ウイルスは敵か味方か?
最近の新型コロナ禍の例だけではなく、ポリオ(小児マヒ)、エイズ、エボラ、インフルエンザ、肝炎ウイルスなど、人類を脅かす数多くのウイルスが存在しています。病原ウイルスは、病原細菌と同様、確かに人類の生存、健康を脅かす憎き敵です。でも一生という時間軸ではなく、人類あるいは生物が歩んできた長い時間軸の中で考えると、「ヒトが今あるのはウイルスのおかげ」ということもできるようです。
ウイルスは細胞ではなく、生物の生きた細胞に感染、寄生します。実は私達はウイルスに囲まれて生きています。ウイルスの数は計り知れないほど膨大かつ多様であり、哺乳類が保有するウイルスは少なくとも32万種に及ぶと推測されています。近年の研究では、海水1リットル中にウイルスが50億個も存在するといわれています。数の多さに加えその影響も大きく、ウイルスの多くは、人間も含め地球上の生物に害を及ぼすのではなく、さまざまな恩恵をもたらし、環境への適応を助けてきた、と最近では考えられています。
私達は、過去に起きたいくつかの大きな出来事の恩恵を受けて現代に生きています。たとえば、約5億年前に起きた獲得免疫の出現です。食細胞を中心とする自然免疫に加え、記憶と特異性にすぐれた抗体、Tリンパ球という高度な免疫機構を手に入れました。約2億年前には胎盤の獲得、すなわち哺乳類が出現しました。そしておよそ700万年前に出現した高次な脳機能を持つホモ(ヒト)属(人類)の登場です。最近、このような大きな出来事がウイルス由来の動く遺伝子(トランスポゾン)によることが明らかになりつつあります。トランスポゾンは細胞内においてゲノム上の位置を転移することのできる塩基配列であり、動く遺伝子とも呼ばれています。このウイルス由来のトランスポゾンは、進化の原動力になってきたと考えられます。
ヒトゲノム(DNA全体)の中で、タンパク質を作る遺伝子は約2万個ですが、これはゲノム全体のわずか1.5%であり、残りは「ジャンク(ゴミ、ガラクタ)DNA」とかつては見なされていました。しかし驚くべきことに、トランスポゾンに由来する配列が全ゲノムの5割近くを占めていることが分かったのです。図に示すようにLi(LINE)、S(SINE)、LT(LTR)のレトロトランスポゾンと内在性のレトロウイルスでゲノムの約41%を占めています。さらにDNAトランスポゾンが3%あり、ウイルス由来のトランスポゾンは、私達のDNAの約44 %にもなります!!
トランスポゾンはゲノム内の大部分を占める構成要素であり、ゲノム構造を変化させる強力な要素と考えられます。獲得免疫、哺乳類の出現、高次脳で分かってきたように、トランスポゾンはゲノム構造や遺伝子発現を変化させることで、生物種の進化の大きな原動力となってきたと考えられます。それにしても私達は、ウイルスの残骸で成り立っているのに改めて驚かされます。
コロナ禍に見舞われた今は、ウイルスを「敵」と見るのも仕方がないと思いますが、災いをもたらす病原体としてだけでなく、ウイルスを地球生態系の構成要素として捉え、生物の生命活動や進化、生態系に及ぼす影響などを長い時間軸で考えることも大切だと思います。(by Mashi)
諺に、「牛に引かれて善光寺参り」というのがありますが(自分の意志からではなく、他人に誘われてよい方に導かれることのたとえ)、生物はウイルス由来のトランスポゾンに引かれて新天地参り」ということでしょうか。
・春風や牛に引かれて善光寺(諺を生かした小林一茶の作、パクリですね)
参考文献:1) 武村政春著、ヒトがいまあるのはウイルスのおかげ、さくら舎(2020年5月) 2) 私たちはウイルスの世界に生きている、National Geographic, 2021年1月29日