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薔薇の小部屋

二つのドレス

2021.07.04 10:10

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ・ルブランは、マリー・アントワネットと同じ1755年生まれの女流画家です。660点ほどの肖像画と200点ほどの風景画を残しています。

父のルイ=ヴィジェも画家で、子供の頃から絵の教育を受けていました。2歳下の弟エティエンヌは劇作家です。

21歳で画家で画商のジャン=バティスト=ピエール・ルブランと結婚。同年、マリー・アントワネットの肖像画を描くためヴェルサイユ宮殿に伺候しました。同じ年齢のアントワネットとルブラン夫人は、身分を超えた友情で結ばれたそうです。

「ベルサイユのばら」にも、アントワネットが身重のルブラン夫人を気遣い、落とした絵の具を拾う場面があります。


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1783年、ルブラン夫人は王立彫刻アカデミーの会員に選出されました。これにはアントワネットが強く後押しをしたようですが、多くの王族や貴族の肖像画を描いていたルブラン夫人には相応しい地位であったと思います。

この年、ルブラン夫人が描いたシュミーズ・ドレスのマリー・アントワネットは波紋を呼びます。薔薇を手に、流行のレーヌ・シュミーズ(王妃のシュミーズ)といわれるローブと麦わら帽子を身につけた、マリー・アントワネット。

この肖像画は、王妃がシュミーズを着ていると観覧者の非難を浴び、別の絵に差し替えられました。それが青いドレスのマリー・アントワネット。レーヌ・シュミーズを着た肖像画と同じポーズで描かれています。

豪華なローブや宝石を浪費と非難されたアントワネットですが、質素な服装は王妃らしくないと非難されたのです。

当時、貴族の間で流行していたイギリス式庭園の村里(アモー)をアントワネットはプチ・トリアノンに作らせていました。左右対称に幾何学模様を構成するフランス式庭園に対して、イギリス式庭園は自然な森や農村の風景を人工的に再現しています。ルソー等の哲学者も自然への回帰を提唱していた時代、この考えは人間の自由を表現するものでもありました。

アントワネットの親友のポリニャック夫人、ランバル公妃も自分の城にアモーを持っています。

啓蒙の世紀である18世紀。

流行に思えた村里は、莫大な建築費で国庫を疲弊させ、アントワネットを破滅に導きました。