「宇田川源流 日本万歳!」 「日本発祥の外国料理が豊富」ということの日本の食文化の深さ
「宇田川源流 日本万歳!」 「日本発祥の外国料理が豊富」ということの日本の食文化の深さ
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。毎週の事ではあるが、日本人が毎日当たり前としている「日本人の日常」の内容を取り上げ、その内容を分析し、そこに日本人の国民性や日本之文化として「当たり前」として受け入れてきている内容を、改めてどんなにすごいことなのかということを考え、そのうえで、他の外国にはない文化であるということを認識して、日本のすばらしさを感がてえ見たいと思う。
毎週言っているが、日本のすばらしさというのは、何か特別な天才や秀才がいるというのではなく、日本人全体が、その国民性の中から、自分の所属する団体のことを考え、そして、自分の家族のことを考えるなど、自分のことよりも周辺の人、自分の大切と思っているほかの日とのことを先に考えるようなところがある。そのことが日本人が「没個性」といわれながらも、集団として他の国では成し遂げないような功績を行うことができるようになっているのである。
さて、日本の文化の特徴的なものはそのようなものだけではない。
まずこのように書いている日本語も、実は中国から伝わってきたものであるし、仏教など多くは日本で独自に開発してきてモノではない。日本の開発というのは、そのほとんどが「日本独自」ではなく「基礎研究は他の国において行われていたものを、日本人が日本人のきめ細かさと勤勉さによって、日本人の生活に合わせて改良したもの」ということになる。
これは何も古代に限ったものではない。SONYの盛田昭夫氏の書籍に記載されているが、トランジスタラジオなどは、トランジスタという回路はアメリカ製であり、それをラジオを小型化することに用いたということが素晴らしいのである。「小型化する」ということは狭い国土の日本人にとって必要なことであるが、その内容をそのまま世界標準にしてしまうということがよりすごいことなのである。
このように日本人のすばらしさの中には、外の技術を使い、それを世界標準とするという力が隠されている。この内容はいったい何なのであろうか。
中国にはない中華料理「天津飯」に中国人が大きな関心を抱くワケ
日本の中華料理には、中国にはない日本独自のメニューがあって、日本を訪問する中国人を驚かせている。中国の動画サイト・西瓜視頻はこのほど、「天津飯の作り方」を紹介する動画を配信した。
日本人から教えてもらった天津飯を中国人が作ってみる、というごく一般的な料理動画だが、中国には「天津飯」という料理はないためか、多くの中国人の注意を引いたようだ。この動画を見たネットユーザーからは、「自分は天津出身だが、天津飯など見たことも聞いたこともない」、「自分は偽物の天津人だったのか、と疑っている」など、困惑した様子のコメントが寄せられた。
とはいえ「鍋?飯という、天津飯に似た料理がある」と紹介した人も数名いた。肉または海老、あるいは豆腐といった食材の入ったたまご焼きで、とろみをつけることもあり、見た目はかなり天津飯に近い。ただ、普通は丼物にはしないようだ。
また多かったのが、天津飯というと「ドラゴンボールを思い出す」というものだ。兄弟弟子の「餃子を思い出した」、「桃白白を思い出した」、「仙豆 (せんず)が食べたくなった」、「一群の1970年代、80年代、90年代生まれの、子ども時代の思い出だな!」など、盛り上がりを見せていた。中国には天津飯がないのに、「天津飯」という名前が有名なのは、ドラゴンボールの影響なのかもしれない。
ただ日本の料理を紹介するだけのこの動画には、多くの反応が寄せられていた。それだけ中国人が天津飯という料理に興味を持っているということだろう。中国には存在しない「天津飯」が、いつか中国に逆輸入される時が来るかもしれない。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)
2021年7月9日 9時12分 サーチナ
https://news.livedoor.com/article/detail/20501846/
今回の記事に書かれているのは、「天津飯」である。ご飯の上に魚介などを入れた卵を焼いたものを乗せ、その上に、中華風のあんかけを掛けた食べ物である。もちろん天津に行っても天津飯などというものはない。そのために「天津飯」を中国で作るということはかなり難しいのである。
ちなみに、日本で一般的な中華料理といわれるカテゴリーで、中国で食べることができないものは少なくない。まずはラーメン、これはタンメンや刀削麺はあるもののラーメンという食べ物は日本調理に分類される。あの大雑把な中国においてだしをとったスープなどという食べ物が存在するはずがない。おおざっぱであるから刀削麺が存在するのである。また餃子、ちなみに餃子はあるが、基本的には香港や上海の天津の蒸し餃子か、水餃子である。日本のような矢板餃子にラー油と酢と醤油をかけるなどというものは、存在しないとは言わないが、餃子とは言わない。あと以外にないのが「酢豚」である。これも基本的には存在しない。あれは韓国や北朝鮮の「犬料理」の中の一つであり、まあ豚をあのようにして食べることはない。
さて、なぜあれらが「中華料理」なのであろうか。
これは、一つにはあの料理が日本に渡来(古代のものもあるのでこの表現)してきた中国人によって、作られたものであるからということになる。多くが在日の大陸人か帰化人、またはその店で弟子入りして作った人々ということになる。よって「日本における中華料理屋の料理」ということであろう。彼rは現地の味を日本にある食材と日本にある調味料で作るので、「代表品料理」という意味合いが強い。しかし、その代用品料理の方がはるかに現地の味をしのいで、おいしくできてしまうということが非常に多くある。この辺が日本の料理の最高のものであろう。
もう一つは、日本人がその雰囲気や特徴をつかみ、そこに日本の技術を入れて作ることによって、本家よりもはるかに良いものが出来上がるということになる。中華料理というと、日本でのイメージは「ごま油」「酢」「油」「ラー油と唐辛子」というような感覚になる。単純な冷ややっこでもごま油を少し入れると中華風になる。まさにそのような特徴(もちろんすべてがごま油ではない)をつくり、そのうえで、日本流に「だしをとる」とか「チャーシューを別に煮る」など、ひと手間、蓋手間加えた料理が出来上がる。
「食べる人」のことを考え、利益を度外視したおいしいものを作る。それが日本の特徴なのである。このようなことができるのは日本人だけであり、例えば、日本国外で「寿司」を食べても、またはそばやうどんを食べても、何か違う料理になってしまうのである。
このような特徴をつかみ、日本のオリジナリティを付け加えることができることこそ、日本のすばらしさなのかもしれない。