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日本人の死生観【後編】

2018.07.06 14:05

https://www.toibito.com/interview/humanities/science-of-religion/802 【日本人の死生観【後編】島薗 進】より

死を迎えるための教養

――自殺という行為そのものは江戸時代からあったけど、明治の終わりに藤村操が「生きている意味がわからない」という理由で、初めて自殺をした。初めてと言っていいかどうかわからないですけど、「実存の悩み」みたいなものが出てきたということですね。

 そのときに「煩悶(はんもん)」という言葉が広まったんですけど。これは生きている意味が分からない、あるいは、これまで皆が価値あると思っていたものが納得できない。その苦しみ、意味が見いだせない絶望。そのことを理由として死ぬみたいな。

 「何のために生きるのか」と自分自身を問い詰めていって、宗教に行くこともできない。かといって、この世で世間並みにチャラチャラと適応していくことは潔しとしない。漱石の主人公は大体そんな感じですよね。漱石は「神経衰弱」という言葉を使っていますけど。悩む人間こそ現代の問題を正面から受け止めているんだ、それで宗教にも行けないなら死という選択しかないじゃないかと。

――江戸時代であれば考える必要もないことで悩むようになってしまった。

 それは一般の庶民というより、官僚になるような旧制高校のエリートたち。彼らが哲学、文学、芸術なんかにうつつを抜かして、現実の世界をばかにしている。でも、こういう人こそ、本当は社会のリーダーになるべき存在なんだと。これを教養主義と言うんですけど、そういうニュアンスを伴った死の問い方。

 現代社会ではそれがみんなのものになっているように思います。誰もが自分の死について、自分なりの答えを出さないといけない。これは責められているというか、今までみんながやってきたようにしていけばいいんだとは思えなくなった。そういうふうなことがいえると思います。

――誰もが、自分なりの死に方を見つけなければと感じている。

 そういうことですね。

 われわれは今、「グリーフケア研究所」で人材養成講座というのをやっています。これは水曜日の夜と土曜日にクラスを持っていて、一般社会人が対象です。参加している人の平均年齢は40代後半くらい。女性が多いんですけど、看護師さんから、いろいろなケア関係の仕事をしている人、主婦もいるし、メーカーの人もいるし、僧侶も医師もいます。こういう人たちは社会生活を経て、子育てをしたり、人生経験を積んで、あらためて生きている意味、死を自分なりにどう迎えるのか、こういうことを問うようになっています。 それはある意味では非常に自然ですよね。かつては教養という形で学んでいたこと、哲学とか宗教、芸術で問われているようなことを、人生経験を積んだ後にあらためて自分なりに考えてみたいと。

 現代の社会で死生観が問われている背景にはそういうものがあって、漱石なんかの時代からは少し変わったと思います。少数のエリートが問うていた、ちょっと頭でっかちの死生観から、人生の悩みを経験し、親しい人が死んでいくのを見、自分も死に直面するような経験をしながら、あらためて生きている意味を問い直す。あるいは、人と共にある生き方を問い直す。そこにやっぱり哲学とか宗教、文学というものが必要だと感じ、そういうものに接したい、学びたいと思う人が増えている。

――そこには、そもそも今までは誰もが無条件に信じていた集団だったり宗教だったりというものが、そのままでは信じられなくなってきたというのがあるということでしょうか。

 それは大きいでしょうね。

――それでもやはり、哲学や宗教や文学から、自分なりの死生観に結び付くものを見つけたい、学びたい、という流れが出てきているわけですね。

 そうだと思います。

無残な死

――今までのお話は、死を何とか理解しようというか、「死を意識することでより良く生きる」みたいに、死をポジティブに捉えようとするものが多かったと思うんですけど。もしも自分が本当に死ぬということと向き合ったとき、一体どういう状況になるんだろうって思うんです。誰もがいつかはそれと向き合うわけですけど、そのときにどう考えればいいんだろうって。とても難しいとは思うんですけど。

 個々の死はあっても、集団の存続は信じていられるという感覚が、かつての共同体を生きる人にはあった。それがだんだん個人化してくということで、みんながそれぞれ勝手にバラバラに生きているという社会になってくる。今はますますそうなってきているんですけど、日本ではその中間に、戦争による大量の死があったわけです。

 自己の死も重要かもしれないけど、非常に不自然というか、悲劇的な、とても受け入れることのできないような大量の死。これは無残な死であり、むき出しの死であり。そういうものを日本人は20世紀に戦争という形で経験した。吉田満は『戦艦大和ノ最期』でそういう死を描いていますが、そこには現代に通じる寂しい死、一人きりの死へと向かっていくものが既に現れているように思います。

