自民党と立憲民主党が悪い理由
一番わかりやすいのが、どちらも消費税を上げようとしていること。
彼らは大企業の経団連(経営陣)と連合(労働者)をそれぞれ後ろ盾としており、自民、立憲とも「大企業寄りの政党」であることに変わりはない。
また、国民民主党も完全に連合である。
つまり、史上最高益を叩き出して、446兆円もの内部留保を持つ大企業やグローバル企業が支払う法人税を極限まで下げて、その代わりに子どもから老人まで、すべての国民が負担する消費税を上げようとするという目的は「同じ」なのである。
6月17日に連合の神津会長が「消費減税すべきという考えはない」と言ったり、経団連の米倉会長(当時)が消費税率を2025年に19%まで引き上げることを求めていたり、経済同友会が2025年には消費税14%以上が望ましいと言っていることからも、そうした状況がよくわかる。
道徳を重んじて、「養育院」の院長として貧困層を救った、かの渋沢栄一に比べれば、彼らはとにかく「財政再建」の一点張りであり、国民を貧しくて、自らの富を守ることだけを考えている悪しき守銭奴に堕したと言っても過言ではない。
つまり政府が「財政再建」の暗示から解き放たれて、財政出動して、貧しい国民にお金が行き渡るようになれば、自分たちが抱える内部留保の価値が相対的に下がるためである。
―であるから、ほとんどの国民が資産1億円以上を持っていない(おそらくは1000万円以上も)中で、どの政党に投票しても、日本国民を底辺までに貧しくした竹中平蔵に国民栄誉賞をあげるようなものであり、少なくともこのまま消費税が引き上げられて、完全に自分の存在を全否定することになるのである。
政治経済に精通するひろゆき氏が「(派遣法改正で格差を拡大させつつ、国から地方への支出を100兆円も削って、日本国民の財産である300兆円ものゆうちょマネーを米国に譲り渡そうとした)小泉純一郎は腹を切れ」と演説していた又吉イエスさんに投票し続けたように、基本、「国政政党に選択肢はない」のである。
今の日本は残念ながら完全に格差拡大の、階級闘争の時代であり、今の国政政党は完全に大企業や外資のためだけに存在するので、なんとかかつての「一億総中流社会」に戻したいというのが私の政策の柱である。
そしてその政策を採っていた国民新党が解党したため、私はその後継者となり得る政治を目指している。
但し、外交・国防のスタンスは、自民党が秀でているように思う。
QUAD(クアッド。「4」の意)のように、日米豪印の4か国で中国の脅威に対抗する外交は私も大賛成だ。
だが、それは自民党による外交努力の成果というよりも、世界情勢によって、中国が強大化して人権をさらに弾圧し始めたために起きた自然の流れに過ぎない。
たとえば韓国と北朝鮮の関係が良くなれば、日韓関係が悪化し、逆に南北の関係が悪化すれば、相対的に日韓関係が改善されるというのは、日本からはどうすることもできない。
そして、これまでも自民党は、拉致被害者の帰国など、むしろそうした外交の成果による小泉人気のどさくさに紛れて、日本のゆうちょマネー300兆円をアメリカに献上しようとしたり、そのアメリカでもやらないような、自国民の年金を海外株式市場に投入する(安倍さん)という、日本国民の富を、一人で何兆円も持っているようなアメリカの1%の大金持ちに譲り渡すようなことをしてきたのが、マスコミを味方に付けた郵政選挙で、真の保守である旧竹下派や江藤・亀井派の重鎮(じゅうちん)を追放した旧森派や、デイビッド・アトキンソン氏を奉じる、とんでもない外資派(菅(スガ)さん)による売国、緊縮増税の、忌まわしい、悪しき今の自民党政権なのである。
日本で唯一評価できる政党は「れいわ新選組」だが…。
山本太郎さんは、明確に道徳を否定しているため、私がれいわを支持することはないが、それでも山本さんの活動自体が道徳的であり、経済政策自体も、反新自由主義、反緊縮増税で、三橋貴明氏に近いため、他の国政政党と比べれば、国民の貧困化を救える唯一の政党である。
だが、日本版SDGsが、普通の日本人を逆差別するアイヌ新法と同様、「性的同意」との抱きかかえ商品であるように、れいわ新選組もまた、「反基地」との抱きかかえである。
彼は2019年の参院選の東京選挙区で、反基地の創価学会員である高齢の野原善正(よしまさ)氏を公認し、また2020年の都議選では自ら立候補したように、他の正しい経済政策を武器(撒き餌)にして、東京に「反基地」を持ち込もうとする野心が露骨すぎた。
また彼は、中国と韓国を一切批判せず、反米路線を採(と)り続けるが、今の中国共産党と私が相容れるものは何一つない。
中国・韓国との友好を示すのは大いに結構なことだが、やはり今の日本は、フジテレビの外資比率の問題でもわかるように、テレビも韓国資本が株主となり、北海道の状況を見ても、中国資本に完全に侵略されつつある。
それらを一切顧みない「れいわ」は真の保守とは全く呼べないのだ。