十四日年越
正月(1月1日=大正月)前夜の年越しに対して小正月(1月15日)の前夜をこう呼
びます。昔は小正月までが松の内で、この小正月に小豆粥をいただいて、松飾りを
外し左義長(どんど焼、などとも言います。)でお焚き上げするんですね。豊作祈
願である成り木責めで小豆粥を塗り込む風習があったりするのもこの流れかな、と
想像しています。ちなみに昔の鏡開きは20日。もっとも江戸時代に将軍の忌み日を
避けるために幕府が鏡開きは11日!とおふれを出したそうで、関東では11日の鏡開
きが主流になり、鏡開きより松の内が長いのはおかしいので松の内も7日(人日の
節句)までとなったとかならないとか。小正月に行われていた元服に由来する成人
の日も1月の第2月曜になりましたし、人の決めた行事(の開催日?)は人の都合で
結構変わるものなんですね。
ともあれ長い松の内も開けることですし、本日からまたブログを再開いたします。
冬眠しがちなくらげびとですが本年もよろしくお願いいたします。
注)成人式以外の話は昔々に祖母から聞いたものですので根拠は明確ではありま
せん。
追記1)ちなみにうちの鏡開きは1月4日でした。延々と説明してくれた日付ではない
のを不思議に思いましたが叱られそうなので聞けませんでした。
追記2)そして松の内は小豆を食べないとも祖母に聞いたのですが、食卓には思いっ
きりぜんざいが載っておりました。そのことをうっかり指摘して「小豆その
もののことやっ!」と叱られたのもいい思い出です(笑)。甘いもの好きな
祖父母のことだから、それこそ人(祖父母)の都合で小豆餡をOKにしちゃっ
たのかも、と思ってしまう、いけない孫なのでした。実際のところはどうな
んでしょう?