――一人きりの死

 毎日のように、われわれはニュースでそういうものを見ているわけです。虐待で孤独に死んでいく子どもが今も近くにいることを、われわれは知っている。こういう、いわば無慈悲な世界にわれわれは生きてる。それに対して責任が全くないということは誰にもできない。

――吉田満は沈みつつある戦艦大和で自分の死を目の当たりにした時に空虚さを感じたと書いていますが、それは、自分が20歳そこそこで、本当に何もやっていない、何も残さないままに死んでいく空虚さということでしょうか。

 そういうふうに彼は言っていますが、それは彼の近くで死んでいった人たちのことを思って言っていると思われます。これからの人生なのに、何もできずに死んでいかざるを得なかった仲間への思い。それは、子どもを亡くした親が共通に感じることだと思うんですけど、それと同じようなものを彼は強く感じたんだと思います。

――そういうお話を聞くと、またちょっと自殺について考えちゃうんですけど。日本は自殺者が毎年3万人とか

 今は少し減って2万いくらかになっていますね。

――藤村操の話にもつながるかもしれませんが、生きてる意味がないとか、わからないって言いますけど、別に意味なんかなくたって、生まれた以上、生きていくことは前提なんじゃないかって思うんです。生きることに意味を求め過ぎているような気もするんですけど、いかがですか。

 そういう境地になれればいいけど、やっぱりつらいんでしょう。単に生きている意味が見つからないとか、人から見て自分が必要だと感じられないというだけではなく、何にもできない、やる気がない、それで、人からますます軽く見られる。結果、家族に辛く当たる。親からは厄介者あつかいされる。なのに、自分では何もできない。

 そういうふうに自分を追い詰めていくと、毎日を生きていくのがどんどんつらくなる。ゲーテの『ファウスト』に「自由に働き生きることにこそ答えがある」みたいなセリフがありますが、それができない。そういうところへ追い込まれているということだと思います。

――やりたいことが何もないというのはたしかに辛いですね。

 若いときの悩みには、エネルギーが余って自分を責めてしまうというような要素もかなりあると思います。ただ、自殺は若い人だけじゃなくて高齢者にも増えています。高齢者の場合は見捨てられ感。見捨てられ感っていうのは、単に生きている意味がないというだけじゃなくて、罪の意識も入ってる。半生を振り返って、自分が悪かったというか、自分を許せないとかそういう意識が入っているようですね。

永遠のものにつながる

――現代人は、私自身も含めて、死後の世界をそのまま信じるのは中々できないように思うのですが、そうすると生きている限り、死の不安から逃れるのは難しそうですね。

 岸本英夫という人は、死後の世界というものが信じられなくなってしまった現代人が、どういうふうにして死を超えたものをイメージし、自分がそれにつながっている感覚というか、それに命を託すことができるようになるかを問いました。禅なんかもそうですけど、今この瞬間に集中しきることができれば、死の恐怖なんていうものはない。そこに、永遠のものにつながっている瞬間があるといえます。

 こういうのはいろいろな武道や茶道、華道なんかにもありますね。「道」を歩いていけば永遠に通じるんだという考え方。そして、日々の営みは何でも「道」になる。それは私たちには確かに納得しやすい。たとえば、ピアノを演奏している人は、その演奏中はすべてを忘れてその曲の中に入り込んでいるわけですよね。その間は、これから死んでいくとか、死んで無になるとかいうようなことを超えた、永遠のものに通じる境地だと言ってもいい。

――それは、自分という主体と客体の区別がなくなるみたいな感じですか。

 そうですね。禅はもちろんですけど、音楽にもそういうところがあると思います。聴覚的な世界。視覚は見るものと見られるものを分ける傾向が強いんですけど、聴覚というのはこっちから聞くというよりも聞こえてくるものなので、主客の境があいまいというか。これは西田幾多郎とか上田閑照先生などが言っている話ですけど、ボーンと鐘が鳴っているというのは、私が鐘の音を聞いているというより、鐘の音が鳴っているということがまずあるのであって、その経験の中では私とか鐘とかいうものはない。そういうふうな捉え方をしています。主と客を分けない、主客未分の世界。私なんかは字を書くのが下手ですが、本当に見事に字を書く人は、文字の世界に入り込んでいると感じます。

――没入してる感じですよね。

 無為自然という言葉がありますけど、自分から何かをしようとするのではない。世界の中に溶け込んで、そこで自分らしさがおのずから分かるというふうな境地ですね。

――自己というものがあるからそれが消滅する死が怖いのであって、自己が世界とひとつになれば死を恐れる心もない。

 あるいは、そういう心にとらわれる必要もない。自己にこだわることで生じる悩みから自由になる。それが自由自在な生き方であり、それこそが宗教の目指すものだ。そういう考え方は仏教だけじゃなくて道教にもあるし、儒教なんかにもあるかもしれない。「己の欲する所に従って矩(のり)をこえず」みたいな。

