「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 いよいよ徳川慶喜が将軍になる
「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 いよいよ徳川慶喜が将軍になる
水曜日は大河ドラマ「青天を衝け」について書いている。この大河ドラマは、ある意味で「戦争のない経済ドラマ」を大河ドラマとしてどのように行うのかということで、その視聴率がかなり注目されていた。私などは、はっきり言ってストーリー性から考えて、かなり悲観的に考えていたのである。しかし、その予想はいい方に裏切られた。今までにこのブログに描いてきたように、出演者のほとんどすべてが「イケメン」であるということが、若い女性人気をしっかりと支えており、また、その中に渋い演技を行う個性的な人が、彩を添える物語構成は、やはり受けがいいようである。ある意味で、視聴率の数字だけを見たら、民法のドラマよりも良いのかもしれない。
さて、そのようなイケメンがたっぷり出てくる大河ドラマであるが、そのドラマの中の内容はかなり面白く書かれている。
ドラマそのものはすでに「慶応二年」つまり1866年に進んでおり、第二次長州征伐の中で、第十四代将軍徳川家茂が薨去する。ドラマの中では、徳川慶喜に対して「あなたと腹を割って話したかった」というセリフを言うのであるが、実は、家茂は「自分が死んだら田安家に継がせるように」と天璋院篤姫や和宮などには話していた。側近の多くもそのことを聞いていたのであるが、まだ幼少の田安家に幕府運営は不可能ということと、当時の薩摩や松平春嶽率いる福井藩などに対して屈することのないのは、慶喜しかいないということを言われており、そのような流れから徳川慶喜が十五代将軍に就任する。
ある意味で、将軍の選任に関して、外様大名との関係性を考えながらしか選べない状態で、幕府は終わっているということになる。この時代の直前、板倉勝静が老中に就任するときに、山田方谷は「徳川幕府の命脈はおそらく永くはないであろう。歴然とした前兆が現れている。幕府を衣に例えるなら家康公が材料を調え、秀忠公が織り上げ家光公が初めて着用した。以後、歴代将軍が着用してきた。吉宗公が一度洗濯をし、松平定信公が2度目の洗濯をした。しかしもう汚れと綻びが酷く、新調しないと用にたえない状態になっている。」「三度目の洗濯をしたらどうか?」という質問に「生地が既にぼろぼろになっており、もはや縫っても縫い目がもたないよ。」と答えたと伝わる。ある意味で、幕府の本質をしっかりと見ていたのではないか。
すでに記事がボロボロになっている、そのように感じたのは、「備中聖人」山田方谷だけなのか、そうではないのかはよくわからない。しかし、この大河ドラマの中では、渋沢栄一もそのように感じていたかのような感じに受け取れる。
吉沢亮NHK大河「青天を衝け」20話14・6%幕臣となり失意の篤太夫
NHK大河ドラマ「青天を衝け」(日曜午後8時)の第20話「篤太夫、青天の霹靂(へきれき)」が27日に放送され、世帯視聴率が14・6%(関東地区、速報値)だったことが28日、ビデオリサーチの調べで分かった。前週20日の世帯視聴率は13・6%だった。
あらすじは以下の通り。
家茂(磯村勇斗)が亡くなった。慶喜(草なぎ剛)の次期将軍就任が避けられぬと目される中、篤太夫(吉沢亮)は「今将軍になっても、国中の非難を一身に背負うだけ」と慶喜に進言する。一方、薩摩の大久保一蔵(石丸幹二)は公家の岩倉具視(山内圭哉)と共謀し、王政復古を画策していた。慶喜が徳川宗家を継いだことで幕臣となってしまった篤太夫は失意の日々を送っていたが、ある日、謀反人の捕縛を命じられる。警護のために同行するのは、新選組副長・土方歳三(町田啓太)だった。
「青天を衝け」は、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の生涯を描く。主演は吉沢亮。成功の部分ばかりにスポットが当たるが、渋沢の人生は順風満帆ではなかった。田舎の農民の家に生まれ、倒幕を目指すも幕臣に。幕府が倒れた後は、新政府に仕官、33歳の時に民間人へと転身した。その後は実業家として民間改革を目指し、近代日本の礎を築いた。
脚本は同局の連続テレビ小説「風のハルカ」「あさが来た」などを手掛けた大森美香氏。
※草なぎのなぎは弓ヘンに前の旧字体その下に刀
[2021年6月28日10時26分] 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202106270001162.html
ある意味で、今回の渋沢栄一に関しては、「備中の山田方谷のエピソードをかなり多く入れている」のではないかと疑いたくなるような記述が多い。もちろん、脚本などに苦情を言っているのではなく、当時「米本位制」から「貨幣経済」に移行するときに、陽明学的な見地から物事を見ている人は、その立場がもともと攘夷であっても開国の考え方をしていても、似たような考え方を行い、なおかつ似たようなエピソードになるのかもしれない。
山田方谷も、渋沢栄一も、学問をどれくらいしたかということは別にして、農民(山田方谷の場合は油商であったが)から、身を起こし、その中から幕政にまで関与するということは、このような状況になるのではないかというような感覚で物事を見ることができる。もともと武士ではない、つまり、「農民が貨幣経済に代わる中で生きている」という状況の中で、何を考えるのかということ、そしてその知恵を武士、それも徳川慶喜であったり、首席老中板倉勝静というところが採用し、そしてその後の明治維新に備えるという流れは、かなり似たような感じなのかもしれない。
今回、「幕臣になって落ち込む渋沢栄一」が書かれている。つまり、彼ら農民出身の武士にしてみれば、「幕臣」というのは、ある意味でそれほどのプレミアム感はなくまた、もしかしたら幕府という組織が、もうもたないということを、肌で感じていたのかもしれない。
ストーリー的には、もともと尊王攘夷を掲げ藤田小四郎などと行動を共にしようとしていた渋沢栄一が、その「倒す」または「改革する」対象としていた幕府そのもの(幕臣ではあるが)になってしまったということが最大の問題なのかもしれない。思想の編成んがありその思想の変遷の中に付いて行けなくなってしまったということが、なかなか運命的によく表れている感じがする。そのうえ幕臣として新選組の土方歳三とともに騒擾の犯人を捕縛するというストーリーであり、幕臣になって落ち込みながらもしっかりと仕事をする姿が表れている。
上記山田方谷であっても、自身は開国派でありながら「公私の別」をしっかりと行い、その私的な考えは別にしながらも、板倉勝静に使える。渋沢栄一の場合は、まだ徳川慶喜との間がそこまでの熟成された関係ではなかったので、従わざるを得ないというような感じになっていたのかもしれない。
そのような考え方の中で、様々な場面を想定できる非常に楽しい内容ではないか。単に「イケメン」ということだけで視聴率が撮れるものではなく、このようなストリーの展開、それも実際の話(かなり脚色されているが)が広まるという意味では、さすが大河ドラマであるということができるのかもしれない。