害虫
人間にはどうしたものか、物事を善か悪かのどちらかに分けたがる傾向があるようです。
正義の味方か悪の手先か。益虫か害虫か。善玉菌か悪玉菌か。
その方が世の中を理解しやすいし、行動方針も簡単に立てやすいからでしょうか。
正真正銘の害虫だったとしても、ためになることを最低ひとつはやってくれています。
何だか分かりますか?
それは害虫を食べてくれるいわゆる益虫の、食料となるということです。害虫をせっせと食べてくれる益虫に感謝しますが、その益虫の命を支えているのは実は害虫なのです。
その害虫を滅ぼしたら、当然のことながら益虫も滅びます。
生態系とは、生きとし生けるものすべてが、網の目のようにつながって、ひとつの命を構成していると見た方が正しいのかも分かりません。
その生態系の一部である生き物を、人間の都合で、善と悪とに分けてしまうことが、そもそもの間違いの始まりなのだと私は思います。
害虫とか益虫とかという言葉に惑わされてはいけない。自然の中には、善も悪も存在しないのです。生き物はみんな、それぞれの命を必死で生きているだけなのです。どんな生き物も、生態系の中で与えられた自分の役割を果たしているだけなのです。
虫が大発生するのは、大発生する理由があるのです。
虫や病気は原因ではなく、あくまで結果なのです。虫や病気が蔓延したからリンゴの木が弱ったのではなく、リンゴの木が弱ったから虫や病気が大発生したのです。虫や病気は、それを教えてくれていたのです。
おはようございます。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに
食を通して暮らしの豊かさを提案する
古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ
プロデューサー、バイヤーの太田 準です。
少し長い抜粋・引用でしたが、最後の最後に
リンゴの木という言葉が出てくるまで、もし
かしたら現在進行形の事態を比喩を交えて書
いてる?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
これは、テマヒマ文庫にも置いてます「奇跡
のリンゴ」の木村さんの話した内容をまとめた言わば続編的な本「土の学校」からのものです。今から8年ぐらい前のものでしょうか。
土とひとくちに言っても、その場所によって極端に言えば全くの別物なわけです。基本的なその違いを考えないのが、現代の科学であり農業だと思います。
土といった瞬間に、それはみんな同じという前提になってしまう。この土はどんな性質があって、どんな微生物が多いかとか考えずに種を播くわけです。
それでもやってこられたのは、化学肥料と農薬があったからです。
土の個性をよく見極めて、その土地にあった作物を植えれば、少なくとも農薬や肥料の使用量を今よりも減らせることは間違いない。農薬や肥料の使用量を減らせば、環境への負荷も低く出来るし、何よりも支出を減らせます。
土の性格はその場所によってみんな違う。
違いを見極めることが賢い農薬の出発点だと思います。もっともそんなことは昔の百姓なら当たり前のことでした。
この文章も色々置き換えて読んでみると示唆に富んでいると思いませんか?
自然栽培という言葉も木村さんが考えた言葉だそうですが、人間が何もせず自然まかせで
作物を栽培するというわけではなく、微生物
たちの働きを上手に利用する、畑に自然の生
態系を組み込むことで農薬も肥料も使わない
農業を実現しています。
木村さんの畑で病気が広がらないのは、農薬
を使わなくなったことで他より遥かに沢山の
微生物が生息するため、木村さん曰く、他の細菌や菌類などの微生物に邪魔されて大繁殖
が出来ない、病原菌も日和見感染とは逆に、
おとなしい常在菌のようになってしまったのではないか?と言います。
コロナ禍の今だからこそ?一読の価値がある
かと思うおススメの本です。
最後にもう一つ、ハッとさせられた文章を引用して今日のブログは終わりたいと思います。
大豆を植えたら、いちばん初めに出るのは何でしょう。
芽ではありません。根です。
大豆に限らず、ほとんどの種がそうです。
まず根が出てから、芽が出る。
(略)
成長するにはまず、根っこから水や養分を吸い上げなければいけないのです。
目に見えてる部分にどうしても注目してしま
いがちですが、このことはどんなことにも当
てはまりますよね。目に見えない部分を大事
にすること、しっかり根を張って暮らし、生
きること、大切にしていきたいと思います。
民藝と暮らすはずだった展も残り3日。今日も
11時オープンで皆様のお越しをお越ししてお
ります。昨日はビックリするほどお客様の少
ない静かな店内でしたが、今日はどうでしょうか。。。??
それでは、好いモノ、好いコト、好いトキを
テマヒマで。今日も好い一日を!