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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

フランス革命の道28-球戯場の誓い

2021.07.08 08:04

1789年6月10日、しびれをきらした第三身分は、他のニ身分も第三身分に結集するべきという声明を出した。6月16日、この会議は「国民議会」との名称を採決の結果採用が決まる。19日、聖職者代表団がこの議会に合流することが決まった。その翌日20日、この議場が閉鎖され、軍隊が囲んでいるのを代表は知った。

代表団は、そこからほど近いテニスコートの講堂に場所を移し、後ろには民衆が従った。高揚した議員達は「憲法が制定されるまで決して解散しない」と宣言した。有名な「球戯場の誓い」である。なんと一気に、国王に断りなく、憲法を制定する権利まで宣言してしまった。

このテニスコートはさっそく王弟アルトワ伯が借り切ってしまったので、22日からはまたサン・ルイ教会で国民議会を開き、聖職者もどんどん合流し、貴族も参加した。宮廷では19日に国王諮問会議が中断され、王妃や王弟が、今の事態は民衆の希望ではなく、扇動者が煽っているのだと述べた。

23日、最後の三部会が開かれた。国王は35の改善案を示し、「国家の全身分は、余の公正な命令で初めて安らぐことができる」と述べ、国民議会を解散し、身分議会を開くよう命じた。しかし国民議会議員は動かず、ミラボーは、ここぞとばかり「銃剣を持ってこない限り我々は立ち去らない」とタンカを切った。