沖縄空手は、人類心身思想の極致
ここ最近、私は拙ブログで・・・。
武術として伝承された沖縄空手とは・・・、東洋心身思想の極致っと、記すのでは無く、人類心身思想の極致っと、記しています。
それは前ブログにおいて、武術として伝承された沖縄空手の形とは、「重力場」での、心身の操作を学べる場。
あるいは、学ばなければならない場である!っと理解したからです。
その重力場における、自らの心身操作を司る二つの線。
右でも左でも無く、前でも後ろでも無い、身体を貫く正中線
上でも下でも無い、身体を立地面から平行に奔る天地線
によって、自分の心身をもっとも効率良く操作する。
次に、形において修行する二つの線
相手と自分の正中線を最短距離で結ぶ、真の演武線
二者が一つになった時の、重力による自由落下の場所を示す、形の演武線
の、合計四つの線の存在認知と、活用。
最も効率の良い、最小の動きで最大の効率を発揮し、かつ相手の目から自分の動きを隠す(消す)動作をなさせる。
っという人類の心身思想・操作において、最高の理解と習得体系を確立したからです。
それも、人が相手と対峙した時におこる、空間の存在がある場合と・・・。
彼我の、二者が一組になった。
あるいはなってしまった時における、最高に効率の良い心身操作を学べる体系を確立しているのです。
古今東西、これほどまでに詳細に、かつ完璧に、一つの空間に己の心身を置き、その心身操作を取り込み、その修行体系を確立したものは、ありません。
唯一、武術として伝承された沖縄空手と、その形のみです。
これは今回、直弟子限定の最高師範直伝オンライン稽古会を受講された、全ての方々が実感されたと思っています。
このオンライン稽古会でも宣べましたが、ここまで形の構成・機能・様式・応用を理解したならば、武術としての徒手格闘の形は即座に創作できます。
(でも、その優劣は当然でてきますし・・・。
第一、やってはいけません!)。
そして近代になって突然表れてきて、一子相伝の形などを謳っている流会派の形が、如何に陳腐であるのかも理解できてきます。
あれなどは、武術として伝承された沖縄空手の形というものの、片鱗さえも理解出来なった人間が創ってしまった、トンチンカンな創作モノ以外のナニもでも無いのです。
または現在の、いわゆる形の分解なるものが、如何に意味を成さないものであるのかも、理解できてきます。
または「形の分解と呼ばれるものは、全く使えない!」 っと、ホントウは全ての人々が分かっているはずなのです!?
ただ、それを識別できなった、あるいは認知することが出来なかった、私、新垣清を含めた、現代の空手の練習者たちの眼の節穴さも、哀しい事実なのですが・・・。
次回のブログからは、少し私が自らの修行で会得した、ナニをドウ観ていくのか?
すなわち「観の目」っとも呼ばれるものに関して、を少し記していきます。