F.Chopin、ショパンの告白、サンドは狂気、サンド一家を支えた8年間に悔いはない
(ショパン肖像画よりイメージ)
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
クリスマスをパリで迎えたショパンはワルシャワの家族へ12日間かけて書簡を書いた。
ショパンは変わらず家族へ毎日の日記のように書簡を書き続けていた。
ショパンはソランジュとクレサンジェへのお金の支援で、また振り出しに戻り、毎日レッスンに追われていた。お金が入った頃になると毎回サンド一家から催促が来ることから、いい加減に逃れたいのが本心だった。
疲れるレッスンは恐ろしく忙しく、お金を取り返すには時間がいくらあっても足りなかった。
「私はとてつもなく忙しいので、あなたの手紙にすぐには答えられませんでした。」
ルドヴィカからショパンへ書簡が届いていた。(現存せず)ショパンはその返事を書いていた。
「しかしながらロゼールが恐らく直ぐに返事をして、私が元気だが仕事で首が回らないと伝えたと思います。」ロゼールからもルドヴィカへ手紙を送っていた(現存せず)。
ショパンのこの時の仕事とは作曲の事でなく弟子のレッスンのことだ、だからお金がないショパンは首が回らず時間もないのだ。いつの世も貧乏人は暇なしなのだ…。ショパンは毎日忙しい合間を縫って毎日書簡を書いていた。
「私の名付け子の胸像をありがとうございました。…」ショパンは相変わらずお金に余裕がなくても、名付けの子にクリスマスの贈り物をしたりしていた、そのお礼なのか、ショパンに無名作家の胸像が送られてきた。
「…しかし、この胸像を作った人は、きっとありふれた人なのでしょう。…」
作家名もない、よくわからぬ作品を送ってこられ、芸術作品に目の肥えたショパンには
価値を見いだせないのだ…。
クリスマスのプレゼント行事だから仕方がない…。そしてショパンからルドヴィカへ送った物は…、
「宮廷侍従長 "ワレフスキー "から ルドヴィカのための小さな婦人用小物をお送りしました。
私にとても親切なスコットランド人女性のジェーン・スターリング夫人からルドヴィカへの贈り物です。
そして、私は普通郵便で新年の版画を送ります。
そして、ガヴァールがルイーズのために描いたスケッチを2、3枚くれたのです。
適当な機会を待っているのです、
近いうちに自分で持ってこようと思います。」
ルドヴィカからの書簡が現存しないため、ルドヴィカが何を書いて来たのかは憶測だが、ショパンのルドヴィカへのこのひと言にはショパンがワルシャワへ帰ろうとしていたことが伺えるのだ。
「ルドヴィカからも彼にお礼の手紙を送ってもいいでしょう。
これらに加えて、[ボスボラス海峡]と[パリの歴史]をルドヴィカに贈ります。
イザベラ(妹)には[アイルランド]、[ローマ]、[フランス]、幼いルドヴィカには『ポールとヴァージニア』があります。
カラサンティには、[紳士]と[マドレーヌ]、
バルシンスキーには、[教授たち]という漫画があって、これらは風刺漫画です。
大いに笑ってください!」
ショパンはルドヴィカには歴史物の本を送り
、ルドヴィカとイザベラの夫には、パリで流行りの風刺漫画を送った。
「2日前のクリスマスイブは、私は最も平凡な方法で過ごしていました。
あなたのことを考えていました。いつものように新年のご挨拶を申し上げます。
いつものように。. .」
ショパンはサンドの居ない新年を迎えた。
そして、話題は、またソランジュのことに移ったショパン。
「ソランジュは父と共にガスコーニュ地方にいる。彼女は母に会いました……」
こう書いたショパンは、ソランジュがショパンに書いて来た通りをそのままルドヴィカへ伝えたショパンだ。
