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「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 パリに旅立ち未来のある渋沢栄一と将軍になって将来の閉ざされた徳川慶喜の対比

2021.07.06 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 パリに旅立ち未来のある渋沢栄一と将軍になって将来の閉ざされた徳川慶喜の対比


 水曜日は、「大河ドラマ青天を衝け」について書いている。さて、この「青天を衝け」も、東京オリンピックの影響で7月25日、8月1日、同8日、同29日、9月5日の計5話分を休止するということになった。そのために、7月は4日、11日、18日の3回しか放送が無く、その次は9月になる。そのために個の水曜日の青天を衝けの内容も、5週間はなくなてしまうということになってしまうのである。その5週間、何を書くかということも考えなければならないのであるが、まあ、その辺はその時の話ということにして、今回を含め後三回、「青天を衝け」と渋沢栄一時代について話をすることにしよう。

 青天を衝けでは、徳川慶喜が将軍に就任し、その直後孝明天皇が崩御するという場面である。基本的には孝明天皇との間で公武一和を維持しようとしていた慶喜の目論見が根本的なところで崩れてしまうというような感じになってしまっている。

 その中でフランスとの提携を進める小栗上野介忠順(私は上野介といった方が馴染みがあるのだが)と、イギリスと様々な形で連携しながらいち早く欧米とつなぎを付けていた薩摩や徴収というところが非常に大きな役割をするということになる。フランスとイギリスの「植民地戦争」に巻き込まれた形になっている。

 ある意味で「幕藩制」というような感じになっており、ある意味で幕府が完全な支配(藩札やあるいは法律などの統一性が無かった)ということから、日本は連邦制のように解釈されており、その解釈が、「日本という統一国家と欧米の戦争」というようなことが無かったのではないか。なぜ日本が中国や東南アジアのように植民地にならなかったのではないか。ある意味で、この時の「尊王攘夷」で対立していた内容、幕府の信頼を失ったことが、日本を救ったのかもしれないといえば、なんとなく皮肉である。

 ある意味で、幕府というのは懸命に生き残りをかけながら、実は欧米の侵略を防ぐ様な状況になっているようなのではないか。ある意味で「日本を残すためのいけにえ」が幕府でありそしてその代表が徳川慶喜であったということになる。

 その徳川慶喜の下にいて、ある意味で一橋家の財政を立てなおし、そして、その中で資本主義にいち早く対応した渋沢栄一の物語をしているということになる。そして「幕府が犠牲になる」という方向に進んでゆくということになる。

<青天を衝け>15代将軍・徳川慶喜“爆誕” ナポレオン3世から贈られた洋装 草なぎ剛に「似合っている」の声

 俳優の吉沢亮さん主演のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合ほか)第21回「篤太夫、遠き道へ」が7月4日に放送された。同回では、草なぎ剛さん演じる慶喜が、第15代征夷大将軍に就任。ナポレオン3世から贈られたという洋装(軍服)姿も披露された。

 第21回では、篤太夫(吉沢さん)は、パリ万博に参加する慶喜の弟・昭武(板垣李光人さん)の随行でフランス行きを打診され、その場で快諾する。一方、慶喜は第15代征夷大将軍に就任。慶喜は篤太夫を呼び出し、昭武の未来を託す。その後、横浜で初めて勘定奉行・小栗忠順(武田真治さん)と対面した篤太夫は、このフランス行きに秘められた重要な目的を知らされる。

 旅立ちの前、成一郎(高良健吾さん)と再会した篤太夫。2人は牢(ろう)に囚(とら)われている長七郎(満島真之介さん)と久々に対面するが……という展開だった。

 SNSでは「ついに慶喜公が将軍」「ラストタイクーン爆誕」「15代将軍・慶喜誕生」「将軍・徳川慶喜、かっこいいなぁ! 最後の将軍だけど」などと視聴者は反応。洋装姿には「まさかのナポレオン三世w」「上様の洋装! よくお似合い!」「おお、洋装の徳川慶喜。似合ってる」「つよぽん洋装かっこいい」「つよぽんの洋装がすてきでした」といった声が上がった。

 「青天を衝け」は、“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が主人公で、連続テレビ小説(朝ドラ)「風のハルカ」(2005年度後期)、「あさが来た」(2015年度後期)などの大森美香さんが脚本を担当。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢の生きざまを描く。

7/4(日) MANTANWEB 

https://news.yahoo.co.jp/articles/ece1accba6acd89c92b5f4a1f6ec6f5b1f2005c4

 さて、今回は渋沢栄一の中では最も彼自身を変えた「パリ」に行くという話である。ドラマの中では様々なことがあったが、印象的なところは尾高長七郎との面会と、将軍徳川慶喜のフランスの軍服を来ていた徳川慶喜が映像的には非常に印象に残ったようでSNSにはその内容が多く書かれていたようである。

 実際に、今回の青天を衝けでは歴史的な内容や物語よりもイケメンということの方が話題になっているので、そのイケメンが多く出ていたり何か特別な服装をしていると、そちらの方が盛り上がるのが今回の内容である。そのように考えれば、まあ、役の中とは言え替わり方はそれなりの面白さがあるのではないか。

 さて、私が興味を持ったのは「パリに行け」といわれ、当時の人が皆尻込みしているところで、逆に「未知の世界の中に出てゆくことが面白い」という人がいるのではないか。実際に、何か未知の世界が有るときに、そちらの方に興味を示す人と、そうではなく、不安な気持ちを抱く人がる。その中で、不安な気持ちを抱く人が、日本人の場合は少なくない。それは日本という国があまり環境が変わることを望まない、現状で満足するという人が少なくないからである。

 渋沢栄一は、常に「変化」を求めていたという気がする。そのために「現状を守るため」「日本を守るため」という理由付けをしながら、高崎城を奪取して横浜に攻め上るなどということを考え、実行に移そうとするということになる。まさにそのようなことを行うというのは「自分の生活に変化を求めている」ということであり、渋沢栄一の父に比べてかなりの違いがある。ある意味で「運命を受け入れる」ということができない人々がいて、その運命を受け入れない人こそ、先に自分から未知の世界に入ってゆくものである。

 渋沢栄一の場合、当然に、「変化が好き」な所から「投資家」として成功はするが、彼自身が運営することができない。運営した会社が少なく、設立に関与したとか、設立の時の資金を提供したというような会社が増えてしまうのである。そのように考えれば、確かに「変化に対応する」という能力はあるが、他の藩政改革をした人に比べて「経営を継続する」ということができないという性格になるのではないか。

 逆に「運営する」とか「藩政改革をしたのちに、藩をそのまま運営する」というような継続性が重要なのではないか。そのような物語がもう一つ必要なのかもしれない。「運営する」ということの難しさ「継続は力なり」ということの意味が、日本人の再度確認できるような物語があってもよいのではないか。ドラマとしては退屈かもしれないが、やはりその意味では、日本人に必要な内容を考えてみる必要があるのではないかと思うのである。

 渋沢栄一は、ある意味で、そのような変化の時代の中で「明るく、変化に対応した人の物語」という意味で、今の世の中に非常に役に立つ。逆に、じっくりと経んかの波に対応しながらしっかりと考える人も注目すべきなのかもしれない。