セキュリティ(レピュテーション)産業
最近よく考えてることで、「セキュリティに関する領域は今後飛躍的に需要が増えるのではないか」ということがあります。
いつも通りふわふわ考えているだけなのですが。。
以前、一橋のサミットに参加させて頂いたときも思いましたが、機械が人間の脳の計算能力を追い越すのは時間の問題なわけです。
孫さんも言っているように、2018年から2020年頃には追い越されて、2045年頃にはシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えると。
人間はより人間らしい営みにコミットしていく世界です。
感情とか欲望とか情熱とか、機械が持ち得ないものを追い求めて行く感じですね。
音楽とか美術とかアートの世界もそうですし、スポーツとかの分野もそうだと思います。
ここまでは前段ですが、、、
そうなった世界って、機械に代替できない、個人の「人間性」や「信頼度」がより重要視されていくんじゃないかと思うわけです。
俗に言う、「あいつってすげー良いやつだよね」とか、その「良い奴」という評価がその人間を示す尺度に置き換わっていくんじゃないかと。
だって、今までの「英検○級」とか、「数学○○点」みたいな汎用的な学習で得られるものは、極端な話、機械が100点満点で置き換えてしまえるわけです。
だから、数十年後の未来での「人間の評価(レピュテーション)」は、今とは違った尺度で表されるようになるはずなんですよね。
Facebookのいいね!の価値も人と対象によって変わってくるはずです。
ホリエモンは30倍とか。
医療の専門家のいいねは50倍とか。
自分の信用度だったり人間的価値が数値化されて価格付けされるイメージですね。それこそ、人間のありとあらゆる活動の中で、その人の値付けが行われていくんじゃないかと。
例えば、僕が今回強烈に感じたのは、レーシックの手術です。
高額で、しかも自分の失明のリスクもあるかもしれないという恐怖から、それこそ色々な情報を調べましたが、誰がどこまで信頼できるのか分からないんですよね。。
情報量が増えれば増えるほど変な情報に行き着く可能性も増えるわけです。
僕のアフリカ行きの際の海外保険どうしようか問題もそうですが、誰か信用できる身近な人のレピュテーション(口コミ評価)があることは、とても大事な判断基準になりました。
そう言う信頼性の担保とかをする、広義の『信用担保の世界』がより拡がるんじゃないかと思っています。
また、こういった世界になって来ると、特にデジタルの世界とかでは、「本当にこの人のアカウントは本物なのか?」とかの管理の必要性も出てくるでしょう。
そうゆう変なやつを取り締まったり。
なので、数十年後の未来では、そう言うセキュリティ(レピュテーション)のプラットフォームが出来上がってるのではないかと思うわけです。
自分が良いと思ったモノには価値付けがされ、その価値付けをした自分自身の価値付けも同時に行われると。
なんだかまとまらない話になってしまいましたが、そんな事を最近良く考えています。
グローバルのプレイヤーで言うと、FacebookとかAmazonとかGoogleあたりが仕掛けに来るとこですかね。国単位で見ると、イスラエルとか中東系が好きそうな領域な気がします。