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7月4日 礼拝

2021.07.04 06:16

7月4日 礼拝説教

伊藤大輔牧師


マタイによる福音書 7章1−6節


イエス様の山上の説教は続く。

今度は「裁くな」と言う。

裁くことを我慢しろと仰っているのではないことは

ここまで聞いてきたものなら見当はつく。

我慢でないなら、なにをしろとイエス様は言いたいのか。

人を裁く時の私たちの心はどうなっているのか。

「あの人のここがダメ」

「あの人はここがおかしい」

裁く時に私たちはその人のことを執拗に思い巡らせる。

よく観察し、記憶し、思い出し、裁くことが正義だと決断する。

心はどうなっているのか。

その人のことばかりを心に留めている。

その人に私の心が張り付いている。

心がその人から動かなくなっている。

私の心はその人に乗っ取られてしまっている。

「人からの評価」「富」

「そいうものに心を乗っ取られるな」イエス様はこれまでも語ってきた。

ここも同じ。

裁く、私は正しい、そう決断する時、私の心は乗っ取られている。

乗ったられた心。

定まっていない心。

本来、心はどこにあるべきなのか。

それが山上に説教の最初に述べられた言葉に帰っていく。

「あなたは地の塩、世の光」

あなたは神様からかけがえのないものを戴いている。

それを思い出せ。

それを磨け。

心を自分の奥底から何処かに放り投げるな。

人は塩味を捨てようとする。

光を消そうとする。

人が怖いから。

心配だから富に心が奪われる。

心が乱れていく。

豚に真珠を投げるな。

犬に神聖なものを与えるな、と言う。

これも同じ。

真珠、神聖なもの

塩、光。

私が神様から戴いているもの。

それをどうしてめったやたらと放り投げようとするのか。

ちゃんと自分にあるものを思い出し、磨いていく。

それをしていれば、人がどうであれ、気にならなくなる。

人に心を持っていかれなくなる。

心が私に、

神様からの賜物に留まっていく。

「裁き」など、どうでもよくなる。

「裁く」

その気持ちが始まったら、それは心が乱れてきていること。

乱れた心で行う「裁き」だから常に戦争を引き起こす。

聞いても行わなければ「倒れ方がひどい」と言われた通りになる。

イエス様から2000年、私たちは乱れた心を「正義」と言い張ってきている。

目に丸太がある。

何も見えていないのにも気がつかず、

「正義」「裁き」を行おうとする。

心が定まっているか。

2000年前の問いは今も続いている。

本多記念教会

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