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フォーカシングについて

2021.07.03 12:42

https://m.amebaownd.com/#/sites/285805/posts/editor/18697329  【余白を愛していきていく・フォーカシング】

https://focusing.jp/aboutfocusing  【フォーカシングについて】 より

フォーカシングとは、まだ言葉にならないような、からだで感じられる微妙な感覚に注意を向け、そこから言葉を出していく作業です。

カウンセリングが成功するときには、クライエントの心の中でこのような作業が生じています。カウンセリングで心が変化していく瞬間に起こる現象です。

フォーカシングを学ぶことによって、自分自身の気持ちをよりよく理解できるようになったり、何か決断をしないといけないときに納得のいく決断が容易になったりします。また、カウンセリングや心理療法を学ぶ際に、カウンセラー自身の訓練として使用することもできます。文章を書いたり、芸術的な作品を生み出す際に、自分の実感がうまく表現できているか確認することに使うこともできます。


https://focusing.jp/focusing_in_japan 【日本におけるフォーカシング小史】より

日本におけるフォーカシング小史

日本フォーカシング協会ニュースレター第20巻第2号 2017年8月5日発行

国際交流コーナー シリーズ:世界のフォーカシング(13)編集:大澤美枝子(TIFIコーディネーター,フォーカシングプロジェクト)より加筆修正

(本稿は,海外のフォーカシング仲間に日本のことをお知らせするために作成した英文原稿 Focusing in Japan が元になっています)

日本のフォーカシング

 ユージン・ジェンドリンと夫人のメアリー・ヘンドリックスは,1978年と1987年,2度来日しています。

 ジェンドリンの初来日よりはるか以前の1963年,村瀬孝雄はウイスコンシン州マジソンにジェンドリンを訪ね,「人格変化の一理論 A Theory of Personality Change (1964)」を含む多くの論文を翻訳し,1964年(1966年改訂)には『体験過程と心理療法』(1981,ナツメ社)という1冊の本にまとめて出版しました。

 1973年,村山正治はシカゴ大学にジェンドリンを訪ね,チェンジズ・グループやフォーカシング・マニュアルを日本に紹介しました。

 50年代から60年代は,クライアント中心療法のカール・ロジャーズが,日本中の心理学者,カウンセラー,セラピストに多大な影響を及ぼしていた時代です。その結果,多くの人々がユージン・ジェンドリンによる新しい理論や方法にも深く興味をもつようになったようです。

 1978年,ジェンドリン夫妻は,九州大学で開催された第42回日本心理学会大会の特別講演者として招聘され,福岡,京都,東京でもワークショップを行っています。

 ジェンドリンのバンタム・ブックス版『フォーカシング』は,1982年に村山正治,都留春夫,村瀬孝雄により翻訳,出版されました(福村出版)。(ちなみに,『フォーカシング指向心理療法』は,村瀬孝雄,池見陽,日笠摩子他訳で1998年に出版されました(金剛出版))

 1978年,筒井健雄はミシガン大学ノースキャンパスに滞在中,ジーンから「日本へ行ってきた。フォーカシングを教えるから私のアパートへ来ないか」という電話があり,あの『体験過程と意味の創造 Experiencing and the Creation of Meaning (1963)』を訳す許可をもらったのですが,もろもろの事情で1993年の出版となりました(ぶっく東京)。

 1980年,ジェンドリンに学び,修士課程を終えた池見陽がシカゴから帰国し,九州グループに加わることとなりました。当時九州大学では村山正治を中心に,ますます盛んにフォーカシング理論を研究し,実践を積んでいました。1983年には日本フォーカシング研究会が発足,機関紙 「フォーカシング・フォーラム」がスタートしています。その間,日本各地でも多くのフォーカシングのネットワークが活発になってきたようです。

 ジェンドリンとメアリー・ヘンドリックスは,1987年に再び日本に招かれました。今回は上級者向けのワークショップでドリームワークを含むライブのデモンストレーションを披露したり,公開講演会が企画され,我が国の臨床現場におけるフォーカシングの活用に大きな影響を及ぼすこととなりました。この壮大な企画は,1991年,村山正治の編集により,『フォーカシング・セミナー』(福村出版)と題する本にまとめられました。

 アン・ワイザー・コーネルの初来日は1994年で,そのワークショップは全国の数か所で企画されました。九州の福岡,関西の芦屋,東海地区の名古屋,そして東京。これにより我が国におけるフォーカシング・マップができあがったようです。アン・ワイザー・コーネルは8度の来日を果たし,全国各地で数多くのワークショップや個人セッションを行いました。初来日の折,テキストとして翻訳された1993年発行の『フォーカシング入門マニュアル』 『フォーカシング ガイド・マニュアル』(第3版)は1996年に翻訳,出版されましたが,今なお愛好されています(『新装版 フォーカシング入門マニュアル/ガイド・マニュアル』2014,金剛出版)。

 日本フォーカシング協会が1997年に設立されました。そして,「日本フォーカシング協会総会とフォーカサーの集い」が,毎年,全国の異なる地域で開催されています。フォーカシング協会ニュースレター「フォーカサーズ・フォーカス」が1998年に創刊され,年4回,3か月毎に発行されています。

 1998年,ジェンドリンの3度目の来日が企画されましたが交通事故の後遺症のため果たせず,名古屋で開催された日本心理臨床学会の大きな大会にジェンドリンに代わって夫人のメアリー・ヘンドリックスが来日しました。この時,村山正治,村瀬孝雄,池見陽とメアリー・ヘンドリックスは,フォーカシング・インスティチュート(TFI)の新しい認定コーディネーターとフォーカシング・トレーナーを推挙しました。TFIは,メアリー・ヘンドリックスが事務局長を退いてから,世界のコーディネーターたちを中心に,名称をTIFI(The International Focusing Institute 国際フォーカシング研究所)に変えて,新しい組織として再スタートしているところです。