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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

F.Chopin、ショパンを助けるヴィアルド夫妻との友情はついにサンドへ物申す

2021.06.27 22:00

ショパンは、サンド一家に騙されているわけではなかった、ショパンはソランジュが小賢しいことは知っていた。ショパンは女性に対して理想が高かった、ポーランドのコンスタンツィアのことは忘れたわけではなかった。美しい思い出やパリに来てからのコンスタンツィアからの書簡は大切にしていた。(現存しない)コンスタンツィアとの美しい時間が止まったかのように記憶からは消えはしないのだ。

アメリカ亡命の望みも何パーセントか諦めながらも、どうにかならないか毎日頭から離れないショパンは、

ソランジュへの愛情が嘘か本当かなど、ショパンにとっては大したことではなかった、ショパンにとって大事なこと、それはポーランドにとって大事な事かどうかなのだ、それを守るために、やっと書きあげ出版して得たお金も、サンド一家がお金に困っていると聞かされると直ぐに吐き出してしまうショパンだった。

そういう器の大きいショパンがサンドは憎かった。

ショパンはサンドにいつも優しかった、それは間違えない。

けれど、その優しさは恋愛の優しさでないこ

をサンドは知るようになり、

ショパンの心は自分(サンド)にないことを

憎むようになったのだ。

ショパンの心を奪えない代わりにショパンから金を絞り取るサンド、女が化け物になるとはこういうことなのだ。

サンドはショパンにこの一件を友人ボーリヌに話される前に、ボーリヌへショパンの悪口を書いた書簡を裏に回って送っていた。

友人ボーリヌに、

サンド一家の騒動の原因はショパン側にあるかのごとく書いたサンド。一方、ショパンは、ボーリヌ夫妻と連絡を取り合っていた。ショパンの話しを聞いたポーリーヌは、

サンドとも古い付き合いで、サンドの性格もよく知っていたため、しばらくは沈黙をしていた。この時のサンドからボーリヌへの書簡は現存しないが、サンドのことだから、

くどくどと何回も長い書簡にショパンの悪口を書いたに違いないのだ…。友人として、その沈黙の我慢の限界を超えたボーリヌは、

サンドへついに抗議したのだ。

「. . . あなたの書簡には、私が黙って見過ごすことのできないもう一つの文章があります。

それは、ショパンがソランジュの仲間だと言っている箇所です。

ショパンはソランジュの仲間であり、ソランジュを被害者に仕立て上げ、あなたを貶めていると言っている箇所です。

それは、あなたの考えは絶対に間違っています。神に誓ってそうです、少なくともショパンに関する限りはそれどころか、

この親愛なる素晴らしい友人はとても悩まされているのです。

 この惨めな出来事があなたに与えたであろう害を、今もあなたを傷つけているのではないかと、一心にショパンは考えています。

私は、ショパンが少しも変わっていないことに気づきました。

ショパンは相変わらず親切で、いつものようにあなたを慕い、あなたの喜びを一緒に喜んでくれています。

ショパンはあなたの喜びを一緒に喜び、あなたの悲しみだけを悲しんでいます。天の名において最愛の人です。あなたに話をしに来る不愉快な友人たちを決して信じないでください。

噂を信じてはいけません。. . .」

ボーリヌのショパンを弁護するこの美しすぎる文章は、サンドの気持ちを逆撫でした。

サンドにはこのような生まれ付きの美の女神が微笑まないからだ。

しかも、ボーリヌとショパンは自分の知らないところで合って話しをしたのだ、サンドの嫉妬は娘ソランジュとショパン、そして友人ボーリヌへにも向けられ、ノアンには例年のような芸術家仲間は訪れなくなっていた。

ボーリヌの書簡を読んで怒り狂ったであろうサンドに追い討ちをかけるように、

ボーリヌの夫ルイ・ヴィアルドは、妻の意見に賛同する表明を期した。

「率直に言うと、ショパンが私たちに言ったことは次のように要約できます。ソランジュの結婚は、彼女自身にとっても、彼女の家族や友人にとっても、大きな不幸です。娘も母も騙され、その過ちに気づくのが遅かった。

しかし、二人とも(ソランジュとサンド)その過ちを共有していたのだから、なぜ一人だけが(ソランジュのこと)責任を負わなければならないのか。

娘が望んでいた、主張していた、不釣り合いな組み合わせを、承諾した母親は

承諾した母親にも責任があるのではないか?」サンドが主張するには、ソランジュが望んだ結婚だったことになっているが、ソランジュは、まだ18歳で未成年者は親の承諾書なしには結婚できないはずで、結局、承諾した母親サンドの責任であることをはっきりと

サンドに突きつけた。

「ソランジュの偉大な才能と経験があれば、

愛情よりも苦悩に駆られていた少女をあなは啓発すべきではなかったか。」

ソランジュの偉大な才能とはフィリップ王の私生児ということかもしれない…

「もし彼女の考えが間違っていたとしても、あなたが関与している過ちに対しては、情けをかけるべきではないですか。そして、私は、心の底から両者(サンドとソランジュ)を哀れに思い、二人のうち唯一私が見ることを許されている一人(ソランジュ)を慰めようと努力しています。

これ以上の言葉はありません。私は苦しさや辛さはなく、深い悲しみに包まれています。邪悪な唇の息吹があなた方の間に入り込んだのではないかと思います。」

ボーリヌの夫は美術評論家、翻訳者、文筆家、作家だった。ボーリヌがノアンで水害に遭遇した時、彼はノアンまで迎えに来てくれたことがあった。彼はサンドとも友人で、1841年、ルイ・ヴィアルドは、ピエール・ルルー、ジョルジュ・サンドと社会主義新聞を設立したことがあったがこの新聞は長くは続かなかった。

ボーリヌの夫はサンドへ強く物が言えるだけの高い地位がパリであった。