『ピエール・オーギュスト・ルノワール』
印象派の画家の中心的存在であり、人々の幸福象を描き続けた画家ピエール・オーギュスト・ルノワール。彼の作品は『Mingnonneミニョンヌ』で溢れている。
「絵というものは僕にとり愛すべきもの。愉しくて美しいものじゃなきゃならない。なぜなら人生には厭なことが多過ぎる。これ以上厭なものは作りたくないんだ。」
この言葉が彼の人生と彼の作品の真を突いている言葉である。今回はその言葉の裏にある彼の強靭な精神を紐解き子育てに活かしてほしいと思う。
1841年フランス・リモージュの仕立て屋の息子として誕生し13歳で陶器の絵付け職人となる。4歳でパリに移り住んでから聖歌隊に入り、実はあのシャルル・グノーから本格的に音楽を学ぶように誘われたほどの美声の持ち主だったとか。しかし彼は音楽よりも絵画に心惹かれていた。産業革命の煽りを受け絵付け職人の道は断たれたものの副業をしながら美術学校へ行く資金をため私立美術学校、そして国立美術学校へとステップアップしていく。若きルノワールは貧しいながらも自分自身の道を切り開こうと必死に働き学んでいた。
ルノワール作品は印象派の中でも風景画を描いたモネとは異なり、主流は人物画である。光に満ちた情景の中に人物を描き入れ、その幸福感を追究した作品が多く占めている。その人物画の対象は自分自身の家族や友人以外に、画家として生計を立てていくためのブルジョア階級のパトロンの肖像画や装飾画を製作した。古典的画壇の影響力が強い当時、印象派が生きていくためにはどうしてもパトロンの存在は欠かせないのである。したたかと言えばそれまでだが、彼が生きるための絵画と自分らしい幸福感を追究した絵画を表現するための賢い生き方である。モネのように限られたパトロンの存在ではなく、何人ものパトロンを抱えたことが彼の成功を導いたともいえよう。
彼の絵画の良き理解者であるパトロン達の存在を受け安定した生活の中で制作活動を続けるも彼は貧しきモネや画家仲間の援助をしたり、後に子供達を助ける活動にも尽力している。
しかし47歳で自己免疫不全の病であるリウマチを発症し、そこから30年は病と闘いながら絵画活動を続ける難しい岐路に立たされた。
2003年リウマチの特効薬であるレミケード登場で症状が消え寛解になる劇的進歩を遂げたリウマチであるが、ルノワールの生きている時代は痛みのコントロールすら難しく、病状が進行していくことを止められない不治の病である。以下の写真のように手が変形をし痛みで身体的にも苦しい中にありながら、それでも彼は一貫して幸福感を描くことに徹した。
病の発症は突如襲い掛かったという。顔面の激痛と両手の強張りと痛みに襲われながらも描くために、ボールを手にお手玉を扱うような練習を繰り返し絵筆を持ち続けるリハビリをし、57歳まではどうにか絵を描いていた。しかし自転車による転倒事故で右腕を骨折しリウマチは悪化。脳卒中を発症してからは生活機能を失い、家族や使用人の手を借り自身の腫上がった指の間に絵筆を挟み、包帯で固定し車椅子に座りながら創作活動を行った。
彼の芸術に対する思いは自らの肉体が病で蝕まれてもどんな激痛が襲うとも、キャンバスには苦しみや悲しみ醜さは一切持ち込まなかった。人間の喜びや命の輝き、美しく愛らしいものを一貫して描いたのである。しかしルノワールは現実世界から逃避したのではない。
彼が最も親しい間柄に会ったパトロンのシャルパンティエ夫人の力を借り、貧困や事故から子供達を守るためのチャリティーを行いスラム街のモンマルトルに託児所を開設している。栄養失調の子供を助け、路上に溢れる孤児達のよすがを作り事件事故から子供を守る活動を行った。
私が勝手に想像するに彼は貧しき中にありながらも母に愛され育ち、良き家庭を持ち、良きパトロン達に恵まれることで子供達の愛らしさに気付き、モンマルトルの貧しき子供達にも幸せになる権利を行使しなければと気付いたのかも知れぬ。本来子供達は母の愛に包まれ生きることの幸せの核心に迫ることができたからこそ、乳児が道路に寝かされそこに野良猫が覆いかぶさり事故死することに心痛めたのだろう。
ルノワールの人としての最大の魅力は『苦しみの中にありながら好きなことを見つける力』『困難の中で自分を活かす生き方』ができ、そして『その幸せを他者の分け与える』ことができる人であったということだ。
私のこれまでの人物像を調べたり分析していく中で、ルノワールのような人物はもともとポジティブ思考の持ち主でもなければ、困難を受入れて強靭な精神を鍛えるタイプでもない。
おそらく創作活動を通して様々な困難が目の前に立ちはだかり、その都度どうすべきかを真剣に対処してきたからこそ、困難に立ち向かい乗越えてきた過去の経験から想像し思考することで彼を強靭な精神の持ち主にしたと考える。しかしそれ以上に彼の精神を左右していたのは『美しいものであり、可愛らしいもの』である。
実は医学的見地からリウマチ患者は血液中の炎症性サイトカインが増えており、笑うことでこのサイトカインが減ることが分かっている。そう考えると19世紀に生きたルノワールは美しく、愛らしいものに笑みを称えサイトカインを減らし創作活動をしていたのだろう。
『困難なときこそ笑え、楽しめ、美しいものに囲まれよ』彼の人生からそう教えられているような気がする。
最近の記事で『子供が3人いる女性の幸福度が下がる』という内容を読んだ。他国が子供が増えるごとに幸福度に包まれるのに対して、なぜ日本はそうではないのか。社会的環境の課題もあるが最も大きな原因は両親の気持ちの切替えにあると感じる。子育ては気力労力共に必要であるが、その分よく子供を観察していると喜びや驚き、新しいものの捉え方や自分自身の学びが多く見えてくる。今まさに辛い苦しいと感じている子育て中の方こそ美しきものを鑑賞してほしいものである。
人生は一度きりである。微笑め、にやりとしてみよ、ほくそ笑め、表情を緩めよ、それができなければ鏡に向かいあっかんべーをしその変顔を子供に向けてみよ、子供はそれを受けてどのような表情をするだろうか反応を楽しめ。案外そこから心が解き放たれることもある。私が実践した方法の一つである。さらにその顔に両手の親指を頬にあて残りの指をぴろぴろと動かしてみよ、するとウーパールーパーになってしまう。人生は一度きり時にはお馬鹿なことも必要だ。