎやタルトに紅茶妻の留守

オムレツが上手に焼けて落葉かな

どの句も美味しそうではありませんか。食べものの俳句は美味しく作らなければいけないというのが鉄則です。日常のちょっとしたことに気を留めてそれを十七音にしております。作者の眼差しが読み手に伝わってきます。

月曜は銀座で飲む日おぼろなり         草間時彦

牡蠣食べてわが世の残り時間かな         草間時彦

草間時彦氏はダンディでグルメで素敵な大人なのです。

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私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。


『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(17)

吹きおこる秋風鶴をあゆましむ       石田波は郷きょう

一羽の鶴がジッと立っているのですが、そこへ爽やかな秋風が吹いてきたのです。すると鶴はゆっくりと歩み始めたというのです。作者はそれを見て、秋風が鶴を歩ませていると見て取ったのです。

雁かりがねや残るものみな美しき         石田波郷

雁が空を飛んで行っているのを見て、この地に残ってあるものはみんな美しいというのです。草も樹も、山も川も、みんないのちがあることに気づいたのです。そのときすべてのものが愛おしくなってきたのです。波郷は、この句を作った昭和18年に召集令状を受け取っております。そのときのことを波郷は、「その瞬間から人も物もすべてが美しく見え、思えて仕方がない。日本人の心の美しさはこれだと思った」と言っております。

意識が変わると、ものの見方が変わるのです。

戦地で肺結核を患い、清瀬の国立東京療養所に入院して、右肋骨四本の切除を伴う手術を受けるのです。

たばしるや鵙もず叫喚す胸きょう形ぎょう変へん        石田波郷

そして、自分のいのちを見つめるのです。

七夕竹惜しゃく命みょうの文字隠れなし         石田波郷

その後、退院し、軽井沢などにも遊びに行けるようになります。でも肺活量が少ないため、ゆっくりとしたペースでしか歩けないのです。みんなとは後れてゆく自分を見つめて句にしています。

泉への道後れゆく安けさよ          石田波郷

雪降れり時間の束の降るごとく        石田波郷

次から次へと降ってくる雪を見て、それはまるで時間が束となって降ってくるようだと思ったのです。雪から導き出された時間への気づきです。そして、時間の集積である自分の一生へと想いを馳せていきます。

今生は病む生しょうなりき鳥とり頭かぶと          石田波郷

石田波郷は、「肉体の呼吸と共に常に精神の気息をもたらすのが作句の心である」と言っております。

我、いま、ここにおいての思いが一句に込められているのです。

また、「俳句を作るといふことは取りも直さず、生きるといふことと同じなのである」とも言っております。

今年は石田波郷没後50年になります。その「石田波郷回顧展」が俳句文学館(新宿区百人町)で11月24日まで開催されております。


『気づきの俳句──俳句でマインドフルネス──』(18)

繭玉の揺れてゐるそれもまた夢     今井杏太郎

 繭玉はお正月の飾り物で、紅白のお餅を小さく丸めて柳などの枝に付け、神棚の近くに飾って豊作を祈るものです。その繭玉がゆらゆらと揺れているのです。繭玉の揺れているという時間のひろがりもまた夢だというのです。半ば眠っていて、半ば覚めているようなぼんやりとした感覚にいるのでしょうか。いわば現実の世界と夢という虚の世界との移ろいの間に作者はいるのでしょう。

夢の夜のゆめのむかうの菫かな     今井杏太郎

 夢の向かうに見えた菫は、どちらにあるというのでしょうか。

ゆらゆらと揺れて雀はかげろふに    今井杏太郎

 ゆらゆらと揺れて雀は陽炎の中へ入っていく景色なのですが、その雀も陽炎と同化して仕舞には陽炎になってしまうというのです。眼前にある空間が別の時空へと広がっていきそうですね。

みづうみの水がうごいてゐて春に    今井杏太郎

 大きな湖の水がゆらゆらと動いているうちに春になるというのです。そうした揺蕩いという空間的感覚に移ろいゆく時間的意識が加わっている感じなのであります。

水に波冬百日をただよふか        今井杏太郎

 そうして水は揺蕩い始めるのです。冬の間中。この空間と時間の揺蕩いに対する作者の眼差しは、次第に自分の内なる漂い心へ向けられ、限りない深みと移ろいをもたらし、意識が時空のなかを漂っているみたいです。

そうしますと、今、ここに、当たり前のようにある景色が、なんとも不思議に満ちているように思えてくるのです。「気づき」であります。

すこし揺れそれから暮れて五月の木    今井杏太郎

 杏太郎の俳句はいつも揺蕩っているのです。

揺蕩いながら当たり前の景色を眺めているのです。

夕風の吹くころ水に燕来る        今井杏太郎

 夕風が吹いて来るころ、水面に燕は来るというのです。その当たり前のことを不思議がっているのです。

杏太郎は、「猿が木から落ちることの意外性を考えているうちに、猿があたり前のように上手に木をのぼることの面白さに気づいた。むかしから、あたり前のことを不思議のこととして思い続けていたが、この頃にして漸く、なんでもないあたり前のことの面白さが見えはじめてきたような気がしている」と言うのです。

春の野に妻と居ることふしぎなり     今井杏太郎

 そこにあることの不思議さは、儚さであり、それを呟くということは自分の心の深みへの問いかけでもあるのです。それを俳句にしていっているのです。つまり、「呟けば俳句」なのであります。

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私たちは春夏秋冬の移ろいのなかで暮らしています。俳句は、悠久の時間の流れのなかにあって「いま」という時間と、私たちの目の前に広がっています空間における「ここ」という断面を切り取って詠みます。

芭蕉は、「物の見えたる光、いまだ心に消えざるうちにいひとむべし」と言っております。この「物の見えたる光」に気づき、それを受け止めて十七音にしてゆくのです。 そして、「物の見えたる光」を受け止めるには、正しく見るということが必要になってくると思います。それを俳句として正しく語ることよって心が解放されていくのです。