イサク・ディネセン著『アフリカの日々』
人類が発祥したときから
女性は女性だった
304時限目◎本
堀間ロクなな
「文明化した人間は静止する力を喪失しているので、野生の世界に受けいれてもらうためにはまず沈黙を学ばねばならない。だしぬけでない静かな動作の技術が、狩猟家にとっての第一教課である。(中略)ひとたびアフリカのリズムをとらえれば、それはアフリカのすべての音楽に共通していることを体得する。この国の動物から学んだことは、私がアフリカ人とつきあうのに役にたった」(横山貞子訳)
イサク・ディネセンの著作『アフリカの日々』(1937年)のなかで、わたしが最も気に入っている個所のひとつだ。本名カレン・クリステンツェ・ディネセンは1885年デンマークに生まれ、28歳のときに又従兄弟と結婚してブリクセン男爵夫人となり、夫が所有するケニアのコーヒー栽培農園へ赴き、女遊びの絶えない夫と離婚後も滞在して、1914年から31年まで第一次世界大戦の時期をはさんで経営に当たる。その間の見聞をまとめたのがこの本だ。そこには、無垢な詩人の魂とアフリカの大自然の出会いによって磨かれた珠玉の言葉が輝いている。
わたしはときに、文明とは「ぬか床」のようなものではないかと感じる。人類みずからの管理による社会で暮らしていると、なにくれと便利で居心地よいものの、つねにざわめいて、みなが馴染むにつれ発酵現象が生じて異臭を放つようになる。それは文明のもとで生きていくうえに必然的な成り行きだろう。したがって、おたがいの臭いに対して鈍感になり、必要に応じて鼻をつまむ技術がなければならない。反対に、こうした文明の「ぬか床」を脱け出して、人類の管理の手を離れた大自然のなかへ飛び込んでいったときに出会えるのがディネセンの書き留めた世界であり、そこでは心ゆくまで清冽な空気を深呼吸できる。著者の言う「静止する力」だろう。
ヨーロッパの文明社会から隔絶して、彼女の目には、無辺の大自然に抱かれた野生動物と人間たちはひとつながりの生命をなしていると映る。「アフリカ人と近づきになるのは容易なことではなかった。彼らは耳ざとく、じきに姿をかくす。おどろかせたりすると、彼らは一瞬のうちに自分たちだけの世界へと身を引くことができた。侵入者が突然身動きするや、たちどころに存在を消しさる野生の動物のようだった」と記したあとに続けて、しかし、実のところ、かれらはいっこうに白人を恐れていないのかもしれない、そもそも自分たちに較べて生命の危険に対する感覚がはなはだ乏しいと報告して、その理由をこう解き明かしてみせる。
「おそらく彼らは、生命あるものとして、われわれにとってはそこにとどまることのできない固有の領域にいるので、水底で生きている魚が人間の溺死の恐怖を理解できないのとおなじことなのだと。アフリカ人たちはこの自信、つまり泳ぐすべを身につけている。われわれが最初の祖先以来失ってしまった知識を、アフリカ人たちはもち伝えていて、それが彼らの自信となり、泳ぐすべとなっている。さまざまの大陸があるなかで、アフリカこそが教えてくれるもの、それは、神と悪魔とは一つのものであり、ともに永遠性を分かちもつ偉大なるものであり、原初から在る二つの存在なのではなく、原初から在る一つのものだということである」
わたしは頬を張られたようなショックを受けた。まったく、なんという洞察! ここに言及されているのは、文明という「ぬか床」に取り込まれる以前の人類の姿だろう。水底を自在に泳ぎ、神と悪魔をひとつに見て取る能力はもはやとっくに失われてしまったにせよ、そんなアフリカ人に憧憬を覚えるのは、われわれのDNAにも同じものがインストールされているからに違いない。今日の分子系統解析によれば、現生人類(ホモ・サピエンス)は約16万年前にアフリカのひとりの女性「ミトコンドリア・イブ」からはじまって世界じゅうに拡散していったという。ディネセンは知らなかったとはいえ、彼女の筆が活写するはるかな後裔たちのありさまは、その原初の母親の姿さえ彷彿とさせるものだ。
「服装はソマリの娘たちの人生で大きな役割を占める。これはあたりまえのことなので、つまり衣裳は娘たちの武器であり、戦利品であり、同時に敵の軍旗をうばうのとおなじく、勝利のしるしでもあるからだ。彼女らの夫となるソマリの男たちは禁欲的なたちで、食事や飲みものに関心がなく、安楽な暮しを求めず、その出生地の風土とおなじようにきびしくて無駄がない。女だけが彼らのぜいたくである。(中略)ソマリの女たちは、男たち生得のこうした性格の両面をいっそう発揮するように励ます。女たちは男の柔弱さを仮借なく責めたて、また一方では大変な個人的犠牲をはらって、女としての自分の価値をつりあげる」
地球上に現生人類が発祥したときから、女性は女性だったのである。