――実践できるかどうかは別として、理屈としては受け入れられる感じがします。理屈としては分かります。

 ですので、ヨガをやるとか、気功をやるとかっていうのも、単に美容や健康のためという人も多いと思うんですけど、どこかで、とらわれからの解放、心の自由を得るためでもあると思うんです。そしてそれは、宗教的なものに通じている。

ふるさとへ

――柳田国男や折口信夫の死生観というのはどのようなものだったのでしょうか。

 柳田国男や折口信夫は「民俗学」ということを言ったので、農民を中心としたごく普通の人たちが死や生をどういうふうに受け止めているか、経験しているかということを学術的な言葉にしようとした。その中では、やはり生と死の循環、先祖から子孫へとつながっていく。生きては死に、死んでは生きる。そうやって続いていく集合体の中で、人々が感じているものに共感する。こういうことだと思います。

 たとえば折口信夫は、紀伊半島の大王崎(だいおうざき)という所から海のかなたに目をやった時、その向こう側に命のふるさとがあるという感慨を持ちました(「妣が国へ・常世へ」)。子孫がそこからやって来て、先祖がそこへ帰っていく。そういう世界、永遠のふるさとみたいなものが海の向こうにあると感じたわけです。それは大いなる命のプールのようなもの。そこから生まれて、そこへ帰っていく。生と死のこういう感覚は、宗教が弱まっても、そう簡単にはなくならない。それを何とか復元できないかというのが、民俗学の目指したものです。

 『故郷(ふるさと)』(1914年)という歌がありますよね。「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと」。どこへいても、ふるさとは豊かに生き続けている。柳田邦男や折口信夫が民俗学ということを言っていた時に、この歌もできたわけです。人はみな自然に帰っていく。そこは自分の命と結び付いている子宮のようなもので、生まれてくる前のお母さんのお腹へ帰っていくというイメージです。

 で、大事なのは『故郷』の3番なんです。「志を果たして いつの日にか帰らん」ここが私はある時期まで古くさいなと思っていました。立身出世で社会的に成功しなくちゃいけないのかと。それで、もうこの歌は古いからみんな歌えないなと感じていました。ところが、そうじゃなくなってきた。最近ますますよく歌われるんです。

――なぜなんでしょう。

 一つにはこの歌が、懐かしい自然が失われていく現代で、でもやっぱり自然は大事だよねという感覚に合ってるということ。それもあるんだけど、もう一つは3番の「志」の意味です。志というのは社会で成功して富を築いたり、地位を得たりというようなことではなくて、生きていく中で自分なりの幸せを求め、日々に希望を見出そうとしてきた。それが志なんだと理解すると、「いつの日にか帰らん」というのは、生まれてきたところへ戻っていくということ。死をそういうふうに捉えていると考えられるわけです。

 死が近づいた人が歌ってほしい曲で、『故郷』は一番人気があるそうです。日野原重明先生はキリスト教徒なんだけど、「お葬式のときにこの曲を歌うように」とおっしゃっていました。私も共感します。

――死というのは「ふるさと」に帰るということなんですね。

 誰もが持っている命の源、そこへまた帰っていく。これはそして、世界の大宗教ができる前の人類共通の宗教のもとになるアニミズムにも通じる。そこに「死に方」を見失った現代人がよりどころにできる死生観があるように思います。

――命そのものへと帰っていく。

 それを神と言ったり仏と言ったりもするんですけど。自分の力で生きているのではない。個として生きているとしても、一人ひとり別々の小さな命だとしても、何か大きなものとつながっている。

――生かされている。

 それは他者も入るし、食べている穀物、家畜、野菜、そういうものを恵んでくれる陽の光や、美しい水、きれいな大地、そういうものがあって自分の命があるという。そういうふうな、自分の体がそれだけであるんじゃなくて、いろんなものとつながっているという感じ。この歌の中には、そういうことを感じさせてくれるものがあります。

――私たちは体によって世界との境界をつくっているけど、その体はすべて自然とつながっている。そもそも自分の体自体が、自然そのものなんだっていうことですね。

 そうですね。と同時に、それは自然だけじゃなくて他者ともつながっている。他者との連帯感、あるいは愛とか共感のもとになっているもの。個人の命というものを超えて、共通の命のふるさとがあるみたいな感じではないでしょうか。