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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

啓蒙の光24-実践理性と道徳の根源

2021.06.29 11:05

1788年イマヌエル・カントは「純粋理性批判」の続き「実践理性批判」を出版した。前作では、真理を究極的に追究すれば二律背反に陥ると彼は書く。しかしそれを抜ける方法がある。それは人間の「自由意志」である。明日の天気の話で言えば、正確にはわからないが行くかどうかは自分で決めることだ。

カントはしかし、根本的な人間の行動を決めるのは「定言命令」だという。つまり無条件に「これをしなさい」ということだ。アメリカなら「コモンセンス」日本では常識、カトリックでは聖霊の導き、プロテスタント的には市民道徳、カントはそれを哲学的に言ったわけだ。

認識では二律背反だった神などは「実践理性」によって承認される。宇宙に永遠の神や法則があるかはわからないが、善悪を認識するのは絶対性を承認することだ。これは日常ではいいし、穏健な常識で世間は成り立っている。日本人はだいたい手を合わせて拝むなら神でも仏でもよい。

ところが、日常が壊れる場合はなかなか難しい。戦争などは「祖国を守れ」という定言命令で言われることが多いわけだ。カントの楽観的な啓蒙主義は、その翌年に起こるフランス革命で試練を受ける。「自由平等友愛」のコモンセンスは、とんでもなく過激化をしていくのである。