F.Chopin、ショパンの自己犠牲の愛、それは生まれながらの聖人
ボーリヌ夫妻がノアンのサンドへショパンは
聖人であり、ソランジュの不幸な結婚はサンド自身の責任だから汚い口を利く悪友の話しには私達は乗らないとした抗議文を出した頃、ショパンは、ソランジュへ書簡を書いていた。
ショパンはサンドの機嫌をこれ以上損ねないよう、ソランジュをなだめた。
実はソランジュはクレサンジュと結婚したくなかったのだ。ソランジュには意中の人がいたのだ。
政治家で詩人で作家でもあるヴィクター・ラプラドだった、彼はこの時ショパンより二つ年下の35歳だった。ソランジュは子供の頃からショパンの近くで育ちショパンが理想の人だったのだ、だから自分と不釣り合いな年齢の男に惹かれていた。
サンドはソランジュがもし、この男と結婚したら、自分よりも人生に成功するであろうと思うと、女としての嫉妬が頭をもたげ、
決して許すわけにはいかなかった。その代わりにサンドのお古…のクレサンジュをソランジュに当てがったというわけだった。
そんな秘密もソランジュやロゼールから聞いたのか、ショパンは知っていたのだ。
ショパンは、ソランジュに同情心はあった。
ソランジュへ毎日、気をなだめる書簡を書いた。
「私はこの2週間、毎朝あなたに手紙を書き始めています。
あなたの二度にわたるノアンへの訪問の結果に、私はどれほど心を痛めているかお察しください。
しかし、あなたがご自分の気持ちを示した最初の一歩を踏み出したのですから、あなたとあなたの家族に何か動きがあったはずです。
あなたがお母様に手紙を書くように誘われたということは、あなたとお母様を引き合わせるためのある種の動きがあったのでしょう。
あとは時間が解決してくれるでしょう。
それに、人は言われたことをすべて文字通りに受け取ってはいけないことをご存知でしょう。
私のような他人をお母様が認識しなくなったとしても、
家族の一員となったあなたのご主人も同じではないでしょうか。
昨日、ロゼールに会ったのですが、バスカン夫人があなたから連絡を受けたと言っていました。ノアンからはなかったそうです。… 」
ショパンはロゼールとバスカン夫人を通して
ソランジュとサンドのことを聞いていることを話した。
そして、冬のパリの天気は最悪であることを付け加えた、
「ここの天気は最悪で、あなたは幸運にも晴れた場所にいるのですから、どうか元気で明るく過ごしてください。もっと良い気候の情報をお届けできるようにしたいものです。…」パリの環境は最悪だから、あなたは幸運だとソランジュをなため励ますショパン。
ショパンは、結婚後にソランジュが母親がボリーをノアンに連れ込み情人にしていることを抗議したことが母と娘の間を硬直させた原因でもあることは、ボーリヌ夫妻には話さなかった。
ソランジュへショパンはグシマーワも大変なのだと伝えた。
「グシマーワの財産をすべて奪ってしまった一年が終わってしまった。彼は、不運なビジネス投資ですべてを失ったばかりなのです。
ドラクロワは私に会いに来て、君に会えなくて残念だと言ってくれと頼まれました。
ビニャー(アラゴ)はここに来ていない。
マルリアニ夫人は法的に離婚が認められまた。」サンド一家とショパンの共通の友人達の近況を伝えてることで、ショパンは友人達と連絡を取り合っていることをソランジュからサンドへ聞こえて行くように伝えた。
「あなたにもニュースがありますよ。しかも
お母様の記事が『ル・シエード』紙に掲載されていて、ルイ・ブランの『二人の歴史』について書かれています。
それが私の伝えたいことの全てです。息苦しくて頭が痛くなってきましたので、
私の至らぬフランス語を許してください。
あなたのご主人も含めて、温かく握手させてください。あなたに捧げる ショパン」
ショパンは二週間の間毎日ソランジュへ書簡を書いた。ショパンはサンドの下僕だったが、下僕というものはサンドの子供から見ても下僕として扱われるのだ。
ショパンは謙虚に優しくソランジュをなだめた、ショパンの自己犠牲の人間愛は生まれながらの聖人だったのだ。