最近増えた独り言 だから小休憩 ほんの間奏程度のエントリー だけど本の感想を書きたいんだ
最近増えた独り言 だから小休憩
ほんの間奏程度のエントリー
だけど本の感想を書きたいんだ
今度会おうと言った細川氏の 著書や楽曲をとことん鑑賞
韻の固定観念が取り払われ ほんと感動 今度参考にしよう
得も損も勘定せず 掘り進むどんどん 炭鉱夫のように
お宝のような美韻を求めて
韻の時代は終わった? その論調 言語道断
踏韻に今後も賛同する同士よ 集え
今日は「お(ん)おあ(ん)おう」の5文字。
上にも書いた通り、本の感想を書こうと思うんだけど、今日はこれ。
まぁ、どれだけ影響受けたかはこのブログを見れば一目瞭然よな。この本によって、俺の中の「韻」のイメージは大きく変わりました。その結果、以前に比べて韻が踏みやすくなったかもしれない。
たとえば、分かりやすい例で言うと、【韻とダジャレの明確な違い】。
この違いを説明するときに細川氏が提唱する「良質な韻の定義」5つを用いると、韻の理解がグッと深まる。
①共通している母音の文字数が多い
②同じ母音で踏み通す回数が多い
③母音のみならず子音も共通になっている
④固有名詞など汎用性のない言葉を含んでいる
⑤韻を構成する品詞や言語が多様である
定義の詳細を知りたい人は本を読んでくださいね。
ダジャレの代表例「アルミ缶の上にあるみかん」。これを「アルミ缶の上で待つ時間」とすると韻になる、というのは分かりやすい例。「アルミ缶→あういあ(ん)」の母音をあわせればいいと考えれば、ダジャレよりも踏韻の方が条件としては緩いといえる。
②、③の定義にもあるとおり、同母音で踏み通す数と子音が共通していることも良質な韻の定義なわけだけど、でも同時にトレードオフが生じる。それは、母音と子音が一緒になる言葉を探すのには限界があるということ。子音まで合わせようとするあまり、自ずと短い言葉にせざるを得なくなる。具体的には「しゃ=社、者、車」など。今流行のオリラジ「Perfect Human」の藤森パートはまさにこの典型だと細川氏は直近のブログでも記してます。
この母音だけで踏めばいいという定義は、敷居の高いと思っていた踏韻の条件を一気に引き下げてくれる。これだけでも、この本を読んだ価値はあったと思っています。これだけに限らず、韻の詳細なテクニックや理論を解説してくれているので、是非興味がある人は手にとって見てください。
韻にはトレードオフが少なからず存在していると感じています。たとえば
①子音まで合わせると短い言葉になりがち
②踏韻にこだわりすぎると、メッセージ性が失われやすい
とかね。これもある意味で踏韻の制限ルールであり、この絶妙なバランスを模索しながら、このルール範囲内で楽しまなければいけないということが燃えるわけです。
最近子どもの教育について考えると、「好きにしろ」っていう自由は、本当に自由なのかなって思うようになっていて、【自由はある種の制限の中にこそ生まれる】と考えるようになってきた。韻についてもご多分に漏れず当てはまるなと思ったのでした。
そうそう、このブログを読んだ親友が紹介してくれた本もすぐ購入。