フランス革命の道27-迷走王太子の夭折
2021.07.07 09:56
三部会開会から1カ月余り経っても会議はすすまなかった。そしてともかく議決方法がよくわからない。ネッケルは、特権身分と第三身分との調停を図り、全国民共通の課題は合同で審議し、各身分の問題は個別審議する案を出そうとするが、どちらからもスカンを食らう。
宮廷でも、アルトワ伯らが第三身分を危険視し、ネッケルを更迭しようとしていた。6月3日、第三身分のリーダーのバイイは、自分のグループを率いて、王との面会を希望したが、大法官を通せと言われた。ネッケルも面会し、国王直々の面会は「まだ早い」と言った。
悪いことに、6月4日王太子が亡くなり、2カ月半の服喪が命じられた。6月6日、第三身分はバイイを自分達代表団の団長に選び、王太子の棺に聖水をかけた。そしてまた王への面会を求めた。感情的になっていた王は、この無作法さに腹を立てた。第三身分と王は互いに不信感を持つようになる。
ルイ16世は、自分の中にひきこもり、政治的空白ができる。その中で宮廷や貴族や第三身分は、他者の陰謀画策を警戒するようになっていく。ネッケルといえば、王がゆらいで不安定になり、誰とも会おうとしなかった。そしてリーダーシップは国王抜きにできてゆく。