「彼女はデュベルネットと一緒にノアンに行ったが、母は彼女を冷たくあしらい
夫と別れるならノアンに戻ってもいい、と言った。
彼女が見たのは、自分の婚礼の間と
花嫁の部屋が劇場に、寝室が役者の衣装部屋になっているのを見たそうです。
母はお金のことばかり話していたと書いています。
彼女の兄は犬と遊んでいて、彼女に言うべきことは、何か食べたいですか?だけで、
いとこや他の客の姿は見えなかったそうです。つまり、彼女の2回の訪問は完全に無駄になったのです。
というのも、ソランジュは翌日、帰る前にノアンに戻ってみると、さらに冷たくあしらわれたからです。
しかし、彼女の母親は彼女に手紙を書くように言ったそうですから、ソランジュはその通りにしたのです。彼女の母親は
今では娘よりも義理の息子(クレサンジェ)に激怒しています。
あなたもよく知る、私へのあの手紙(サンドのショパンへの書簡のことで現存せず)では、義理の息子は悪い人ではないと母親は書いていました。
婿は悪い人ではなく、娘のせいであんなになってしまったと母親は書いています。
彼女は娘と私を一気に排除したかったのだろう。」
ショパンは、作曲家脳なのだ今までのサンド一家の経緯を何度でも間違えなく繰り返し説明できるのだ。ルドヴィカへ延々とて書くことで自分の気持ちを鎮めようとするフレデリック…。
「彼女は娘と連絡を取り合うことで、子供のニュースを聞かないと気が済まない母親の心は癒され、憎しみは抑制されます。彼女は自分が正義であり公平であると思い込み、私が敵であると宣言するでしょう。
私が義理の息子の味方をしたというだけで、私を敵だとするでしょう。
婿の側に立ったというだけで、私を敵視するのです。彼女は、自分の娘と結婚したというだけで、彼(クレサンジェ)に我慢できないのです。
私が全力を尽くして阻止した結婚です。
彼女(サンド)はその知性にもかかわらず、奇妙な生き物です。
彼女(サンド)は一種の狂気にとらわれている。
自分の人生も娘の人生もめちゃくちゃにしているのです。ですから、
彼女の息子も不幸な結末を迎えることになると思います。」
ショパンはサンドのことを、今までは、サンド夫人とか愛人と書いていた、しかし、この書簡のサンドへの批判には、母親とか彼女と書いた。ソランジュのことも娘と書いたりして、誰かに読まれることを意識したのか、サンドを恐れていたのか…。
「私はそれを予言し、その予言に自分の名前を署名する。」
彼女(サンド)の息子ももう名前を書かないショパン…
モーリスが不幸になることを自分(ショパン)は予言し保証すると宣言したショパン…。
ショパンは更に堰を切ったかのように話し出しペン先は休むことなく走り出す…、
「彼女は自分の行動を弁解するために、彼女の幸せを願う人々に責任を負わせようとしました。
彼女の幸せを願っている人、彼女を信じている人、彼女に卑怯なことをしなかった人、
自分のことを良く思ってくれている人、自分のことを信じてくれている人、自分に卑怯なことをしたことがない人、彼女は自分の近くにいるのを見るのが耐えられない人に責任を負わせようとした。
彼らは彼女の良心の鏡だからだ。だからこそ、彼女は私に一言も書かず
私に手紙を出さないのも、冬の間パリに来ないのも、そして
娘さんにも私の話をしなかったのはそのためです。悔いはありません、
娘の成長と息子の成長という、彼女の人生で最も重要な8年間を私が支えたことに、私は後悔していません。」
ショパンのルドヴィカへの書簡は、クリスマスの新年の挨拶を書いた後、ショパンはサンド一家の下僕として仕え、サンドの子供の養育費の支援と心の教育を手助けしたこと、サンド一家との8年間を振り返り、後悔はないと言いながらも、ショパンは、
悔しさで気持ちが溢れた。それは、まるで遺書のようにまだ続いたのだった…。